8月も半ばを過ぎ、誰もが心待ちにしているのは、この暑さがおさまっていくことではないでしょうか。歳時記はいよいよ「処暑」を迎えます。『暦便覧』では「陽気とどまりて。初めて退きやまんとすればなり」とあるごとく、暑さがおさまる時期ということです。とはいえ厳しい暑さはまだ続くよう。そのような中でもどこかに秋の気配は忍びよってきているはずです。朝、夕方の光や風、日中に聞こえる蝉の声にも7月や8月の初めの頃とは違ってきてはいませんか? さあ「処暑」を感じにでかけてみましょう。

空を見上げれば「うろこ雲」、聞こえてくるのは「つくつく法師」

8月も終わりにむかう頃「オーシツクツク」と聞こえてくるのが「つくつく法師」。蝉の中でもひときわ個性的で面白い鳴き声です。鳴き声がそのまま名前になったように思えます。夏の盛りに元気よく鳴く蝉とは趣をことにして、のんびりと鳴きはじめ一通り鳴くとひと休みする、という鳴き方にも風情を感じます。少し小さめで透明な翅が美しかった記憶があります。秋ともなれば蝉も鳴くことはなくなりますから「つくつく法師」の声を聞くとちょっと名残惜しいような寂しさも湧いてきます。

ふと空を見上げれば、綿をちぎったような雲が散らばるように並んでいるのに気づきます。時にはさざ波のように広がり、太陽の光が小さな雲片で拡散され、弱められているようです。蝉の声に感じた寂しさは空の明るさの変化からもきているのかもしれません。
いつの間にか光にあふれて輝いていた青い空は、どこか落ち着きを持った色に変わっています。暑さの中にもおさまる時を迎えていると感じるのはこんな時かもしれません。

地域の人々の祈り「地蔵盆」

「地蔵盆」は、京都を中心に関西で行われている行事です。「お地蔵様」といえば人々にもっとも近い仏様ではないでしょうか。お寺に安置されているだけでなく、道の辺や、道路が交わる辻々に、また街角と私たちにとって身近な場所にお祀りされ親しんでいるからでしょう。石造りで丸いおつむり、柔和なお顔のお地蔵様が慈しみをもって見守って下さっている、というのは大きな安心感となりますね。

京都では8月24日を中心とした2日間もしくは3日間にそれぞれの地域で行われているようです。お地蔵様に灯籠やお花、たくさんのお供物を飾ってお祀りし、さまざまな余興で楽しむようです。子供たちにとってはお菓子をもらって遊ぶ楽しい行事となります。子供が育つことが難しかった時代、子供の安全と健やかな成長を願う思いも込められていたことでしょう。

お寺さんでは皆が輪になって、大きなお念珠を膝に座り、一粒ずつ繰りながら念仏を称えるという「念珠繰り」も行われるそうです。ひとりで何遍もお称えするのは大変ですが、大勢でお称えすればその苦労も分け合え、また皆で御利益をいただけるという、地域ならではの一体感も生まれてきます。

地蔵盆が終わると8月も終わりに近づき、秋を迎える心へとなっていきます。

稔りの季節へ、風にのって飛びかうのは何?

暑さの中で風や光の微妙な変化に秋の気配を気づきはじめます。目に見える秋といえば「とんぼ」の飛ぶ姿ではないでしょうか。とんぼは古く「秋津(あきつ)」といわれ、古事記や日本書紀の時代には日本の国を「秋津洲(あきつしま)」と呼んでいました。稔り豊かな季節に飛びかうとんぼがまた五穀豊穣の土地を表す象徴と考えられたのかもしれません。

日本の秋の風景の一部となっているとんぼは、前へ前へと飛び、後ろへは行かないことから「勝ち虫」と呼ばれ、戦国武将たちに好まれました。戦場でいかにわが身をアピールするかを競った時代、大きくデザインされたとんぼを兜に載せて飾った武将もあったとか。現在でも、とんぼはアレンジされて、着物やゆかたの模様としても変わらぬ人気を保ち、小物類にも使われ四季を通して馴染みとなっています。

大きくて人気のある「おにやんま」、か細い身体の「いととんぼ」、何といっても故郷の情景と結びつく「あかとんぼ」など種類も多彩。とんぼの飛ぶ姿を目にするようになったらもう秋もすぐそこ。稔りの季節へと動き出しています。