2月18日に『

何かのために sengoku38の告白

』(朝日新聞出版)を上梓する一色正春氏。尖閣ビデオ流出のすべてを克明に語った著書には、何が書かれているのか。既存メディアが報じてこなかった一色氏の真実に、ジャーナリスト・上杉隆氏が迫る。

* * *

一色 私が動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」にビデオを流した後、会ったこともない人が推測や臆測でいろいろなことを言っているのを聞き、メディアはずいぶんといい加減なものだなと思いました。一方で、報道を鵜呑みにせずに事実関係だけを述べておられた方々も少なくなかった。特に上杉さんの仰っていることには納得できることが多くて、一度、お話を聞いてみたいと思っていました。

上杉 「sengoku38」として一色さんがビデオを投稿した後、日本のマスコミは一斉に「犯人」捜しに走った。世界的にジャーナリズムの使命は、権力の隠す情報を暴き、国民の知る権利を守るのが役割のはずなのに、まったく逆の方向へ向かった。一色さんはむしろ、そのマスコミができなかったことを代わりにやってくれたんです。

一色 私自身そんなに大したことをしたつもりはありませんが、そもそもなぜ、ビデオを非公開にしたのかわからないんです。いまだにわからない。

上杉 昨年10月7日に、インターネット番組「ニコニコ生放送」の「田原総一朗ニコ生特番 6党大激論!ニッポン外交は敗北したか?」に、私はパネリストとして出演しました。民主党の外交・安全保障調査会事務局長である長島昭久さんも出演していて、安全保障上の観点からこのビデオを出すのが是か非かという話になった。そこで僕が話したのは、中国船の船長釈放が発表された9月24日に、菅直人首相と前原誠司外相(前国交相)が国連総会に出席していたのだから、その場でビデオを公開し、全世界にアピールすべきだということでした。そうしないと、世界は中国と日本のどちらが悪いのかわからない。当時、前原さんは、「検察に渡っているから法的に出せない」と言っていたんですね。だったら、CNNでも、ウィキリークスでも何でもいいから役人にお得意のリークでもさせてしまえばよかった。実際、中国はそうしたリークをうまく使っています。

一色 レアアースの禁輸の件ですね。

上杉 そのとおりです。中国政府がレアアース禁輸と発表すると、世界貿易機関(WTO)協定違反になる。だから、中国は公式には認めずにリークしたんです。

一色 ビデオを法的に出せないというのは詭弁です。秘密でもなんでもないし、刑事訴訟法上も公益性があれば構わない。今回のケースでは、被疑者の名誉も侵さない。条文の上っ面だけ読んで言っているにすぎないのに、その点を追及するマスコミはなかった。「法律の解釈がおかしいのではないのか?」と言う人がいないのが、むしろ不思議でした。

上杉 ツイッターや動画投稿サイトのニコニコ動画など、ネットでの世論は既存メディアのつくるそれとはまったく逆でした。少なくともネットでは、誰が流出させたかが主題ではなく、何が映っているか、また、なぜ公開しなかったのか、というのが争点でした。後に北朝鮮が韓国の大延坪島(テヨンピョンド)を砲撃したときも、韓国は撮影したビデオをすぐに公開するという正しい判断をしました。それで当日、国連事務総長やアメリカも北朝鮮に対して非難声明を発表したのです。

一色 昨年12月に中国漁船が韓国の警備艦と衝突して沈没したときも、すぐに韓国政府はビデオを公開しました。もしかしたら日本がビデオを公開しなかったことを反面教師としたのかもしれません。韓国は竹島問題の参考のために、この問題に注目していましたから。

上杉 証拠(ビデオ)を出さないと世界はわかってくれない。船長を釈放して、ビデオは出さないとなると、日本が悪いんじゃないかと思われてしまう。だから、「エコノミスト」やニューヨーク・タイムズに、「日本も何か隠しているんじゃないか」という記事が出たんです。ビデオが流出したことで、そういった世論も消えました。つまり一色さんは国益の大きな部分を救ってくれた。国益の観点からすれば、本来政府がやるべきことを一色さんが代行してくれたのだから、むしろ感謝すべきだし、また、ビデオをスクープできなかったメディアは恥じるべきだと、私は一人で遠吠えしておりました。まったく相手にされませんでしたが(笑い)。

◆チャンスは一度、逮捕覚悟で投稿◆

一色 事件が起きたときには、中国人船長はそのうち起訴されて有罪になり、ビデオも公開されるだろうと期待していました。その時点では、自分が公開することはまったく考えていませんでした。

上杉 それが最後には自分でユーチューブに投稿する羽目に陥った。その過程が

『何かのために sengoku38の告白』

に克明に書かれています。私が注目したのは、一色さんがユーチューブに投稿する前に、CNNにビデオを送ったことです。アルジャジーラに送ることも検討している。やはり日本のメディアに不信感があったということですか。

一色 不信感というよりは可能性です。私の勝手な考えですが、日本のメディアでは、おそらく公開できなかったでしょう。わずかとはいえ海外メディアのほうが公開される可能性が高いだろうと思いました。それに公開された後、発表したメディアが日本と中国という当事者でないほうが、世界から客観的に受け入れてもらえるだろうとも考えました。

上杉 戦略的な形で結論を出されたんですね。でも結果的にCNNは放送しなかった。僕も外国メディアに在籍したことがありますが、その経験から言えば、CNN本社に送っていれば対応は違っていたかもしれない。一色さんがビデオを送ったのは東京支局ですが、CNNは支社を日本法人化している。そうすると現地化して、記者クラブ的な発想の人が入り込むことになる。あれはCNN日本法人の大失態ですね。それだからか、CNN本社はユーチューブで流れて以降、アジア向けだけでなく、全世界に向けて繰り返し繰り返し放送しました。それだけ世界にとって重要なニュースだと認識していたともいえます。

一色 結果的にはユーチューブを使って流すことになり、よかったと思うんです。ビデオの公開を決意した後、一度失敗したら、その時点で捕まって二度とチャンスはないと考えていました。その中で、できる限り多くの人の目に触れることを優先した結果、ネットでの公開という流れになりました。出頭前には、読売テレビの記者に接触してインタビューを受け、私に何かあったら放映してくれるように頼みました。そのせいもあったのか、最終的に逮捕されなかった。インタビュー映像が延々とテレビで流されるから逮捕されなかった、という噂を聞きました。

上杉 読売テレビは関西の準キー局で政治部がないから、そういった点での圧力はない。同じ系列でも、東京の日本テレビなら無理だったでしょう。でも、なぜ読売テレビだったんですか。「たかじんのそこまで言って委員会」という、関西では比較的タブーのない番組を放送しているからですか。

一色 正直、その番組の影響もありました(笑い)。私はメディアに関することを、あまり知りませんでしたから、すべてはタイミングと個人の信頼の問題です。ただ接触した記者が個人的に信頼できると感じられたからです。

上杉 本の中では、「以前から一部のジャーナリストの方々が、記者クラブの弊害を訴えておられたが、私は正に今回その弊害を見た」とお書きになっています。今回の件を通して、実体験として記者クラブの弊害と感じたのはどんな点でしょう?

一色 捜査当局の発表報道というより、意図的にリークされたものをマスコミは裏もとらずにそのまま書く。発表に突っ込みを入れたり、反対の意見を書いたりすれば、もうエサをあげませんとばかりに、情報を遮断する。どこかの国の情報統制のやり方と同じようなものなのだなと思いました。

上杉 まさにそのとおりなんです。

一色 神戸の海運記者クラブは海上保安庁が定例記者会見を2カ月間、一度も開かなくても、当局に対して、おざなりの抗議文しか出さなかった。当局は「尖閣ビデオの問題があるから記者会見を開かない」と言っていたのですが、そういう問題が「ある」からこそ、普通は記者会見を開くんじゃないですか。

上杉 おっしゃるとおりです(笑い)。本の中で「動機については、分からないことが多い」と報道されたと書いていますが、一色さんにとっては動機こそが全てであり、取り調べの際も率直に語っていたんですよね。

◆予想を上回ったネットの拡散力◆

一色 初日から捜査が終わる日まで、一貫して同じことを言っていました。

上杉 それが報じられない。当局が恣意的に情報をリークして、世論を操作するスピンコントロール(情報操作)です。仮に一色さんが、国家をまじめに考えている人ということになってしまったら、つじつまが合わずまずいんですよ。だから、「だらしなくて、適当で、いい加減な人物」というレッテル作りをする。それに記者クラブが乗っかり、日本中にそういう印象が広がる。今まではこれを止める方法はなかった。でも、現在は幸いなことにインターネットがある。ネットの世論はそうした情報経路を無視できる。よって中抜きが起こり、一色さんは、日本のことを考えている人じゃないか、ちゃんとした人だ、というまっとうな意見が広がることになる。それが不幸中の幸いだったように思います。

一色 それにしても、インターネットの情報が拡散するスピードは速い。私が漫画喫茶でビデオを投稿した翌朝、テレビをつけると、もうその映像が流れており、予想をはるかに超えていました。

上杉 最初にテレビで映像を流したのは確か、フジテレビだったと思います。早朝の番組でした。その後、テレビや新聞などの既存メディアは、「速報性ではインターネットにかなわないが、われわれは検証する能力がある」と追随しました。ところが、ツイッター上では流出の直後から、元海上保安官や船乗りなどの専門家が議論に参加し、「あの黒煙はどうだ」とか「映像は本物だ」とか「あの場合は左舷側が優先だ」といった検証作業が進んでいました。その議論が尽くされたのが、流出から4時間後の午前3時。既存のメディアは速報性だけではなく、検証能力でもネットに敗れたんです。それにもかかわらず、フジは「スクープです」と胸を張っていた。既存メディアの限界が露呈した事件でした。

一色 私は、確かにテレビで映像が流されることを望んでいたのですが、マスコミ各社が、「国家機密」と言っているものをこぞってバンバン流し、一方で、これは犯罪行為であると報じている。本当に犯罪行為であれば、マスコミ自らが犯罪の被害を拡大していることに気が付かなかったのでしょうか。

上杉 メディアはその矛盾をひた隠しにしてきた。個人が流すと流出犯で、自分たちが流せばスクープだと。それはアンフェアです。まして、流出の時点でそう言うのはともかく、一色さんは起訴猶予になっている。ということは、取りあえず起訴はしませんというだけで、犯罪行為はあったということになります。つまり、処分が下りた後で放送しているものは共犯ですよね。それに誰も気づいていない。どれだけ無自覚、無批判かということです。

一色 私がビデオを投稿したとき、私が犯人と特定されずに騒ぎが長引けば長引くほど、ビデオは多くの人の目に触れると考えました。いずれは必ず捕まると思っていましたが、そのために自分の名前も伏せたし、罪証隠滅行為もしました。また、映像を投稿する際にまったくコメントをしませんでした。それは、余計な先入観なしで、できるだけ客観的に多くの人に見て、自分で考えてほしかったからなんです。

上杉 その狙いは成功したし、メディアのさまざまな問題もあぶりだした。その上で、今回、改めて本を書いた理由は何ですか?

一色 皆が聞きたいことは、簡単に説明できるようなことではないのです。「なぜやったのか」に関しても短い時間ですべてを語ることはできません。多くの人が私に聞いてくることは、実行を決意した経緯や心境の変化などですが、口で説明するよりもこの本を読んだほうがわかりやすいと思います。事件当初から、胸のうちをすべて話していた弁護士でさえ、これを読んで私を見る目が変わったと言っていました。

上杉 どのくらいで書き上げたんですか?

一色 12月の半ばぐらいから1カ月ほどで書き上げたのですが、取り調べや引っ越しもあったので忙しかったです。できあがってボロクソに言われると覚悟しながら弁護士に見せたところ、「おもしろい!」と言ってくれて、その原稿がひょんなことから週刊朝日の山口一臣編集長の手に渡り、出版してもらえることになりました。これも人と人とのつながりによるもので運命だったと思っています。

上杉 一読してみて、「なぜやったのか」という疑問に誠実に答える本であり、すべての日本国民が知るべき事実が書かれていると理解しました。同時に、既存メディアがいかにゆがんだ報道をしてきたかが浮き彫りになっています。本を出された後に、望むことは?

一色 全部で10時間といわれるビデオの、残りの部分が公開されることと、私が公開したビデオを誰が何の目的で秘密にしたのかが明らかになることです。もう残りのビデオを非公開にする理由は、建前といえどもありません。

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いっしき・まさはる 1967年、京都市生まれ。民間商船会社などを経て98年から海上保安庁勤務。04年に韓国語語学研修を終え、国際捜査官に。10年12月に退官

【「尖閣ビデオ」流出事件 これまでの流れ】

2010年 

 9月 7日 尖閣諸島沖の東シナ海で中国漁船が海保の巡視船2隻に衝突

 9月 8日 中国人船長を公務執行妨害容疑で逮捕

 9月13日 日本が船長を除く漁船の乗組員14人を帰国させる

 9月23日 新華社通信電で、フジタ社員4人が違法に軍事施設を撮影したとして取り調べ。日本へのレアアース輸出禁止が発覚

 9月24日 那覇地検が中国人船長を処分保留で釈放すると発表

10月 5日 菅直人首相と中国の温家宝首相が会談

10月16日 中国・成都などで数千人規模の反日デモ

11月 1日 海保が衝突場面を収めた映像を衆参の予算委理事に公開

11月 4日 一色正春氏が「尖閣ビデオ」をインターネット上に流出

11月 9日 東京地検が「尖閣ビデオ」投稿者の情報記録を差し押さえ

11月10日 一色氏が上司に流出を告白。警視庁などが事情聴取開始

11月16日 一色氏が弁護士を通じて心境を表明。報道陣の前で謝罪

12月22日 一色氏が守秘義務違反で書類送検。その後、海保を辞職

2011年 

 1月21日 東京地検が一色氏の不起訴(起訴猶予)を発表

週刊朝日