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旧暦十一月中に冬至は必ず訪れ(王朝時代には十一月朔日に冬至があたると、『朔旦冬至』と呼び、縁起のよいものとして祝われました)、したがって十一月は十二支を月にあてはめた十二月建では筆頭の子月となります。新暦(グレゴリオ暦)に生きる私たちには11月は立冬を迎えるものの、まだまだ秋の行楽シーズンにあたりますが、旧暦時代はもっとも太陽の光が遠のき、夜が長くなる冬の底の季節であるとともに、再び太陽が北半球へと戻るサイクルに入る始まりの月でもあったのです。古代中国の王朝・周(B.C.1046年頃~B.C.256年)では、建子月=十一月を正月としていました(建子月をはじまりの月とする暦を周正といいます)。その特徴をもとに、「霜月」について考えてみましょう。
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