収監前最後のインタビュー、元事務次官・守屋武昌

防衛省をめぐる汚職事件で、収賄と議院証言法違反(偽証)の罪に問われた元防衛事務次官・守屋武昌氏(66)が米軍普天間飛行場の移設をめぐる米国や沖縄との交渉の裏側を記した『「普天間」交渉秘録』(新潮社)を出版した。自ら上告を取り下げ、収監された守屋氏が現政権に伝えておきたかったこととは――。

――2009年9月に政権交代を果たした民主党は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の国外・県外移設などを訴えました。しかし、鳩山由紀夫前首相(63)はこれを果たせず、当初の日米合意どおり、「名護市辺野古への移設」で決着しました。一連の迷走ぶりをどう見ていましたか。

 鳩山さんが、沖縄の負担を軽減したいという強い思いを持っていたことは伝わってきました。沖縄の問題にかかわる人はみんな、最初はその思いから入るんです。しかし、いざ沖縄の自治体幹部らと交渉すると、実際は基地負担減を望む人ばかりではないということがわかる。沖縄は複雑で手ごわい。鳩山さんも早くから、そのことに気づいていたら、と思いましたね。自民党だって同じだったんですから。
 また、対米交渉もあまりにも無策だったと思います。在日米軍基地はそもそも、米国が戦争で勝ち取ったものだから、容易には返してくれません。私が米軍再編に臨んだときは、米国は9・11で本土防衛に力を入れざるを得ず、沖縄を含めた海外の米軍基地の機能、役割を抜本的に見直す必要があった。だから、私は「今なら交渉できる」と判断しました。

――守屋さんは防衛事務次官だった06年に、14年までに普天間飛行場を辺野古崎へ移設すること、米海兵隊8千人をグアムに移すことなど在日米軍再編の行程を定める日米のロードマップ合意を主導しました。今回、それを白紙に戻すかのような議論に、当事者として悔しさはなかったんですか。

 結局、私が推進した案に戻ると思ってましたから。だって、すでに、国と国が合意しているんですよ。沖縄県や名護市も合意していたんですから。時間をかけて「環境影響評価(アセスメント)」も実施した。これほど時間をかけて丁寧に積み上げてきたものを、合理的な理由もないのにひっくり返せるはずがないと確信していました。
 そもそも、在日米軍再編の意味は、日本の戦後を終わらせることなんです。この国は独立したと言うけど、本当にそうでしょうか。

――しかし、鳩山前首相の「最低でも県外」発言後、受け入れ先である沖縄県や名護市は態度を硬化させました。9月12日の名護市議選でも、「受け入れ反対」を表明している稲嶺進市長派が大勝しました。

 これまで何度も、知事選や県議選など地方の選挙だけでなく、国政選挙のたびにも結論が先延ばしにされてきました。一度は辺野古案に合意しておきながら、地元自治体の首長や幹部が「二枚舌」を使って平気で約束を翻す。さらに合意の実現は先延ばしにしてきた。そのことに、そろそろ国民も気がつくべきです。

――守屋さんは7月に出版された著書『「普天間」交渉秘録』のなかでも、かかわった政治家やゼネコン業者の対応を実名で記しています。

 98年から06年まで沖縄県知事を務めた稲嶺恵一氏は、「基地の外に軍民共用空港を建設し、米軍が15年間使用したあとは県民の財産とする」ことを公約に当選しましたが、8年の任期中、公約を実現しませんでした。
 小泉政権下で米軍再編の具体案が固まってきたころ、私は都内のホテルで稲嶺氏に会いました。そこで「嘉手納基地以南の米軍基地が返還されます。沖縄県民の思いが実現しますよ」と伝えると、稲嶺氏は困惑した表情で、「県民は大規模返還は望んでいない。土地を返す前に跡地利用の問題も含め、国のやるべきことはきちんとやってほしい」と言うのです。
 それは、つまり地権者や駐留軍労働者、沖縄振興策を受注するゼネコンなど、基地経済に依存している人たちのことが頭にあるんですよ。
 太平洋戦争後、本土では占領軍を旧陸軍、海軍が入っていた国有地に受け入れましたが、沖縄では民間人が、強制隔離されたり、銃剣で脅され住宅地を取り上げられ住む場所もなくなったり、適切な処遇もされなかったという気の毒な歴史があるのです。
 一方で、その地代は当初の120億円から890億円まで膨れあがった。これは、気の毒な思いをさせたということで、政府が手厚い補償をした結果ですが、そうなると、この地代に依存して生活せざるを得なくなる。
 沖縄の問題が難しいのは、基地周辺で騒音と危険に苦しんでいる人と、基地経済に依存して生きている人、両方いるところなのです。

――菅直人首相(63)は、日米合意を踏襲する意思を表明したものの、米国に提示する代替施設については、「I字案」「V字案」の両案併記のまま放り出しました。

 一度、米国との間でV字で合意しているのに、撤回するなんて国際政治の場ではありえません。

◆年齢と本のため、上告取り下げた◆

 そもそも、メディアは基地移転に反対する一部の人たちの意見だけをあたかも沖縄の総意のように報じますが、普天間飛行場が住宅密集地にあって、騒音被害や事故の危険性も大きい、一刻も早く移さなければならない施設だ、ということを忘れている。
 そのことに向き合わない人たち、仲井真弘多知事や、稲嶺名護市長はおかしい。県外移設にこだわって、政権を離脱した社民党の福島瑞穂党首(54)だって間違っていると思います。結局は、問題を先送りにして、基地周辺で危険な思いをしている人たちをいつまでも放置しているのですから。

――普天間移設同様、争点となっている米軍の沖縄駐留海兵隊は、米国でも不景気のため不要論が起こっているといいます。本当に海兵隊は沖縄に居続ける必要があるのでしょうか。

 海兵隊は、緊急事態が発生した場合、最初に現場に駆けつける部隊です。対中国、対北朝鮮を考えて沖縄にいるわけではなく、今、インドやパキスタンでテロや大規模災害が起きたとき迅速に対応するために必要なのです。

――ところで、守屋さんは8月27日、上告を取り下げたことで、懲役2年6カ月の実刑と追徴金約1250万円の一、二審判決が確定しました。今、どんな気持ちですか。

 上告を取り下げた理由の一つは、年齢です。体力のあるうちに刑期を終えたかった。そして、もう一つは控訴審後に書き始めたこの本を書き終えたことです。民主党政権下で普天間移設問題が注目されるようになりましたが、メディアも国民も、この問題の本質に気付いていない。そのことを、交渉に携わった人間が責任を持って伝えるべきだと思ったのです。
 今、私が菅首相に伝えたいのは、沖縄に何度でも足を運んで、合意に至るこれまでの経緯を丁寧に説明し、沖縄県民や国民に理解してもらうことが大事ということです。
 そして、軍用地主には跡地利用計画を示す。基地で働く9千人の駐留軍労働者には「職場がなくなっても、雇用を確保する」と約束する。加えて基地被害に苦しんでいる人に対策を講じることです。一国の命運を預かるリーダーとして、異論があってもたじろいではなりません。

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もりや・たけまさ 1944年、宮城県生まれ。71年、防衛庁に入庁し、普天間問題などにかかわる。03年、防衛事務次官、07年に防衛省を退職。その後、軍需専門商社・山田洋行から接待を受けたとして、収賄の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。今年8月に上告を取り下げ、懲役2年6カ月の実刑と追徴金約1250万円が確定した

週刊朝日