九月といえども暑い日が続きますが、確実に季節は動いていきます。秋を感じる瞬間とはどんな時でしょう。今までとは違う少し涼やかな風を肌に受けた時、多くの人が「おやっ」と季節の移りゆく一瞬を感じるのではないでしょうか。秋の風、とひと言にいってもその表現は多彩です。季節の移ろいを感じる風をあなたはどのように捉え、表現していきますか? 今日は秋を感じる風を一緒に深めてまいりましょう。

秋は風が運んでくる! 和歌の世界で「秋一番」は?

季節の境目なんて誰にもつけられません。それでも自然の中に身を置いていた古の人々は、秋を感じるのに敏感だったようです。どのような時に「秋だ!」と感じたのかを知りたくて、あれこれ和歌を探してみました。

〈夏と秋と行きかふ空の通い路は 片へ涼しき風やふくらむ〉
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

「空の通い路」とは素敵な言い回しですね。行く夏のもう一方からは涼しい風を吹かせて秋がやって来ます、と夏と秋が行き交うさまを見えない風に託して詠んでいます。
この歌は「水無月の晦(つごもり)の日に詠める」とあり、作者はまだ夏に身を置いて「明日からは秋なのだなぁ」と夏が終わる感慨と秋を迎える喜びを表しているのでしょう。水無月は六月のことですが、旧暦では六月で夏が終わり七月からが秋となります。

もうひとつ秋を感じる歌をあげましょう。

〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉 藤原敏行

こちらは「秋立つ日詠める」とあり、立秋の日に詠んだ歌です。今日から秋だ、とはいうけれども景色に変わりはありません、でも風の音に「秋が来た」と気づかされました。ささやかに変わる風に敏感に反応しているのが分かります。

凡河内躬恒も藤原敏行も、三十六歌仙にも選ばれた平安時代前期の和歌の名人です。見えない風にこそ秋を感じる心。それは冬から春へ、春から夏へ生きとし生けるものが目を見はる成長を見せ大いに変化していく時とはまた違う、秋のもつ独特の憂愁を感じる心に通じているように思われます。

秋の色はどんな色? 俳句の世界!

五行思想では春夏秋冬に色がつけられており、秋は「白」です。ちなみに春は青い「青春」、夏は燃える赤で「朱夏」、冬の寂しさは黒を表す「玄冬」となっています。「青春」以外はふだんあまり使うことがありませんが、付けられた色あいは季節と共に人生をも象徴して趣きを感じます。

和歌の世界では見えない風に耳を傾け、想像を膨らませ表現していましたが、俳句の世界では十七音という少ない音の中でどのように秋の気配を詠みこんでいったのでしょうか。

まず挙げたい秋の季語に「涼風至(りょうふういたる)」があります。
「涼風(すずかぜ・りょうふう)」という季語がありますが、これは夏の季語。暑い日に思わずホッとする涼しさを運んでくる風です。この「涼風」が続いて吹き続けるのが「涼風至」となるそうです。微妙な差ですが、秋の気配のしのびよりを表現する繊細な感覚が、短歌とはまた違った世界を俳句は作りだしていきます。

秋風を「白」と表現した俳句にはどんな風が吹いているのでしょうか。

〈石山の石より白し秋の風〉 芭蕉

石より白し、と言い切ったところに秋風の爽やかさを感じます。秋の風はやはり「爽やか」なのですね。この「爽やか」も実は秋の季語です。

〈物言へば唇寒し秋の風〉 芭蕉

同じ秋の風ですが、こちらは「白」とは表現されていません。秋が深まり冬へむかう何か蕭然としたもの寂しさを感じる風はどうやらもう白くはないようです。夏から遠のくと次第に秋の風も趣を変えてくることがわかります。

「白」はイマジネーションを広げ「色なき風」や「素風(そふう)」などの表現が生まれています。

〈高野山色なき風を聴きゐたり〉 行方キヌヨ

〈みちのくの素風に晒す琴の木地〉 松本喜久江

どちらも「白」が持っていた色や飾りが消えて、風そのものが存在感を増しているように感じます。それは秋のもつ閑寂な趣、静寂につながっていくようです。時の移ろいとともに風も変化していくのですね。

「二百十日」秋の厳しい風「野分」への対策を!

草木をなびかせて吹く秋の暴風、台風の風が「野分」です。

〈山川に高浪も見し野分かな〉 原石鼎

〈何というさだめぞ山も木も野分〉 細谷源二

人の力ではどうしようもない自然の猛威の前に、何もできない人間のむなしさを感じるのが「野分」の力でしょう。一方では、

〈野分のまたの日こそいみじうあはれにをかしけれ〉

「野分の吹いた次の朝はたいへん情緒がある」と『枕草子』に書いたのは清少納言です。台風の去った凄まじい跡にさえ風情を見いだそうとする才に、平安歌人の心の余裕をみることができますが、現代の私たちにとってそのように優雅な眺め方ができないのが「野分」です。

2022年9月1日は春分から数えて二百十日。台風の襲来と稲の開花が重なる時期として農家の方々にとっては厄日となり、二百二十日とともに充分な警戒が必要となっています。
台風の被害の他にも近年は地震への備えもクローズアップされています。9月1日は1923(大正12)年に関東大震災が起きた日でもあったことから「防災の日」と定められ、私たちの防災に対する意識を再確認する大切な日となっています。

〈わが知れる阿鼻叫喚や震災忌〉 京極杞陽

〈里山に津波の碑あり震災忌〉 武政礼子

「忘れた頃にやって来る」といわれる災害ですが、現在は大変身近に感じられています。それぞれの自治体が出す防災情報を基本に、各家庭でまた職場で心を合わせて同じ認識を持っていくことが大切なようです。
「防災の日」を機に、防災の意識をしっかりと持っていく、これも秋へのけじめかもしれません。

参考:
『古今和歌集』「新編 日本古典文学全集 11」小学館
『角川俳句大歳時記』角川学芸出版