川面にゆれる流麗な調べよ再び…日本三大囃子「佐原囃子」とは? 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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川面にゆれる流麗な調べよ再び…日本三大囃子「佐原囃子」とは?

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「江戸優り」を目指した佐原の山車の大人形

「江戸優り」を目指した佐原の山車の大人形

多くの映像作品やCMなどのロケ地となっている小野川沿いの佐原の町並み

多くの映像作品やCMなどのロケ地となっている小野川沿いの佐原の町並み

下座連を乗せて、大祭は三日間かけて日が暮れても続きます

下座連を乗せて、大祭は三日間かけて日が暮れても続きます

かつては各家に船着場が設けられていた巨大な「水郷」も今は観光に利用されています

かつては各家に船着場が設けられていた巨大な「水郷」も今は観光に利用されています

この町並みに、来年はきっと祭り囃子の賑わいが戻ることでしょう

この町並みに、来年はきっと祭り囃子の賑わいが戻ることでしょう

秋彼岸を過ぎ、10月も近づく頃になると、日本各地は秋祭り、収穫の祭礼の季節に突入します。例年であれば、皆さんの地元にもさまざまな伝統的な秋祭りが行われていることでしょう。祭りに欠かせないものと言えば、祭囃子です。笛と太鼓、摺鉦(すりがね)などで奏される独特の楽奏が秋の村里から響いてくるのが聞こえると、なぜか心が浮き立ってきます。

全国にさまざまな祭囃子がありますが、中でも特徴的で、不思議に心を打つ独特の祭囃子があります。日本三大囃子の一つともされる「佐原囃子」です。


「常総文化圏」と江戸の成熟した町人文化が融合したとき、その調べは生まれた

水郷筑波国定公園に属し、東洋一の規模を誇る400品種・150万本のハナショウブと300品種以上のハスを見ることの出来る水郷佐原あやめパークや、関東で初の重要伝統的建造物群保存地区に指定された江戸時代から続く商家群。正確な日本地図を初めて完成させた伊能忠敬居住家、伊勢・鹿島とともに「神宮」の称号を与えられた三つの神社の一つである下総国一之宮・香取神宮。さらに「東灘(あずまなだ)」と総称された造り酒屋など、多くの史跡・観光スポットを持ち、「北総の小江戸」とも称される佐原の町(千葉県香取市)。

この地で行われるのが、関東三大山車祭の一つであり、国の重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産に指定された「佐原の大祭」です。佐原の市街地の真ん中を流れて利根川にそそぐ小野川の東岸が本宿、JR佐原駅のある西岸が新宿と呼ばれ、7月10日以降の金・土・日の三日間にかけて本宿で行われるのが八坂神社祇園祭(夏の大祭)、10月第二土曜日を中日に三日間行われるのが諏訪神社秋祭り(秋の大祭)です。この二つの祭りを総称して「佐原の大祭」と呼ばれます。

「夏」は十台、「秋」は十四台、身の丈4~5mに及ぶ日本最大級の大人形が上段(上天上)に飾られた4輪2層構造の巨大な曳山「佐原の山車」が繰り出し、下段(中天上)に囃子方を乗せ、手古舞の踊り手を引き連れて町内を練り歩きます。

江戸時代、大漁港銚子であがった魚や醤油、米や穀物などを利根川舟運で大都市の江戸に運ぶ重要な中継地として栄えた佐原。大人形も、側面に施された関東彫りの彫刻も、江戸期から昭和期の名工たちによる名品で、これは佐原の大豪商や造り酒屋がその富を投資して、「江戸優りの祭りを作り上げる」意気込みで成立した様式。山車とともに、その山車に負けない祭囃子も企画され、江戸から義太夫奏者を招き、10年以上を費やして囃子の構成や曲目を練り上げて、独自の祭囃子を作り上げました。

もともと北総地域に広く伝わっていた素朴な里神楽に、銚子のヒゲタ醤油の創始者田中玄蕃が伝えた十二座神楽、江戸初期から疱瘡・悪魔祓いの神社として関東一円に大流行したあんば神信仰で、総本宮の常陸の大杉神社(茨城県稲敷市)の祭礼で発展した大杉囃子(あんば囃子)、葛西(東京都江戸川区)の香取神社から発祥し、神田囃子の源流となった葛西囃子がミックスし、享保年間(1716~1736年)頃に祭りと佐原囃子の原型が出来上がりました。ここに化政期(1804~1830年)頃、旦那衆が招きいれた江戸の楽奏者たちの指導が加わって、全国に類を見ない、官能的で洗練された「佐原囃子」が生み出されたのです。


祇園・神田・花輪…有名どころの祭囃子にも見られない佐原囃子の特徴とは?

たとえば全国に名をはせる祇園囃子は、「コンチキチン」という擬音であらわされる如く、鉦が7~8名と非常に多く(ただし、鉦がこのように大編成になって囃子の中心になったのは江戸時代中期頃からといわれています)、これに能管(竹を縦に割り、材の硬い表側を笛本体の内側になるように継ぎ合わせた特殊な篠笛。強く高い音が特徴)衆を組み合わせ、太鼓は少数という構成です。

「江戸囃子」としてしられる神田囃子は、「五人囃子」と呼ばれる小編成(篠笛1名、締太鼓2名、大太鼓1名、鉦1名)で、リズム隊を担う太鼓衆によるドライブ感と、各奏者が少人数の分思う存分に個人プレイで技量を発揮するアドリブ感が特徴。落語の出囃子や相撲の櫓太鼓などとも共通する江戸文化の「気風(きっぷ)」が存分に発揮されます。

日本三大囃子の一つに数えられることもある秋田県鹿角市の「花輪ばやし」では、東北の祭り屋台の特徴である床のない屋台に収まった囃子手は、歩きながら(笛は山車に上がって座して)演奏します。鉦が1名、篠笛が3名に対して太鼓衆が10名以上の大人数であることと、江戸の遊芸囃子の影響から、三味線が加わることがユニークな特徴です。

それらに対し佐原囃子は、奏者は下座連(げざれん)と呼ばれ、古くは10名前後、現代では14名ほどの構成。5名前後の笛方と、下方と呼ばれる太鼓衆と1名の鉦で構成されるグループに分かれます。

そして太鼓には通常の太鼓以外に「大皮」と呼ばれる大鼓(つづみ)1名と、鼓(つづみ)5名が加わり、鼓の調子にあわせた、他に例を見ないメロディアスで多彩な美しい笛の旋律が特徴です。

山車の出納などの神聖な神事の際に奏される「役物」、「のの字廻し」などの引き回しの見せ所で盛り上げる「段物」、民謡や流行歌も取り入れて賑やかで多彩な「端物」など、バラエティも豊か。

佐原の祭り文化が、近隣の銚子や成田、鹿島や潮来などの常総地域一帯に影響を与え、独自の「常総文化圏」を形成した、と言っても過言ではないでしょう。


今も生きる「江戸優り」の心意気が佐原囃子に活力を与える

多くの地域で祭りの担い手が不足し、伝統芸能が存亡の危機に直面している現代、佐原囃子は周辺地域の人口減少や少子化の中、継承する囃子連はむしろ近年でも微増し、しっかり次世代に技術と知識を継承させています。しかし、かつて佐原囃子も深刻な消滅の危機に瀕した時代がありました。戦後、若者の戦死による人口減少と自由主義社会の到来による旧来のコミュニティの弱体化の影響をもろに受け、下座連に加わる若者が激減したのでした。このとき、町の祭り関係者たちはすばやく改革に取り組みました。1947年頃から、多くの日本の伝統芸能がそうであるように口承が当たり前だった囃子の演奏技法を、曲目を譜面に起すことで保存と再現性を高め、さらに各下座連に参加する若者に積極的に重要なパートを担わせてモチベーションを上げ、奏法や楽器の向上を目指す工夫や研究もすすんで取り入れました。

このように歴史のある組織や文化にありがちな年功序列の封建的風土を排除する一方、古い伝統の保存にも取り組んでいます。

儀式儀礼の際に奏されるもっとも格の高い囃子「砂切(さんぎり)」や、かつて佐原周辺の常総地域の村落各地に存在していた下座連では、個性的で多様な調べが存在していたといわれますが、人口の少ない村落の下座連では、奏者の高齢化とともに保持していた独自の技術や曲目は、徐々に消え去りつつありました。そこで「佐原囃子保存会」は、こうした村落を訪ね、高齢の奏者に奏法や曲目を聞き取り調査し、失われつつある遺産のアーカイブ作業を行っています。

佐原の歴史的建造物保存群は、外観をそれらしく装ったものではなく、実際に江戸時代から残る本物の蔵造り建築が数多く見られる全国的にも貴重なものです。往時のようにサッパ舟が舟運や日常の移動、嫁入りなどに使用されていた風習は、水路の衰退とともに失われ、観光用に姿を変えてはいますが、「江戸優り」を本気で目指した佐原っ子気質は今も二つの「大祭」にしっかりと受け継がれています。

コロナ禍で大祭が中止になった今年ですが、流麗な佐原囃子とともに来年は必ずや復活してほしいと願っています。



参考・参照

江戸優り 佐原の大祭

あんばさま総本宮 大杉神社

佐原秋の大祭 楽日


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