夏の風物詩、ウナギの蒲焼き。専門店は全国に3,000近くもあり、いかに日本人がウナギを愛好しているかがわかります。ただし、かなり値が張るのが玉に瑕。現在流通して提供されるウナギのほとんどは養殖ものです。養殖が進んでいるにもかかわらず、天然のニホンウナギは2014年に国際自然保護連合の絶滅危惧種に指定されています。なぜ養殖ウナギは値が高いのでしょう。そしてなぜ天然もののウナギは絶滅の危機にあるのでしょうか?

淡水域から汽水域まで、かつては天然ウナギが数多く生息していました
淡水域から汽水域まで、かつては天然ウナギが数多く生息していました

今や高嶺の花の「うな重」。実は江戸時代にはこんなに安かった!

ウナギ科ウナギ属は世界に19種類が知られ、このうち日本にはニホンウナギ(Anguilla japonica)とオオウナギ(Anguilla marmorata)が自然分布し、普段私たちが「蒲焼き」として食べているのはニホンウナギになります。

独特のコクと香ばしさが醸し出す蒲焼きの味わいは、日本人にとって特別なごちそうですが、なかなか値が張るのが難点。

クロマグロやタイ、フグ、イセエビやアワビなどの天然高級魚介類と異なり、ウナギは国内や海外の生産地で人工養殖されて安定的に供給され、平成27(2015)年の統計概算では51,139t(国内養殖19,983t/輸入量31,156t/漁獲量70t)で、食用のニホンウナギ一尾の重さはおよそ200g前後ですから、なんと約2億5千尾ものウナギが日本国内で消費されていることになります。

最もウナギの供給量が多かったのは21年前の平成12(2000)年で、この年には約16万tが消費されていました。

サンマやアジ、イワシなどは、天然ものでも大量供給されるために相対的に安いのに、なぜウナギは養殖で、しかも安定的に供給されているにも関わらず、高値なのでしょうか。

江戸後期、下総(千葉県)で考案開発された濃口醤油と白みりんが江戸の食文化に大きな変革をもたらし、それまでのぶつ切りの丸焼きに味噌をつけて食べる元祖「蒲焼き」から、身を開いて平たく伸ばして醤油とみりんのタレに漬け込みながら甘辛く焼く蒲焼きが登場しました。

天然ウナギの美味しい季節(旬)は秋から冬で、本来寒中の土旺用事(土用)の養生慣習だったものが、江戸時代の随筆集『明和誌』(1822年)には、「寒中丑の日にべにをはき土用に入 丑の日にうなぎを食す。寒暑とも家毎になす。」とあります。丑月(旧暦十二月)である寒中だけではなく、その対極の未月(旧暦六月)の暑中の丑の日にもウナギを食べるようになり、いつしか寒中の行事が廃れて暑中土用行事へと転移してしまったようです。夏にはウナギの活動が活発になり、よく釣れることが理由だったのかもしれません。

江戸時代の鰻飯(現在のうな重、うな丼)の値段もある程度わかっています。『守貞謾稿』(喜田川守貞)に、天保から慶応年間ごろの江戸末期、「江戸鰻飯二百文」とあり、現在の貨幣価値に換算するとおよそ2,500円ほどと、やはりなかなか高かったようです。ただしこれは高級ウナギ専門店の値段。しかもその鰻飯とは、ご飯の上に三、四寸(10~14cm)のウナギの切り身を5~6切れ並べ、その上にご飯を敷いてさらにその上に切り身を6~7片並べる、という二段重ねで量的に現在のうな重の倍以上はある豪華なもの。現在なら5,000円でも足りないでしょう。

そして、江戸の町内には両天秤を肩にかけた棒手振(ぼてふり)のウナギ売りが、蒲焼きを行商で売り歩いていました。その値段は一串十六文(およそ200円)。繁華街の路面でも、現在のケバブやタピオカのように、露天商がウナギの蒲焼きを売っていました。

天然ウナギが豊富に獲れた江戸時代には、間違いなくウナギは現在より安かったのです。

美味しいけど高いウナギの蒲焼き。でも江戸時代にはずっと安価でした
美味しいけど高いウナギの蒲焼き。でも江戸時代にはずっと安価でした

ウナギの意外な正体。その代替不可能な味の秘密

長い間、謎とされてきたウナギの一生は、ここ10年ほどの間に様々な新発見が相次ぎ、かなり生態についても解明が進んできました。

ウナギは、深海で生まれた後に徐々に成長しながら回遊し、幼生期から成魚の前段階であるシラスウナギにまで成長すると陸地の河口域へとたどりつき、河川・湖沼・汽水域などに定着して成魚となり、成熟すると海へ出てはるかな深海で産卵する降河回遊魚です。

ニホンウナギの産卵場所は日本からはるか2,500km離れた太平洋の熱帯海域のマリアナ海溝。かつては海深数千メートルの大深海で産卵すると考えられていましたが、実際は数百メートルほどの中層深海域で産卵することが判明しました。孵化したてのウナギはプレレプトセファレスと呼ばれるおたまじゃくし型の幼生で卵黄を抱えています。ここから柳葉形のひらひらとした葉形幼生「レプトセファルス」に変態すると、降下有機物(マリンスノー)を食べながら成長し、深海からフィリピン~台湾の沖合付近に移動します。そして半年から一年半ほどもかけて、稚魚であるシラスウナギへと変態を遂げます。シラスウナギの形態は細長く円筒型の成魚の形態になっているものの長さは5cmほどで小さなもの。西太平洋を北上する黒潮に乗って、フィリピン沖から日本列島の鹿児島県~千葉県沖へとたどりつき、川のにおいをたどって河口から遡上して、淡水環境に定着。5~10年ほどかけて成長し、体長1メートルほどの成魚になります。成魚となったウナギは食性は肉食で、夜間魚類から水生昆虫、ミミズや甲殻類、カエルなどの小動物をどん欲に食べる水域の生態系の頂点=アンブレラ種の地位に君臨することとなります。そして性成熟が完了すると、最終形態の「銀ウナギ」となって、ふたたび産卵のために深海へと旅立つのです。

なぜウナギはこのような壮大な回遊をするのでしょうか。ふつうは淡水魚は淡水で一生を過ごし、回遊魚は回遊魚として(たとえば一生泳ぎ続けるクロマグロは産卵や受精すら泳いで行います)、深海魚は深海で一生を送ります。小規模の移動や隠棲など、生活域を変えることは珍しくありませんが、深海から淡水へ、これほど大規模な環境移動を行う魚類はいないでしょう。

2009年、大気東大海洋研究所の塚本・西田両教授、千葉県立中央博物館の宮研究員、ロンドン大学の井上研究員らの研究グループが、ウナギ目の魚類56種のミトコンドリアDNAの全塩基配列を解析、ウナギ目の系統樹の解明を科学的に裏付けました。この解析によって、なんとウナギ(ウナギ科)は、それまでは近縁と考えられてきたアナゴ、ハモ、ウツボなどの海洋性の似たような細長い形状をもつウナギ目の種とは系統的に縁遠く、奇怪な形状をもつことで知られるシギウナギ、フクロウナギ、フウセンウナギなどの深海性のウナギ目と同一の祖先から枝分かれしたことが判明しました。

ウナギのルーツは何と深海魚だったのです。浅海魚や淡水魚では再現できないウナギの独特のふくよかな味わいは、深海魚ならではのものだったわけです。キンメダイやキチジ(キンキ)、アンコウなどの深海性の魚介の柔らかく滋味あふれる味わいを想像すれば、ウナギの共通点も見いだせるのではないでしょうか。

餌に乏しい深海で細々と生きながらえていたウナギの祖先はあるとき、いっぱい餌のある場所へ出て行って一旗揚げるぜ!とばかりに深海から大陸の沿岸域へ、さらには海の領域すら超えて陸地の水域へと果敢に進出したのです。

ただし子供を産み育てるゆりかごだけはあの故郷の安全で静かな深い海にしよう、と決めたのかもしれません。ウナギの起源(本質的には現世種でも)が深海であることは、深海魚の飼育が極めて難しいことからも理解できます。餌ひとつをとってみても、他の養殖魚のようにはいかなかったのです。

そんなわけで、ウナギ養殖は、安定した品質のものを大量供給できる利点はありますが、むしろ天然よりも高くついてしまうのです。

ウツボやアナゴと近縁と思われてきたウナギですが、かなり縁遠いと判明しました
ウツボやアナゴと近縁と思われてきたウナギですが、かなり縁遠いと判明しました

奥深い天然ウナギの世界。その回復がウナギ文化と日本の水環境を継続させる?

日本のウナギ養殖(=世界のウナギ養殖)は、明治12(1879)年、服部倉治郎(1853~1920年)が東京深川の千田新田のすっぽんの養殖池で成魚に近いクロコウナギの養殖を試みたのがはじまりでした。しかし深川一帯の地価の高騰から、服部は養殖用の安くて広い土地を求め、明治33(1900)年、舞阪町(現在の静岡県浜松市西区の一部)の8町歩(約8ha)の養鰻池で本格的なウナギ養殖業がはじまったのです。

当時の養鰻は、淡水域・汽水域に生息する15cmほどのクロコウナギ(成長過程の若いウナギ個体)を採ってきて肥育するというもので、現在の主流である稚魚段階のシラスウナギを採捕しての養殖ではありませんでした。

シラスウナギからの養殖が明確に確立したのは、1969年に路地池での養殖でエラ腎炎と呼ばれる伝染病が大発生して養殖に大打撃が発生したのを機に、ハウスで覆った水槽で水を一定温度に保つ「加温式」と呼ばれる室内養殖技術が確立された1971年からのことです。

現代では養殖発祥の浜名湖や愛知、あるいは現在の養殖の大中心地・鹿児島、宮崎、大分などが「産地」として名が知られます。

しかし、天然ものが主流だった時代のブランドは、全く異なっていたようです。昭和初期の大戦以前にはウナギは天然ものが主流で、卸市場では各地から買い取られた天然ウナギが、何十種類にもランク付けられて水槽で分けられていました。産地や季節、環境、成育ステージによりまったく味も品質も異なるため、天然ウナギの区別呼称は重要で、目利きにより細分化されていたのです。

川のどこで採れたかは「カミ(上流)」「ナカ(中流)」「シモ(下流)」で表現され、また産地であるヌマやウミなどの呼称もありました。

体色も「アオ」「クロ」「アカ」「チャ」「ホシ(地色に白い細かいドット模様がつく)」「サジ(背側と腹側の色がはっきりと分かれたもの)」などがあり、東京と上方では「アオ」の区分や扱いも異なりました。「クロ」は「腹クロ」とよばれる全身が黒いものは皮が堅い三級品でしたが、寒中に冬眠中のウナギを掘り出した「寒クロ」は極上品として珍重されました。

さらに、ウナギの最終ステージである性成熟が完了して川から深海へと旅に出る、今でいう「銀ウナギ」は「くだりうなぎ」「おちうなぎ」として最高級とされて珍重されました。

最高級ブランドとされたものが「印旛沼(千葉県)の縄うなぎ」「柳川(福岡県)のホシ」「備州(岡山県)のアオ」「江戸前(東京都)のトビ(アオの中での極上品の意味か)」「下総(千葉県)くだり」「三河一色(愛知県)のアオトビ」などでした。

現在では利根川下流域の天然銀うなぎ「下総下り」をのぞいて流通はほとんど途絶え、地元で消費される程度ですが「下総下り」を提供する店は今もあります。

現在進行している完全養殖(卵のふ化からの全行程養殖)が商業化されればシラスウナギの資源保護につながるという説もありますが、事はそう簡単ではありません。人工ふ化・飼育された種苗は天然ものよりも生命力が弱く、同じ数でもどうしても成育途上での死滅数が多くなって歩留り率が劣るとされ、同じ値段ならば業者は天然のシラスウナギを求めることになると予測されるからです。ウナギ漁は古来の原始的な仕掛けで採ることができますし、とりわけシラスウナギの漁には特別な装備も必要ないため、市場価格に合わせて値段を下げられるので、結果としてコストがかかる完全養殖のほうが採算が合わなくなってしまいます。

やがて、遠いマリアナ海溝の熱帯から、日本の川を目指して遡上してくる小さなシラスウナギたちは、根こそぎ捕らえられ養殖池に放り込まれることになるでしょう。

日本沿岸へと戻ってきたシラスウナギの採捕漁。手軽なため密漁も横行しています
日本沿岸へと戻ってきたシラスウナギの採捕漁。手軽なため密漁も横行しています

ウナギは、多少の断崖ならば自力でのぼってしまいますし、よどんだ止水や多少の水の汚濁もかまわず生きていける生命力に満ちた魚です。河川湖沼の大規模な環境改善や浄化などを行わずとも、現在の環境にほんの少し工夫を加えてやればウナギの数は回復するでしょう。

ニホンウナギは淡水生物の在来種として最上位の捕食者であり、その増加によって現在日本中で猛威をふるっているアメリカザリガニを捕食して減少させることも期待できます。

アメリカザリガニは、危険な捕食者の存在を臭いで察知して活動を抑制することも知られており、これによって繁殖も抑制されるかもしれません。天然のウナギはオスよりメスが多い傾向があるのですが、養殖池のウナギはほとんどが雄化してしまうようです。

これは現在の養殖方法がウナギに大きなストレスをかけていることを示唆しているように思います。

今やウナギの消費量はピーク時の1/3にまで縮小し、今後もその傾向は続いていくでしょう。

今こそ、天然と養殖の最適な組み合わせを講じ、良質で健全な資源消費の時代に移行する時なのかもしれません。

(参考・参照)

出所不明の香港ウナギ6トン 日本輸入、養殖稚魚の8割 ワシントン条約で批判も: 日本経済新聞 (nikkei.com)

小さなシラスウナギは河川湖沼に定着すると、やがて淡水域最強の捕食者となります
小さなシラスウナギは河川湖沼に定着すると、やがて淡水域最強の捕食者となります