原子力安全委員会の推計によれば、福島第一原発の事故で、大気中に放出されたヨウ素131やセシウム137は63万テラベクレル(テラは1兆)にものぼり、土壌の汚染も深刻だ。

 汚染水の流出も続いている。少なくとも、2号機周辺からは4700テラベクレルもの汚染水が漏れ出たほか、東京電力が意図的に放出した比較的低濃度の汚染水は1500億ベクレルだ。

 1970年代に起きた「世界最悪の海洋汚染」といわれる英国セラフィールドの核燃料再処理工場での汚染水放出でも、75年のピーク時で年間5230テラベクレルだった。福島では、これに近い濃度の汚染水が、わずか1カ月の間に放出されたことになる。

 京都大原子炉実験所の今中哲二助教は警告する。

「因果関係こそ証明されていませんが、セラフィールドでは、80年代になって、工場の敷地から3キロ離れた村で子どもの白血病発症率が英国平均の10倍に増えていたという報告もあります」

 数年後に日本が同じ事態にならないとは、もはや誰もいえないだろう。

◆食品の検査実態、底の抜けたザル◆

 文部科学省が5月24日に公表した予測データによれば、セシウム134と137に汚染された水は拡散して希釈されながら、徐々に東の海域へと広がってきている。文科省の調査では、海底の土からも最高で通常の数百倍に当たる濃度の放射性物質が検出されている。

 汚染が広がるなか、厚生労働省は、原子力安全委員会の指標をもとに農作物への放射能汚染の「暫定基準値」を設定し、3月17日には、基準値を超える食品がないか調べるよう都道府県に通知した。

 基準値は、1キロ当たりの放射性ヨウ素の許容量を水や牛乳・乳製品は300ベクレル(乳児は100ベクレル)、根菜やイモ類を除く野菜類を2千ベクレル、放射性セシウムについては、水や乳製品は200ベクレル、野菜、穀類や肉、魚、卵などは500ベクレル。これ以下ならば、汚染された食品を食べ続けても、健康への影響はないとされる。

 原子力災害対策特別措置法に基づき、基準値を超えた食品は政府が出荷を制限することになっている。これまで福島県をはじめ茨城、栃木など近隣県の一部地域でとれたコウナゴやタケノコ、コゴミ、ホウレンソウなどが出荷停止になった。

 だが、自治体から検査の委託を受ける民間検査機関の担当者はこう話す。

「ほとんどの農作物が検査を受けずに市場に出ている。まるで“底の抜けたザル”です」

 原因は圧倒的な検査機器と専門スタッフの不足だ。

 厚労省が検査への使用を薦めている「ゲルマニウム半導体核種分析装置」は冷戦時代、核の脅威に備え、当時の科学技術庁が各都道府県に購入を指導したが、とても現在の需要に追いつく台数ではないという。

 1台約1500万円と高価にもかかわらず、震災後は平時の5倍以上の購入申し込みがあり、「納期まで少なくとも4カ月待ち」(販売代理店)という状況になっているのだ。

 魚介類の放射能検査の中心的存在である「水産総合研究センター」(横浜市)には、事故後、自治体や漁協から検査依頼が殺到している。

 担当者によれば、10キロ程度の魚(カツオなら3匹、イワシなら50~100匹程度)の頭と内臓、骨を除去してミンチ状にし、筒状のタッパーにすき間なく詰めて、測定する。

 同センターは分析装置を6台保有しており、約10人の専門スタッフがフル稼働で検査にあたっているが、前処理を含め、一つの検査に3~4時間かかるため、1日に4検査が限度だという。しかも、

「魚は足が速いため、検査結果が出る前に、同じ場所でとれた魚は消費市場に流れている」(漁協関係者)
 というのが実態だというから恐ろしい。

 分析装置を2台所有する埼玉県の担当者も、ホウレンソウなど数種類を週に1度、検査するので手いっぱいだと嘆く。

「水道水の検査を優先しているので、農産物は民間検査機関に依頼している。だが、民間機関もすでにキャパをオーバーしていて、これ以上、品目や検体数を増やすことはできません」

 前出の民間検査機関の担当者のもとには「風評被害」に悩む農業関係者から、
 「○○という機械で独自に測って検出されなかった。安全宣言を出していいか」
 という問い合わせが殺到しているという。

「よく聞くと、その人は大気中の線量しか測れないガイガーカウンターを使っていました。しかし、検査のやり方や品目に決まりがあるわけではなく、どんな機械を使うかも本人次第。今後、精度不明な検査が横行し、安全宣言が乱発されるおそれもある」(前出の検査機関担当者)
 
◆国の暫定基準値はアテにならない◆

 厚労省が定めた「暫定基準値」そのものが問題だと指摘する研究者もいる。美作大学大学院の山口英昌教授(食環境科学)はこう憤る。

「セシウムの基準値で上限とされた500ベクレルという数字は、野菜などを1年間摂取し続けても、セシウムの総被曝線量が5ミリシーベルトを超えないという根拠に基づいて算出されている。しかし、一般人の年間被曝量の上限は1ミリシーベルトに過ぎない。なぜ突然『5倍浴びても大丈夫』となるのか」

 汚染された水や食べ物を口から摂取する「内部被曝」は、体外から放射線を浴びる「外部被曝」とは危険性がまったく異なるという。

「外部被曝であれば放射線源から遠ざかったり、遮蔽したりすることで防御することもできる。だが、体内に入ってしまえば、直に24時間、放射線を浴び続けることになる」(山口氏)

 琉球大学の矢ケ崎克馬・名誉教授(物性物理学)も言う。

「内部被曝の恐ろしさは、1千万分の1グラムのヨウ素131が体内に8日間とどまっていた場合、1シーベルト被曝した計算になるほどなのです」

 1シーベルトといえば、一般人の年間被曝上限である1ミリシーベルトの1千倍である。全身に浴びれば、遺伝子の自己修復が間に合わなくなり死亡者が出る可能性もあるほどの線量だ。

「『基準内であれば食べてもいい』というのはまったくの詭弁(きべん)。国家によるダマシです。少量であっても放射線が遺伝子を傷つけることは間違いない」(矢ケ崎氏)

 ではわれわれは今後、どうしたらよいのか。

 矢ケ崎氏は、汚染された土壌の入れ替えを早急にすべきだと主張する。

「住民の生活および生産の場から放射能をできるだけ取り除くことです」

 だが、汚染実態すら把握できていないのが現実だ。

 前出の山口氏は言う。

「セシウム137の半減期は30年。チェルノブイリ原発事故から23年が経過した2009年にスウェーデンから日本に輸入されたキノコが基準値を超えていたため、輸入禁止になったこともある。数十年単位で考えなければなりません」

 われわれは子や孫の代まで放射能と向き合っていかなければならないのだ。 (本誌取材班)

週刊朝日