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日本で初めて天気図が配布されたのは、明治16年(1883年)のことでした。明治から平成にかけて、年号ごとの気象のできごとです。

明治(1867年~1912年)

明治16年(1883年)3月1日、日本で最初の天気図が配布されました。作成者は、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピング。
同じ年、5月26日、日本で初めて暴風警報が発表されました。四国の南岸の低気圧が発達し、天気概況に「沿岸ノ各地方ヘ警報ヲ発セリ」と記述されています。
明治17年(1884年)6月1日は、日本で初めて一般向け天気予報が発表されました。6月1日の「気象記念日」はこの日を記念して定められました。

大正(1912年~1926年)

大正6年(1917年)10月1日、関東を台風が直撃しました。高潮により東京都内では、広い地域が浸水し、甚大が被害が発生しました。
大正12年(1923年)9月1日、11時58分に関東大震災が発生。地震により発生した火災の延焼を引き起こしたのは、日本海沿岸を東へ進んだ台風といわれています。関東地方は強い風が吹き、台風が東へ進むにつれて風向きは西風から北風と、大きく変化しました。

昭和(1926年~1989年)

昭和8年(1933年)7月25日、山形で最高気温40度8分を観測。国内で初めて40度を超え、この記録は2007年まで74年もの間、更新されることはありませんでした。
昭和11年(1936年)2月26日、二・二六事件。日本の南を低気圧が進み、関東の平野でも雪が降ったとみられます。(東京は3日前の2月23日にも大雪が)
昭和20年(1945年)8月6日、広島に原爆が投下された日。広島は、朝から快晴となっていましたが、原爆が投下された後は、黒い雨が降り始め、総雨量が100から120ミリに達した所もあったようです。
同じ年の8月9日、長崎に原爆が投下された日、九州には雲が広がっていました。米軍は、小倉の視界が悪かったため、長崎に雲の切れ間から原爆を投下したといわれています。
同じ年の9月17日、台風が鹿児島県枕崎市に上陸。「枕崎台風」です。
昭和38年(1963年)1月、日本付近は冬型の気圧配置が続き、強い寒気が流れ込みました。山沿いだけでなく、平野部でも降雪が多くなり、最深積雪は、北陸で100センチを超えた所がありました。九州でも大分県の日田で、降雪の深さの日合計は30センチ以上を観測しました。気象庁は「昭和38年1月豪雪」と命名。豪雪の名前が付けられたのはこれが最初です。
昭和52年(1977年)2月17日、日本付近は冬型の気圧配置で、沖縄の久米島でみぞれが降りました。みぞれは雪として観測されます。雪の日本の最南端記録となりました。
昭和57年(1982年)7月23日、がけ崩れなど大きな被害を引き起こした「長崎豪雨」。長崎県の長浦岳(ながうらだけ)で午後6時から7時までの1時間に153ミリの雨が降り、国内の最大1時間雨量を記録しました。

平成(1989年~2019年)

日本気象協会に所属する勤続30年以上の気象予報士20人が「気象に関する平成の災害」を振り返り、被害の大きさや、社会的影響の大きさ、防災意識の変化や気象・防災情報の改善のきっかけをもたらした、などの観点から、17の気象災害をまとめています。
ボリュームが多めですので、詳しくは、tenki.jpサプリの tenki.jpラボにある「 気象予報士が振り返る平成の災害」をご覧ください。
※一枚目の画像に誤りがありました。30日21:30に画像を差し替えています。