東日本大震災で被害を受けた宮城県気仙沼市では、ガレキや地盤沈下で道路が寸断され、医療機関まで移動できない人が大量にいた。そこで注目されたのが、自宅で医療を提供する「在宅医療」だ。気仙沼でいまでも続く在宅医療を広める試みを追った。

 谷航平さん(仮名・85歳)は3年前から脳梗塞で寝たきりの状態が続いていた。しかし、妻と娘夫婦の2世帯家族である熊谷さんは、家族の献身的な介護と在宅介護サービスのおかげで、自宅で静かな生活を送っていた。

 ところが、震災によってその状況が一変した。停電で床ずれ(褥瘡・じょくそう)防止用の電動式エアマットレスが使用不能になり、病院に行こうにも道路はガレキの山に埋もれて寸断され、2週間が経過しても医師の診察を受けることができなかった。そのころには、寝たきりの状態が続いたことで腰に10センチほどの浅い褥瘡ができてしまった。

 そこで、震災前から患者の自宅で医療行為を提供する「在宅医療」を手がけてきた村岡外科クリニック院長の村岡正朗医師が、熊谷さんの自宅で診察をすることになった。

「まず、熊谷さんの病状が進行しないよう傷の保護などの処置をしました。その後、家族に2時間ごとに体位を変えるように指示し、週1回の往診を続けました。すると、症状はかなり改善しました」(村岡医師)
 
 在宅医療では、医療関係者が連携し、自宅での医療行為だけでなく、家族の精神的ケアなども担う。とくに重要となるのが、患者の終末期に寄り添う「看取り」だ。日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の調査によると、自宅で最期を過ごしたいと考えている人は8割以上いる。にもかかわらず。現実には自宅以外の医療機関で死亡する人の割合は2010年8割に達している。こういった逆転現象を打開する医療として、在宅医療は注目されてきた。

 それが、震災後に冒頭の熊谷さんのように病院に通えなくなった患者が続出したことで、意外な形で在宅医療の必要性が高まった。褥瘡のほか、骨粗鬆(そしょう)症や起立性低血圧などの患者も増えたためだ。その理由について、村岡医師はこう語る。

「震災で医師、看護師、介護福祉士の家族らも被災したことで、医療や福祉を提供する側が、震災前の水準を保てなくなってしまいました。そのことが影響したと思われます」

 そこで、震災から2週間後に、村岡医師を本部長としたボランティア団体「気仙沼巡回療養支援隊(JRS)」が発足した。

 5月に避難所を出た村岡医師は、市内のスーパーマーケットの駐車場にトレーラーハウスを置き、そこをJRSの活動拠点とした。8月末に解散するまでにJRSが診た在宅患者は延べ222人。訪問回数は約1800回にのぼった。

「JRSの活動によって在宅医療に対する認識が気仙沼の医療関係者の間で大きく変わりました。この芽を絶やさないためにも、医療関係者が無理なく在宅患者を支えられるような態勢を整備していかなければなりません」(村岡医師)

※週刊朝日 2012年3月23日号