24歳アイドル「メンタル崩壊どん底」で見た試練
躁うつ病」と「3度の挫折」を乗り越えて……
東京都より「パラ応援大使」に任命され、「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバーでもある、「仮面女子」のアイドル、猪狩ともか。
彼女は26歳のある日、強風で倒れてきた看板の下敷きになり、脊髄損傷を負って、以後、下半身不随に。歩くことはもちろん、自力で立つことさえできなくなった。
絶対安静の状態からリハビリを経て、車椅子に乗りながらアイドル復帰を果たし、現在は、NHK Eテレ『パラマニア』にレギュラー出演するなど、活動の場を広げている。
初の著書『100%の前向き思考――生きていたら何だってできる! 一歩ずつ前に進むための55の言葉』が『スイモクチャンネル』(BS-TBS、8月20日放送)や『大竹まこと ゴールデンラジオ!』(文化放送、8月21日放送)でも紹介され、反響を呼んでいる猪狩ともかさんは、いったいどのようにして「前を向く」ことができたのか。彼女が下積み時代に経験した「心の病」の経験とそこからの復活を、本書を再編集して紹介する。
●毎日ほとんど終電の日々
「『アイドルは顔だ』と誤解する人が知らない真実」でも述べましたが、私が所属する仮面女子には、独自の「昇格制度」があります。研究生、候補生、そして最後は仮面女子へと、ステップアップしていきます。
昇格するメンバーを発表することを「組閣」と呼びます。組閣は仮面女子の一大イベントのひとつで、ステージ上でファンの皆さんを前に、大々的に発表されます。
昇格に必要なことは、歌やダンスなどの実力に加えて、「一定のファンがついていること」。地下アイドルの使命として「自分で積極的にファンを獲得していかないとダメ」なのです。
私自身、「仮面女子になりたい!」という思いから、夢中でステージをこなし、レッスンを受け、SNSの更新やファンの方との交流も、私なりに工夫したりして活動していました。
当時はほぼ毎日ステージがあったので、「自宅と秋葉原を往復するだけ」の生活。
毎日ほとんど終電で、終電を逃してしまう日もありましたが、どんなに遅い時間になっても、両親のどちらかがほぼ毎日、車で迎えに来てくれていました。
すべては「仮面女子になるため」「仮面女子としてステージに立ちたい」という一心でした。
私は事務所に所属してから「候補生」までは、わりとトントン拍子に昇格できました。
ところが、そこからが試練の幕開け。 最後のステップ「仮面女子の正規メンバー」に、3年間も昇格できなかったのです。
「候補生」になって最初の組閣では、当時7人のメンバーから4人が仮面女子に上がり、私を含めた3人は昇格できずに残りました。
残った候補生に新たなメンバーを加えて、グループが再編されたのですが、私はそこで新たなリーダーに指名されたのです。これが私にとって、とてもつらいことでした。
まず「仮面女子になれなかった」ということが大きなショックでした。それまでがトントン拍子でしたから、仮面女子にもすぐになれるような気がしていたのです。
それに加え、当時の候補生のメンバーはとても仲が良く、毎日楽しく過ごしていた彼女たちと一緒に行動できなくなった。それは私にとっては、とても寂しいことでした。
さらに「候補生の新リーダー」という重責。私は家では3人きょうだいの末っ子で、もともとリーダーに向くタイプでもありませんでした。
●メンタルの崩壊、2カ月間の休業へ……
そんなことが重なって……。私のメンタルは、おかしくなってしまいました。
眠れない夜が続き、つねにハイテンションで、ずっと誰かに何か喋っていないと落ち着かない。家族にも小さなことで突っかかってしまったり……。
ファンの皆さんにも、様子がおかしいと気づかれていたようです。
あとから聞いたのは、ファンの方と接するときも、突然ゲラゲラ笑い出したり、会話がチグハグだったり……挙動不審だったみたいです。
そしてついに「猪狩、ちょっと休んで」と事務所から言われてしまいました。
自分でも精神状態が尋常でないことはわかっていました。とても悔しくて残念だったけど、結果として「2カ月間の休業」を余儀なくされました。
