米米CLUB「女装メンバー」の知られざる40年後 (1/4) 〈東洋経済〉|AERA dot. (アエラドット)

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米米CLUB「女装メンバー」の知られざる40年後

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肥沼和之東洋経済
博多めぐみさんの「現在」とは?(撮影:今祥雄)

博多めぐみさんの「現在」とは?(撮影:今祥雄)

中央のメガネをかけた女装姿の人が博多めぐみさんだ(写真:博多めぐみさん提供)

中央のメガネをかけた女装姿の人が博多めぐみさんだ(写真:博多めぐみさん提供)

弾き語りをする博多めぐみさん(撮影:今祥雄)

弾き語りをする博多めぐみさん(撮影:今祥雄)

新たに結成したバンドのメンバーたちと(写真:博多めぐみさん提供)

新たに結成したバンドのメンバーたちと(写真:博多めぐみさん提供)

アングラ飲み屋街で抱いた「武道館」という夢

 米米CLUB。言わずと知れた超有名バンドである。紅白出場、レコード大賞受賞、日本武道館や東京ドームでライブ、CDのミリオンセラーなど、多くのミュージシャンが抱く夢を実現させた。

 そんな米米CLUBの初期メンバーで、ブレイク直前にバンドを去った人物がいる。博多めぐみ(58歳)さんだ。ステージで力強くギターをかき鳴らしていた女性と言えば、「ああ、あの!」と思い出すファンもいるのではないか。

「ときたま思うんです、米米CLUBを辞めていなかったらな、って。もちろん思ったからって、メンバーに戻れるわけはないのですが、もう一度ステージで光り輝きたい。ロックスターとして武道館に立ちたいんです」

 取材場所である新宿のロックバーで、博多さんはそう話す。ここは週に1回、彼がアルバイトをしている店でもある。米米CLUB脱退後、約25年も音楽活動から遠ざかっていた博多さんは、2017年から親子ほど年の離れた元アイドルとバンドを組んでいる。米米CLUBにいれば叶えられた夢を、ゼロから追いかけているのだ。脱退という大きな決断、そして50代になって再び挑戦を始めた理由は何だったのだろうか。

●米米CLUBへとつながる道のり

 1962年、博多さんは神奈川県川崎市で生まれた。活発な性格で、少年時代は近所の子どもたちと野原を駆け回る日々。飽き性でもあり、買ってもらった釣り道具にすぐほこりをかぶらせ、両親をあきれさせたことも。小学校6年のとき、隣の家から聞こえてきたビートルズの「レット・イット・ビー」に感動し、音楽にハマっていった。

 早速フォークギターを買ってもらい、独学で練習を始めた博多さん。「すぐ飽きるだろう」という両親の予想に反し、夢中になる一方。中学生になると、キッス、クイーン、ベイ・シティ・ローラーズといったロックスターに憧れ、休み時間にはほうきを持ってギタリストになりきった。高校生になるとエレキギターも始め、バイト代はすべてレコードや音楽雑誌に費やした。

「同級生たちはバイクに夢中になっていましたが、僕はまったく関心がありませんでした。女の子と遊んだりもしたけれど、生活の中心は音楽でしたね」

 しかし音楽の趣味が偏り、性格もひねくれていたため、音楽仲間はほぼできなかった。「同級生が流行のJ―POPを聴いていたら、『ダサい!』とかすぐ言っちゃうので、相当嫌われていました」と博多さん。一方で、音楽で何かを表現したいという、悶々とした欲動を抱えていた。

 転機となったのは、後に米米CLUBのリーダーとなるBONさんとの出会い。同氏は文化学院(現在は廃校)の仲間たちと、アマチュアバンドを組んでいた。そのライブを見に行ったところ、衝撃を受けた。ステージにスクリーンを設置し、映像とシンクロするように登場する。ベスパに乗ってステージを駆け回る、など、自由な校風で芸術を学ぶという、文化学院のあり方そのままに、斬新な表現を行っていたのだ。


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