5月8日は「世界赤十字デー」使命は人間の命と健康、尊厳を守ること 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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5月8日は「世界赤十字デー」使命は人間の命と健康、尊厳を守ること

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オスロにあるノーベル平和センター

オスロにあるノーベル平和センター

白地に赤い十字のマークを見ると誰の心にも安心感が生まれます。国際赤十字はすべての苦しむ人を平等に救いたい、という慈しみの心から生まれた世界組織です。声をあげたのがジャン・アンリ・デュナン、1828年スイスのジュネーブで生まれました。裕福な家庭で子供の頃から両親に博愛の心を教えられ育ったのです。今日5月8日はデュナンが生まれた日。その日にちなみ「誰かを救うために行動を呼びかける日」の意味を込めて「世界赤十字デー」となっています。今日はアンリ・デュナンについてお話しましょう。


「人はみな兄弟である」この心はどこから生まれてきたのでしょう

国際赤十字社はスイスのジュネーブに本部を置き、世界各国の赤十字社とともに人道・博愛・平和のもと戦場やさまざまな災害に出動して活躍する国際的な救護団体です。その設立に至る経緯はデュナンの人生を語ることになります。

デュナンが貫いた「人はみな兄弟である」という考えの基盤となったのは両親の影響が大きいようです。父のジャン・ジャック・デュナンは事業家であり政治家としても活躍し、貧困家庭の救済や未成年者の保護に力を注いだ人物でした。母アンヌ・アントワネットの父もやはり政治家であり、またジュネーブ病院長として人々を病から救う仕事をしていました。両親ともに人を助けていくことが日常生活のなかにあったようです。

アンリも子供心に両親の生き方を学んでいたのでしょう。こんなエピソードがあります。

9歳の誕生日に貰ったたくさんのプレゼントを孤児院の子供たちにあげて喜んで貰おうと思い立ちました。しかしそれは予想外の結果をもたらしました。施しを心から喜ばない人もいることを知り、立場の違う人間の苦しみを理解することの難しさを知ったのです。このことは相手と同じ立場に立つことの大切さを身につけていく上で大きな意味を持つ経験になったといえるかもしれません。


世界を動かしたデュナンの本『ソルフェリーノの思い出』

成人したデュナンは意欲に満ちたスイスの若き銀行マンとなりました。当時フランスの植民地だったアルジェリアでの農業開発に携わったとき、この地を豊かにするには現地の人々が自らのために働く場所を作らなくてはならない、と気づいたのです。スイスの銀行のためでなく地元の人のために働こう、と銀行を辞め友人とアルジェリアで製粉会社を起こしました。しかし土地を開き小麦を育てるために必要な水を使う権利を手に入れることができませんでした。アルジェリアに駐留するフランス軍が、スイスの銀行の後ろ盾のない民間会社のデュナンには水の使用を許可しなかったのです。

それならばと、デュナンがフランス皇帝ナポレオン三世に水の使用許可を直訴するために出かけて行ったのが、北イタリアのソルフェリーノです。当時イタリアをイタリア人の手に戻そうとオーストリアと戦っていたエマヌエーレ二世を助けてナポレオンが軍を率いていました。戦場に到着したデュナンが見たのは、溢れるばかりの負傷した兵士や亡くなったまま無惨な姿をさらす兵士たちだったのです。デュナンは自分の目的を忘れ兵士たちを助けることに奔走したのでした。地元の教会に病院を開き、町の女性たちに看護師として働いてもらい、敵味方の区別なく戦争で傷ついた兵士たちを治療していきました。この行動はナポレオン三世の心を動かし、オーストリア軍の捕虜となっている医者や衛生部隊を釈放して治療に当たらせる布告が出るまでになりました。

この時の体験をまとめたのが『ソルフェリーノの思い出』です。戦場で傷ついた兵士たちを敵味方を問わずに救済していく組織を作りたいと訴えたのです。多くの人がこの考えに賛同し1863年にジュネーブで国際会議が開かれ、国際赤十字の組織が生まれました。デュナン35歳の時です。


1901年、第1回ノーベル平和賞を受ける迄のデュナンの人生

各国の王侯君主をはじめ各界の要人たちに贈られた『ソルフェリーノの思い出』は大絶賛されました。『レ・ミゼラブル』の作者フランスのヴィクトル・ユーゴーや『クリスマス・キャロル』を書いたイギリスのチャールズ・ディケンズは、デュナンの人類愛と博愛の精神を心から讃えたのです。

しかしこの栄誉は長く続きませんでした。アルジェリアで起こした事業が失敗に終わり、38歳の時に全財産を失ったのです。破産という不名誉はすべての地位からの辞意を余儀なくされ、放浪の人生へと転落していきました。その後手を差しのべる人々もありましたが59歳の時に流れ着いたのが、スイスの小さな村ハイデンでした。ここで良き理解者アルテル博士と出会い、博士の勤める病院に落ち着き回想録の執筆を開始します。この回想録がきっかけとなり、新聞記者ゲオルグ・バウンベルガーの書いた記事がシュツットガルトの大新聞に「その名を忘れられた男」として写真付きで載ったのです。67歳になっていました。これを機にデュナンの名誉は回復に向かい赤十字創立者としての地位を確実なものとしました。

デュナンの苦難に報いたいという熱い思いの人々の尽力により、第1回ノーベル平和賞を与えられたのは73歳のときでした。各国からの援助や賞賛に囲まれ亡くなる82歳までハイデンの病院で過ごしました。

赤十字マークである白地に赤い十字は、デュナンの祖国スイスの国旗の赤と白を逆にしたものということです。

アンリ・デュナンの人生を知ったとき、誰でも知っている赤十字マークの後ろに、彼の燃やした命が今でも赤々と輝いているのを感じませんか。コロナ禍に世界が苦闘する今も、赤十字の活動は地球の至るところでくり広げられているのです。

参考:

橋本祐子著『私のアンリ・デュナン伝』学習研究社

那須田稔著『赤十字の父 デュナン』講談社 火の鳥伝記文庫


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