暦の上で「夏至」は夏の真ん中。だからでしょうか『暦便覧』では「陽熱至極し、また日の長きの至りなるをもってなり」と、太陽の力が極みに達するような表現になっています。北半球では太陽の南中高度がもっとも高くなり、昼間の時間が一番長くなります。とは言え実際は梅雨の真っ只中、もし太陽が輝いたならば、一年でもっとも短い影を作る日です。影の存在などすっかり忘れていませんか。梅雨の晴れ間に短い影を見つけられたでしょうか?

梅雨の晴れ間
梅雨の晴れ間

「夏至の雨」素敵なことばを見つけました

元気な太陽がなかなか見られない梅雨に重なる「夏至」には「夏至の雨」という表現があります。

「夏至の雨山ほととぎす聴き暮らし」 田村木国

「雨あがり夏至の黄昏ながきかな」 小路智壽子

「山の木の葉音さやかや夏至の雨」 鷲谷七菜子

どの句からも梅雨のうっとうしさよりも明るさを感じませんか? 雨の中とはいえ高い位置から輝く「夏至」の太陽のエネルギーが働けば、おおらかな心で昼の長さを楽しんで、自然をより身近に観察できるのかもしれません。
「夏至」の日に雨が降り続いていたら「夏至の雨」と喜んで、雲の向こうに輝く明るさに思いを巡らせてみませんか。雨の中に際立つ色や音を感じる何かを見つける楽しみがきっと待っていますよ。

雨の中ひときわ美しさを増す「雨降り花」を見つけましょう

雨降りの日によく咲く、梅雨の頃に咲き始める、その花を摘むと雨が降る、その花が咲くと雨が降る、など「雨降り花」と言われる花はたくさんあります。昼顔、蛍袋(ほたるぶくろ)、竜胆(りんどう)、菫(すみれ)など道行きながら眺めていけば、あれもこれもと見つかりそうです。どれも大きな花ではありませんが、雨に打たれて濡れているさまも活き活きとして、まるで雨に生かされているように見えてきます。

雨の中で独特の魅力を放つのはドクダミではないでしょうか。

「十薬や雨に重さのありて降る」  菊地登紀子

「どくだみの花立ち匂ふ日陰かな」 州羽喪馬

どこにでも生えてきて、抜いても抜いても逞しく増えていくドクダミが、梅雨になり花をつけて大変美しく感じられます。花びらは十字形に真っ直ぐに開き、深い緑色の葉の上で白さを際立たせ、雨にあたればあの独特の匂いがいっそう強く立ちのぼってきます。「雨降り花」にいれたい花のひとつ、と思いますがいかがでしょうか。

ドクダミの花
ドクダミの花

昼が長ければ夜は短い「夏至」は「短夜(みじかよ)」です

一年で一番昼が長い「夏至」の日は夜が一番短い「短夜」となります。どのくらい短いのでしょうか?
百人一首のおなじみの歌に「短夜」を詠ったものを見つけました。

「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」 清原深養父

古来夜と言えば逢瀬の刻。まだ宵の口だと思っていたらもう明けてしまったと、きぬぎぬの別れを惜しみつつ、夏の夜の短さの嘆きが聞こえてくるようなちょっと切ない歌です。作者は『枕草子』でおなじみの清少納言のひいお祖父さん、歌の才に優れた家系です。

夏の夜がどのくらい短いか、具体的に冬至と較べるとおよそ5時間の差があります。そうわかると逢瀬の短さの嘆きも実感できそうです。

現代でしたら「こんな時間まで明るい。やっぱり夏になったんだなぁ」とか「夜が明けるのが早くて、おちおち寝ていられない」などと会話がはずみます。ところが江戸時代の時間のはかり方は今とは違い、日の出から日没を基準に昼と夜を分け、それぞれに6等分し十二支に割り当てていました。
昼は明け六つから暮れ六つまでの六つの刻、夜は暮れ六つから明け六つまでの六つの刻となります。同じ一刻でも季節により、また昼夜で長さが違っていたのです。夜の長さは冬至の日と夏至の日では5時間も違うのですから、「夏至」がいかに「短夜」だったかがわかるというものです。暗くなれば寝るという考えが基本にあれば、とても理屈に合っているとも言えそうです。

なにはともあれ気温変化の激しい時期の「夏の短夜」は、睡眠を充分にとって体力の回復に努めるのが何よりですね。

梅雨の夕暮れの空に輝く月
梅雨の夕暮れの空に輝く月