夏目漱石には、忌日である12月9日の「漱石忌」以外に、2月21日に「漱石の日」となる記念日が設けられています。これは、1911年のこの日、文部省より文学博士号の授与を打診された漱石が、「小生、今日までただの夏目なにがし。したがって博士の学位はいただきたくないのであります。」と返上したことから、漱石の貫いた独立不羈の精神を讃え、記念日となりました。晩年、人生の、そして作品のテーマとなった「則天去私(そくてんきょし)」を体現する大作『明暗』を書き継いだ漱石。とっつきにくさのある『明暗』とは、どんな物語なのでしょうか。

漱石旧居跡に設置された猫の彫像。漱石の繊細な神経はまさにネコのようだったのかも
漱石旧居跡に設置された猫の彫像。漱石の繊細な神経はまさにネコのようだったのかも

俗物たちの百鬼夜行。『明暗』の恐るべき生き地獄

夏目漱石(本名・夏目金之助 1867~1916年)は、日本近代文学史上の最大のビッグネームであり、文豪中の文豪として日本人ならその名を知らない者はいないでしょう。しかし海外での知名度は、ノーベル文学賞を受賞した川端康成、大江健三郎、日本文化/日本人のエスニシティを前面に押し出した三島由紀夫、谷崎潤一郎や、逆に西洋文明・西洋精神との意識的なハイブリッドを企図した村上春樹などと比べるとマイナーな存在でもあります。

『明暗』は、大正五(1916)年に朝日新聞小説欄で漱石の死没まで連載され、未完に終わった漱石の遺作にして最大長編です。
夏目漱石と言えば、処女作の『吾輩はである』や、初期の『坊つちゃん』、「余裕派」の代名詞ともなった『草枕』、あるいは後期三部作の一つで、未だ純文学分野の文庫本売り上げ総数で一位となっている『こゝろ』などがはるかに有名で、『明暗』は漱石文学の中ではあまり読まれることのない作品かもしれません。
しかし、一見善人や常識人に見える登場人物たちの静かな日常の、板一枚を隔てた床底に広がる虚栄や奸計、悪意、憎悪が渦巻くどろどろとした人間存在の内面を容赦なくえぐり出した地獄絵図は、読む者に衝撃を与えずにはいません。このように書くと、露悪的で悪趣味なゴシップ調の嫌な小説、と思われるかもしれません。しかし、登場人物たちの嫌な内面を繰り返しつきつけられながらも、小説全体に流れている空気は不思議に静謐で、透明感と緊張感が漂っています。ひとつは磨きに磨いた漱石の過不足のないバランスの良い描写力、表現力。そして作者自身が、愚かで嫌な性質を見せつけてくる俗物の登場人物たちを、決して憎んだり貶める意図がなく、むしろ彼らへの救いの道を模索していることが顕著に読み取れるからです。

主人公は30歳の勤め人、津田由雄。妻は七つ下のお延で、津田の上司の細君・吉川夫人の媒酌で結婚から半年にも関わらず、二人の関係は険悪です。津田は、やはり吉川夫人の紹介で恋愛関係になり、婚約の直前で破綻した清子という女性を忘れられず、また生来の傲慢な性質から、お延に対して嫌悪感と無関心があったのです。お延も極めて自尊心の強い女性で、そうした夫の内面を直感しながら、彼をコントロールし、支配するための様々な算段や駆け引きを繰り広げます。これらに加えて、津田の妹やお延の叔母など、女性の登場人物が極めて多く、親切心に見せかけた弄びや、猜疑心に満ちたやりとりが何度も繰り返されます。
物語は、津田の前から姿を消した津田の思い人、謎めいた清子が百七十六章でようやく登場し、これから大きな転換点が起こりそうなところで漱石の死により絶筆となっています。

紙幣にもなった漱石は、生前国からの博士号の授与も拒絶していました
紙幣にもなった漱石は、生前国からの博士号の授与も拒絶していました

プルースト、ジョイス、漱石。同時代に偉大な心理小説が生まれた

海外では、おりしも心理小説の二つの金字塔、マルセル・プルースト(Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust 1871~1922年)の『失われた時を求めて』(À la recherche du temps perdu 1913~1927年)、ジェイムズ・ジョイス (James Augustine Aloysius Joyce 1882~1941年)の『ユリシーズ』(Ulysses 1922年)が著され、文学は20世紀の新たな時代へ、大きな転換と拡張の時代を迎えていました。どちらの作品も極めて冗長に人物の意識描写、内面描写に分量を割き、と同時に表に現れる事件・出来事は異様な事態が起きるわけではなく比較的地味で、伴侶の浮気や浮気の疑念、友人との議論など、日常生活レベルにとどまるところも共通します。それらの作品と同期しながらも、漱石のアプローチは西洋的な分析ではなく、日本社会・日本人の「機微」「察し」文化を根底にして、誰もが気づいているがはっきり言語化せずにやりすごしていることをひとつひとつ丹念に拾い上げ、主観を主人公に限定させず、全ての登場人物の主観を提示して描写する特異な方法で、未だかつて誰も読んだことのない心理小説を作り上げたのです。その意味でも、漱石の最高傑作にとどまらず、日本近代文学史上の最高傑作と評してはばかるものはないように思われます。

漱石は死の直前、長く続けられた「木曜会」(漱石を慕う門下生の文士たちが毎週木曜日漱石庵を訪れて語り合う会合)の最後となった会合で、『明暗』のテーマは「則天去私(そくてんきょし)」だと語りました。『明暗』のテーマは「天に則り私から去る」ことで、地獄から抜け出す、その道程を描写することにあったようです。長い長い前段を経て、おそらく本筋へと移行するタイミングで作品は途絶してしまいましたが、本筋での中心が「清子」であっただろうことは推察できます。

日本独特の「お気持ち」の探り合い。その迷宮のごとき地獄を漱石は露わにしました
日本独特の「お気持ち」の探り合い。その迷宮のごとき地獄を漱石は露わにしました

『明暗』のテーマ「則天去私」とは?

とはいえ、「則天去私」とは何でしょうか、わかるようでいてわかりにくい言葉です。
漱石は『三四郎』(1908年)において登場人物・美禰子を「アンコンシアス・ヒポクリット」(無意識の偽善者)と表現し、以来、人がもつ「無意識の偽善」を『それから』『こゝろ』で追究してゆくことになります。
では「無意識の偽善」とは具体的には何のことでしょうか。己の自然な欲求を押しとどめ、意図をもって作為的に行動することです。そしてそのとき、人は自己の欲求の抑圧と引き換えに「他者の支配」を企図するのです。そう、漱石が「私心」というとき、それは自己の欲求から離れた不自然な作為を意味するのではないでしょうか。だからこそ『それから』にしろ『こゝろ』にしろ、そして何より『明暗』において、自己の本来の欲求を隠匿し、作為的にふるまい、他者を支配下に置こうとする人物の姿が執拗に描かれるのです。

漱石には幼いころから漢籍、漢詩への深く広範な造詣があり、その漢詩の腕前は俳句の師で親友でもあった正岡子規を驚嘆させていますし、特に『明暗』のころには並行して多くの漢詩を残しています。ですから、「則天去私」とは、漢詩的文脈のていを取りながら、西洋化する日本文化・日本人への警鐘と捉えることもできます。

「去私」が「作為からの離別」とすると、「即天」というのは作為とは無縁の「あるがまま」の在り方、と捉えることができます。つまり、「則天去私」とは「あるがまま、作為なく」という意味なのではないでしょうか。
一見何気ないようですが、この二つが両立することは実は困難です。人は「あるがまま」でよい。しかし同時に他者を支配しようとする私心=作為から離れなければならない。「多様性」を叫ぶ人たちが「行き過ぎた正義」で人を支配しようとする矛盾は現代でも問題となっています。「本来の自分であるがまま」と、「他人を自分の思い通りにしようとしない」ということは、実は両立が難しい境地なのです。
漱石が残した「則天去私」は、実は現代を生きる私たちにとって深い意味がある言葉かもしれません。『明暗』の怖くてちょっとドキドキする世界を是非味わってみてはいかがでしょうか。

西欧化の中で翻弄される日本人。「則天去私」にこめられた意味は
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参考・参照
明暗 夏目漱石(岩波書店)

「菜の花の中へ大きな入日かな」(漱石)この句には彼の本来の大らかな優しさが垣間見えます
「菜の花の中へ大きな入日かな」(漱石)この句には彼の本来の大らかな優しさが垣間見えます