津波で甚大な被害を受けた岩手県下閉伊郡山田町。漁師たちは大津波の後、いまなお不安で厳しい生活を強いられている。ノンフィクション作家の吉岡忍氏がこの地を訪ねた。

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 真夜中の1時半、漁師の佐々木誠孝(62)は山の中腹の仮設住宅を出る。蛍光灯の街灯が二つ三つあるだけで、あたりは真っ暗だ。うっすらと森の影が見える。

 分厚い防寒具をまとった佐々木は懐中電灯を頼りに物置から漁具を引っ張り出し、自転車に積んで走り出した。大津波に襲われるまでは、海は自宅と目と鼻の先だったから、運転免許は要らなかった。必要なときは、妻に運転してもらっていた。

 津波の影響か、今冬のサケ漁は例年の1割程度しか獲れなかった。しかし、それでも休むわけにはいかなかい。彼は暗い港に向かって坂道を下った。冬の真っ盛り、凍ったような寒さが暗闇を締めつけてくる。

「海岸近くに住んでいれば、風が凪いでくるの待って家を出ればよかったけども、山の方の仮設住宅じゃ大変だよ。上で風が当たっていても、下の浜じゃ、当たっていないときもあるしねえ」

 陸中地方の中央、岩手県下閉伊郡山田町――

 町は、北の宮古市と南の釜石市のほぼ中間、背後の山と前面の太平洋のあいだに細長く広がっている。海に突き出した船越半島をはさんで、北に山田湾、南に船越湾と、二つの湾があるせいで、漁業には好都合だが、町としてのまとまりはいささか欠いている。

 私はその船越湾の側で働く佐々木の漁船に同乗させてもらい、夜中のサケ漁に行ってみた。1キロメートルにも及ぶ細いロープに数メートルおきに釣り糸を下げ、その先にイワシやサンマの切り身を仕掛けた延縄(はえなわ)漁である。そんなロープを7、8本、船を走らせながら海中に垂らしていく。

 湾の入り口すぐ外側、外洋の風が吹きつけてくる。やたら寒い。温度計はマイナス10度を指していた。指先の感覚がなくなり、両耳がちぎれるように痛くなった。

 だが、案の定、不漁だった。大津波の前は一晩に300から400匹は獲れたというのに、夜が明けるまで働いて、結局、5匹しかかからない。

「いやいやあ、うまくないねえ」

 そうこぼす佐々木の顔は疲労と寒さでこわばっている。

※週刊朝日 2012年3月16日号