富士山をはじめとする山梨の山では、今年は感染症対策を徹底しながら営業を再開する施設が多いようです。久しぶりの高山の空気の味を想像し、胸を高鳴らせている方も多いでしょう。ブランクがある今こそ、山の登り方を振り返って考えるチャンスです。この機会に天気予報をいつもと違う視点で見る練習をしてみませんか。

天気予報の功罪

テレビの天気コーナーできょうは晴れると気象キャスターが言うと、あまり疑いも持たれずに「一日だいたいの時間は晴れるのだろう」と多くの方が信じてくれます。気象キャスターをやっている身としては非常にありがたい環境ですが、あまり無批判に受け入れられるのも考えものです。ほんの100年前の人々にとって天気予報は当たらない予言の代表格で、カエルの鳴き声のほうがまだ信頼できると言われるありさまでした。予報技術が進歩して、外れることより当たることのほうが断然多くなったとはいえ、大なり小なり、裏切られた経験はだれしもあるはずです。100年前の人が疑った精神は少し残しておいて損はありません。

実際、過去には事前に予報を確認して日程を設定したにもかかわらず、天気の急変に巻き込まれ遭難してしまった事例が多く見られます。自分の伝えた予報のために命を落とした人がいてもおかしくはないと考えると胸が押しつぶされそうになります。

予報は可能性という具体的に表現しにくいものを伝えている

なぜ、天気予報は当たらないことがあるのでしょうか。山の天気は変わりやすいと言ってしまえばそれまでですが、実は日によっては針の穴を通すような思いで予報を伝えていることを知っておいてほしいと思います。

たとえば、暑い盛りのとある日に、上空に寒気を伴った気圧の谷が接近する場合を考えてみましょう。地上と上空の寒気の温度差が大きくなると大気の状態が不安定になり、積乱雲が発生しやすくなることは、日ごろの天気コーナーで手あかのついた話題です。ただ、積乱雲がいつ、どこで発生するかは予想が難しい。県ほどの大きさのある面積の中で雨のところがありそうだと見当はついても、〇〇地区に雨雲がかかるとまではなかなか自信を持っていえることではありません。そこで「昼過ぎから夜のはじめごろ、ところにより雨で雷を伴う」とぼかした表現の予報が落としどころになるわけです。

雷雲のすぐそばにいて不運にも雷雨に遭遇した人からしたら、わかっていたならもっと強く注意喚起をしてほしかったと思うでしょうし、一方でまったく雨雲が近づかなかった地域の人は予報が外れたと感じるのが自然でしょう。「ところにより雨」というのは、ユーザー目線ではわかりにくく、評判がよくないのかもしれません。

さらに輪をかけてユーザーに不親切なのが、上空の寒気がそれほど強くなく、積乱雲が発生するかどうかが不透明なときです。降るところがあるかもしれないし、雨を降らせるほどの雲には成長しないかもしれない。風の助けがあればあるいは……。そんなとき、雨の可能性がだいぶ低いと判断されれば、降水確率を若干上げつつも「晴れ昼過ぎから時々曇り」などと、予報には雨が表現されません。伝える側はひやひやしながら、もしかしたらと思うときがあるかもしれません。一方、天気予報がすべてのユーザーからしたら、予報に雨が表現されていなければ、天気は安定しているものだと捉えるのが自然です。

このように、天気予報というのは晴れか雨かというよりも、可能性という具体的な表現をしにくいものを取り扱っているのですが、一般的にはそれが浸透していないようです。ここに天気予報という情報の難しさがあると感じています。

予報の裏にあるシナリオを読み取ろう

伝えている側と受け取る側の意識の違いは、天気予報には表現されていない天気のシナリオを把握しているかどうかによるものではないでしょうか。

天気の仕事をしている人は「晴れベースだが寒気を伴った気圧の谷が通過するから午後は雲が広がりやすく、可能性は高くないが雨のところがあるかもしれない」というシナリオを把握し、その要点を簡潔な天気予報に表現します。したがって、たとえ予報のど真ん中の天気にならなくても、これぐらいなら想定内という範囲がかなり広くとれるのです。ふもとの天気予報が当たりにくい山岳に入るなら、天気予報だけではなく、ぜひその裏側にあるシナリオの把握に挑戦してみることをおすすめします。

ただ、そのシナリオは、気象会社があまり需要を見込んでいないのか、どこにでも情報が転がっているわけではありません。参考になるのは上空の流れも把握できる気象モデルや気象庁の概況文ですが、ヒントが少ないと感じるでしょう。日本気象協会が運営するtenki.jp登山天気アプリでは、夏山シーズン中は気象予報士がちょっと詳しく概況文(シナリオ)を書いていますので、天気予報と見比べてみて、雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。