その謎めいた戦いの彼方にあるものとは?7月19日「サイボーグ009の日」 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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その謎めいた戦いの彼方にあるものとは?7月19日「サイボーグ009の日」

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宮城県出身の石ノ森章太郎。ゆかりのある石巻市に建設された宇宙船をイメージした石ノ森萬画館

宮城県出身の石ノ森章太郎。ゆかりのある石巻市に建設された宇宙船をイメージした石ノ森萬画館

石ノ森が手塚ら同業者と腕を振るったトキワ荘の復元施設(画像提供※1)

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軍産複合体との戦いの後は神々(異星人)との過酷な対決へ

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石舞台古墳。サイボーグ戦士たちは「神」の遺したオーパーツをめぐる不思議な事件とも対峙します

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JR石巻駅。石ノ森は戦後カルチャーに巨大な足跡を残しました(画像提供※2)

JR石巻駅。石ノ森は戦後カルチャーに巨大な足跡を残しました(画像提供※2)

7月19日は「サイボーグ009の日」。「サイボーグ009」は「漫画の王様」と称えられた石ノ森章太郎(1938~1998年)が自身の表現や思想の全てを注ぎ込んで生涯描き続けた代表作であり、作者の死後も後継クリエイターたちにより、本編の続編が描かれ続けた、日本漫画史上の金字塔的名作です。1964年のこの日、『週刊少年キング(少年画報社)』に初掲載され、サイボーグ戦士たちの終わらない戦いの旅が始まりました。


日本が国際社会にはばたこうとする60年代。多国籍サイボーグ戦士の物語は生まれた

「サイボーグ009」は、少年キング掲載の後、掲載誌を次々と変更して30年以上にわたって描き続けられた、異例の長編大作です。

高校時代の雑誌投稿から、手塚治虫に「天才少年」と言わしめた石ノ森章太郎は、故郷の宮城県から姉とともに上京し、トキワ荘で手塚のアシスタントを経験しながら、昭和30(1955)年、「二級天使」で『漫画少年(学童社)』からデビューします。

以降、『少女クラブ(講談社)』を主戦場に、少年マンガ、少女マンガを多く掲載。1961年には、現在でもマンガ表現を革新する名作として名高い「龍神沼」を発表するなど、ずば抜けた才能で初期傑作を生み出しています。

しかし雑誌連載も、7年、8年と続くうちに、次第に作家自身の中にマンネリ感が蓄積し、「深刻なスランプ」に陥りました。すると石ノ森は、まだ日本人が海外に観光旅行に出ることを禁じられていた時代、集英社の記者の肩書きをもらい、出版社から借金をして、アメリカのSF大会の取材と、世界の見聞旅行に出発します。

そして帰国後、「サイボーグ009」のプロットを立ち上げ、雑誌社に売り込み始めました。

日本人の母と国籍不明の父との混血児である少年院出身の主人公・島村ジョー(009)と、彼にサイボーグ体手術を施した元ブラックゴーストの科学者・ギルモア博士、そして009に先行して製造された8人の年齢もさまざまな同胞サイボーグたちが、人類の敵と対決していく「戦隊」ストーリー。世界旅行でさまざまな国々の人々と接した体験が、多国籍メンバーに反映されています(若干の偏り感はありますが)。

1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博と、60年代から70年代初頭にかけては、日本人が国際社会に本格的に復帰し、世界との交流にはばたこうという意欲に充ちた時代。そうした時代の感覚が、この作品の設定にも反映されていました。

物語の核となる「サイボーグ」というモチーフについては、後年の石ノ森の述懐では飛行機の機内雑誌の中に混じっていた『LIFE』に、たまたま掲載されていたサイボーグ特集記事を読んで構想を得た、としています。サイボーグ(cyborg)とはCybernetic Organism=自動制御の機械を生体に組み合わせて機能を強化した生体のことです。いわゆるパワードスーツのような作業用の外付け装備もサイボーグテクノロジーの一種ですが、SFなどで登場するサイボーグは、自律機構を身体内部に埋め込んで強化された生体を意味します。

ただし、主人公009の特殊能力である「加速装置」のアイデアとスタイルは、アルフレッド・ベスターのSF小説『虎よ、虎よ!』(Tiger! Tiger! 1956年)であることは、既に先行言及が多数あり、定説となっています。


冷戦、安保、終末論、自分探し…「サイボーグ009」は戦後日本の映し鏡

「サイボーグ009」の冒頭はこのようなナレーションで始まります。

1945年… 。

第二次大戦は、広島、長崎への原爆投下によって幕をとじた。

だが、それは、原子力時代から、第三次世界大戦への危険をはらんだ時代の幕開けでもあった。(サイボーグ009「誕生編」プロローグ)

死の商人「ブラックゴースト(黒い幽霊団)」は、世界各国の核兵器装備がもたらす核抑止によって戦争行為が凍結状態となり、武器が売れなくなることを憂える世界中の武器商人のために、今後戦場は宇宙の真空空間や海底になると説き、人間には活動不能なそのような場所で戦闘可能なサイボーグを売り込むことを始めます。ジョーたちサイボーグ検体は、世界中のあちこちで、そのコミュニティや血縁家族からはじき出され、ないがしろにされてきた存在であり、そんな「消えても誰も気に留めない者たち」をブラックゴーストは勧誘し、改造手術を施して、「商品」として売り込もうとしていたのです。

ブラックゴーストの製造したプロトタイプサイボーグ=「00」のコードが当てられたゼロゼロナンバーサイボーグの9人は、ギルモア博士からブラックゴーストの目的(核使用を回避しつつ米ソの全面戦争を引き起こして両国を崩壊させ、ブラックゴーストが世界を支配する)を聞かされ、博士とともに組織を離脱し、ブラックゴーストの暗躍に立ち向かうことになります。

少年キングから少年マガジンへと引き継がれた物語は、1966~1967年の「地下帝国ヨミ編」で敵集団ブラックゴーストの滅亡と、002(ジェット・リンク)と主人公である009が死亡することで幕を閉じます。

けれども、「ジョーを死なせないで」という読者からの熱い声が多く、結局ジョーとジェットは生きていた、ということになって続編が再開されることになります。それ以降、物語上の敵は宇宙から訪れる知的生命となり、「人間とは何か」「文明とは何か」といった哲学・文明論へと軸足を移していきます。未来や過去を行き来し、あるいは登場人物たちの内面へと沈潜するモチーフが多くなっていきます。「天使編」では、1952年に発表され、1964年には日本でも翻訳出版されたアーサー・C・クラークのSF小説『幼年期の終り(Childhood's End)』で描かれる悪魔の姿をした宇宙人で、未熟な人類を文明の黎明期から指導(飼育)してきたオーヴァーロード(Overlord)による人類進化促進と選別の物語を下敷きに、人類を戦争と憎悪に駆り立てながら進化を促進させてきた天使(宇宙人)と、その計画を拒絶するサイボーグ戦士たちとの戦いが描かれます。石ノ森はこの当時、並行的にSF作家の平井和正と共著となる「幻魔大戦」を少年マガジンに連載しており、ここでも国籍や出自多彩のエスパーたちが、宇宙を支配する神とも悪魔ともつかない巨大な敵と人類存亡をかけての戦いに挑む物語を描いています。

これは、1970年代に入ると顕著となる「1999年世界は滅亡する」というノストラダムスの大予言ブームと、それに引き続くオカルト、自分探しブームに先立つものでした。


サイボーグたちの旅路は反戦から「人とは何か」の果てしない迷宮へ…

「幻魔大戦」は不人気でマガジンでの打ち切り後、平井、石ノ森双方がそれぞれに続編を執筆するという特異な経緯をたどり、ここで両者の世界観・価値観の違いが明確に現れます。平井が手塚治虫の「火の鳥」と同様、仏教的な「輪廻転生」とその因果の果てのスピリチュアルな戦いを主眼にしたのに対し、石ノ森は徹底的に輪廻というギミックを物語に据えることを拒みました。そのせいか、石ノ森の作品はオカルトや宗教めいたモチーフを扱ってもどこかドライな抑制が効いていて、清潔感や透明感があります。

予定調和的な「幼年期の終わり」を180度反転させて、「神」による未来を拒絶して戦いを挑むことになる「天使編」は、完全な完結を見ることなく中断し、『COM』での「神々との闘い編」へと形を変えて引き継がれますが、これも中途で座礁します。

こうしてサイボーグ009の世界は、果てしない自問の迷宮の中に入ってゆき、完結を見ないまま作者の死を迎えたのです。完結を目指した『conclusion GOD’S WAR』では、神々(異星人)との壮絶な戦いを通じて、ゼロゼロナンバーたちがエスパー・サイボーグなる「超人」に脱皮するという構想をしていたようです。「超人」とはいかなるものなのか。超人となったとき、009や003(フランソワーズ・アルヌール)のナイーブで澄んだ瞳や、感情を放棄したような004(アルベルト・ハインリヒ)の悲しげな白目は、明るい輝きを取り戻すことになったのでしょうか。

思えば、「サイボーグ009」と同様の混迷と、終わらないループに陥っているシリーズを私たちは知っています。今なお完結を見ず、平行世界のような物語が繰り返しリリースされ続けるアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」です。

この物語もまた、宇宙からやってくる不可解な神の「使徒」、神によって造形された巨人「アダム」をもとにしたサイボーグ「エヴァンゲリオン」と、同調(操作)して戦う少年少女たち、さらに彼らを操るマッドサイエンティストやAI、謎の組織の暗躍が描かれる終末論的な物語です。

なぜ「エヴァ」や「009」は完結できないのでしょうか。どれほどの天才の想像力の翼をもってしても、人知を超える存在であるはずの「神」の心理や行動原理を説得力を持って表現することは不可能に近いからではないでしょうか。安直で陳腐な結末や暗示や抽象的な逃げではなく、本当の最終決戦とその先の世界のありようを描ききることは、おそらく全てのクリエイターが憧れ、しかし到達し得ない彼方にあるのです。「サイボーグ009」が、終わらない(終われない)物語になるのは必然だった、ともいえます。

石ノ森は「サイボーグ009」を、「はじめてプロ意識を強く持って向き合った作品」と振り返っています。そしてそれ以降、そのノウハウとエッセンスを「仮面ライダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」などのヒーローもので生かし、ライダーシリーズと戦隊ものは、現代もなお続く特撮シリーズの絶対的フォーマットとなっています。

戦後に到来したテレビ時代に、石ノ森作品のヒーローが子供たち、若者たちにもたらした影響は計り知れない大きなものがありました。その原点にして、それを否定する思想をも内包する「混沌」の世界こそが「サイボーグ009」だといえます。

夏に向けてイベントの中止や自粛が続いている今年の夏、この世紀の問題作に、どっぷり浸ってみるよい機会ではないでしょうか。



参考・参照

石森プロ公式サイト

サイボーグ009  石ノ森章太郎 秋田書店

虎よ、虎よ!  (著)アルフレッド・ベスター、(翻訳)中田耕治 早川書房画像提供元クレジット

※1 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/40/Tokiwaso-Manga-Museum.jpg

※2 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1b/Ishinomaki_station_%282858549277%29.jpg


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