ブームの真相は?

漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人などの名で児童施設などの子どもたちに贈り物が届けられる「善意の輪」が全国に広がっている。年末から急速に拡大したこの現象はいったい何を意味するのか。気鋭の社会学者がそのブームの深層を読みとる--。 (関西学院大准教授 鈴木謙介)

 全国に連鎖的に拡大している、「タイガーマスク現象」だが、その始まりはメディアの報道だった。一二月二五日に前橋市の児童相談所に届いたランドセルの送り主「伊達直人」がタイガーマスクの本名であることが分かったのが同月二七日。同日、群馬県がクリスマスプレゼントにタイガーマスクの本名を名乗る人物からのランドセル寄贈があったことを発表する。
 それを受けて新聞各社は、二八日から二九日にかけて、この件についての記事を掲載。年が明けて元日には、小田原市で同じように、伊達直人を名乗る人物からのランドセル寄贈がある。これが新聞で報道されるのが一月五日のことだ。七日には沖縄、静岡など、八日には岐阜、九日には長崎、厚木などへと現象が拡大した。
 寄贈→報道→新たな寄贈という過程を経て拡大したこの現象は、メディアによって作られたブームという性格が強い。特に五日の報道から二日たって新たな寄贈が起きている点を見ても、報道を見た人物がそれに影響を受けて、即座にアクションを起こした可能性が高いのである。
 匿名の寄贈を行っている人物がどのような人であるのかについては推測の域を出ないが、目撃されているケースでは中高年が多く、また普段から新聞などをよく読んでおり、比較的裕福な層であると考えられる。こうした人々に潜在的な社会貢献意欲があったことを、この現象は浮き彫りにしたと言えよう。
 とはいえ、なぜこれほどまでにタイガーマスク現象は拡大したのだろうか。もっとも大きな要因はメディアの報道だ。しかし、我も我もと「伊達直人」の名乗りが上がったのには別の理由がある。
 タイガーマスクに限らず他の名前を名乗っている事例でも、そこで用いられているのは多くの場合「昭和のヒーロー」だ。正義の味方による勧善懲悪といった物語が信じられていた時代のヒーローを名乗って善行をすることは、かつて憧れた存在に自分も近づけるのではないかという思いを抱かせる。
 特に日本の場合、寄付の文化がキリスト教圏などに比べて薄く、また寄付が富裕層の義務であるという風潮もない。募金の機会は多いものの、こちらは完全に匿名で、集まった総額を見ただけでは、そこに自分がいくばくかの貢献をしたという満足感が得られにくい。
 そうした環境の中で、わざわざ名乗りを上げて寄付をする気にはなれないが、自分が何かの社会貢献をした証は得たいという欲求に、タイガーマスク現象はぴたりとはまったのである。寄贈をすれば、自分の名前は出ないまま、自分のしたことが善行として全国に報道されるからだ。
 では、こうした連鎖現象はいつまで続くのか。またそこに危険性はないのだろうか。結論から言うと、タイガーマスクを名乗る動機が「自分もヒーローになりたい」というものであるならば、連鎖が拡大するほど他の寄贈の中に埋もれて自分の行為が注目される機会が減るため、自然と沈静化していく可能性が高い。
 また、昭和のヒーローなどの名前が用いられている点も重要だ。グリコ・森永事件のような劇場型犯罪の場合、犯人の実像や意図が断片的にしか分からず、それゆえに「観客」である一般の人々が犯人捜しに興じたり、犯人像を勝手に作り上げたりすることで、一種の娯楽として事件が受け止められていくという現象が起きた。
 特にインターネット時代においては、よく分からないもの、イメージの薄い人物が話題になるようなことをすると、ネット上での双方向的な議論を通じて、その人のイメージが肥大化する傾向にある。最近の例で言えば、尖閣ビデオを流出させた元海上保安官がそれにあたるだろう。ことの重大性に比べて彼自身についての情報が曖昧だったので、多くの人が彼の行動に「英雄的な意志」を読み取ることになった。それがネット上で拡大していく過程で、彼への支持や賞賛が集まるというメカニズムが働いたのである。

◆社会貢献意欲と表現手段の不在◆

 ネットでのコミュニケーションを通じて生まれる偶像的な英雄に対して、タイガーマスクやその他のヒーローは過去の物語に起源を持っているため、新しい解釈を加えたり、イメージとは違うことをするのが難しい。逆の見方をすれば、元のイメージを共有している人が報道に触れることで自分も真似をしてみたいという気持ちになりやすいということでもある。それが今回の連鎖現象の主たる要因をメディア報道にあると考える理由だ。
 それゆえ、今後の課題としては、たとえ善行であっても、メディアの報道にはそれを連鎖させていく影響力があるという点を意識した自己検証を行うことが挙げられよう。特にこの種の連鎖現象は、一度収束しても、何かのきっかけで再び拡大することがある。善行だからといって、報道によっていたずらに連鎖を煽っていいのか、立ち止まって考えておく必要がある。
 そして何より重要なのは今回の連鎖現象が、日本社会に広がる高い社会貢献意欲の存在と、それを表現する手段の不在を浮き彫りにしたということだ。
 既に述べたように寄付の習慣が根付いていない日本社会では、たとえばビル・ゲイツのような資産家が個人名で寄付をして、そのこと自体を広く知らしめることも社会貢献の一部であるという意識があまりない。誰が、どのような団体に寄付をしたのかということが分かれば、その団体が信用できそうかどうかの判断材料になるし、自分も寄付してみようという気になる。しかし現状では、名前を出した上で寄付をすると「あいつは金持ちなのか」と妬みを買う不安の方が強いように思える。
 そのため、今回のようにヒーローを名乗ってランドセルを寄贈するのが、もっともよい社会貢献の手段ということになってしまう。ねずみ小僧のような義賊ならそれでもいいのだが、成熟した社会である現代の日本においては、困難を抱えている人の状況は多様であり、どのような行為が本当に相手の役に立つかは不透明だ。ともすればモノやお金を贈ることが、一方的な「善意の押しつけ」になってしまう場合もあろう。
 日本全国すべての都道府県で、現在までに三〇〇件以上という広がりを見せた「タイガーマスク現象」だが、これを一過性のブームで終わらせないためにも、人々の善意をうまくすくい取る仕組みを整備していくことが求められている。

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 すずき・けんすけ 1976年、福岡県生まれ。専門は理論社会学。サブカルチャーからネット、政治哲学、若者の文化まで幅広い領域を論じる。ラジオパーソナリティーも務め、NHK教育テレビの「青春リアル」では進行役を担当。著書に『暴走するインターネット ネット社会に何が起きているか』『カーニヴァル化する社会』など

週刊朝日