その日、天界からソーマの慈雨が降り注ぎ…4月8日は「花祭り」 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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その日、天界からソーマの慈雨が降り注ぎ…4月8日は「花祭り」

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和やかで明るい花祭りの中心・花御堂

和やかで明るい花祭りの中心・花御堂

ルンビニーの花園で誕生した釈迦の姿を模しています

ルンビニーの花園で誕生した釈迦の姿を模しています

ヤマアジサイの変種・アマチャ

ヤマアジサイの変種・アマチャ

日本の花祭りにあたるタイの寺院のウェーサーカ祭の灯明

日本の花祭りにあたるタイの寺院のウェーサーカ祭の灯明

花まつりと習合された卯月八日には日本古来の天道信仰が

花まつりと習合された卯月八日には日本古来の天道信仰が

四月八日は「灌仏会(かんぶつえ)」。仏教の開祖・釈迦の誕生日(降誕会 ごうたんえ)とされ、各地の寺ではさまざまな花で飾った「花御堂」を置き、花御堂の水盤(灌仏桶)に甘茶(アマチャの乾葉を煮出したもの)を張って、中央に据えられた生まれたてのお釈迦様をかたどった小さな像に柄杓(ひしゃく)で甘茶を注ぎかけます。仏教伝来とほぼ同じ時代の飛鳥・奈良時代から、「仏生会」として行われ、やがて庶民のお祭り「花祭り」へと変化しました。


小さな花御堂にこめられた壮大な神話

主に東南アジア地域に伝播した南伝仏教(小乗仏教・上座部仏教)では、釈迦の誕生・成道(大覚・悟り)・入滅の三つの出来事はすべてインド暦第二番目の月ヴァイシャーカの満月の日に起きたとされ、これをウェーサーカ祭りとして盛大に祝いました。現代でも、東南アジアから中央アジアの各国では、グレゴリオ暦で五月ごろにあたる五月中ごろに盛大に祭りが行われます。一方中国で発展した北伝仏教(大乗仏教)では、中国暦四月の八日が釈迦の誕生日とされたため、旧暦四月八日が「灌仏会」の日となりました。

ミニチュアの四阿(あずまや)形状の花御堂は、屋根全体、周囲や柱に花が埋め尽くされるように飾られ、釈迦の生まれたルンビニーの花園のさまをあらわしています。花御堂の内側には水盆(灌仏桶)が据えられます。水盆には甘茶が満たされ、その真ん中には北伝仏教(大乗仏教)の経典『方広大荘厳経』(ललितविस्तर、Lalitavistara)での記述、生まれてすぐに立ち上がり、四方に七歩ずつ歩いて「天上天下唯我独尊 三界皆苦我当安之」と唱えたという伝説に基づき、すっくと立って右片手を天に、左手を地に向けて指を指している誕生仏の小像が置かれ、信者・参拝者たちは甘茶を柄杓ですくい、誕生仏に注いでその誕生を祝います。

仏教行事は概して荘厳で重々しく、施餓鬼供養や盂蘭盆会などちょっと怖めのものが多いのですが、この花祭りに関しては、なんともかわいらしく明るい行事です。稚児行列や舞踊、摩耶夫人の釈迦懐妊の夢に現れた六牙の白い象の人形なども登場して、楽しい雰囲気に満ちています。

甘茶を誕生仏に注ぐのは、西暦1~2世紀ごろのインドの仏教詩人で僧侶のアシュバゴーシャ(Aśvaghosa 馬鳴/めみょう)の釈迦伝記叙事詩『ブッダチャリタ』(बुद्धचरित、Buddhacarita 漢訳・仏所行讃 日本語訳・仏陀の生涯)の詩句に由来し、それを模したもので、法華経にも登場する釈迦如来の眷属で龍族の八大龍王(はちだいりゅうおう/難陀・跋難陀・沙伽羅・和修吉・徳叉迦・阿耨達・摩那斯・優鉢羅の八体の龍の王)が天界の飲料・ソーマ(सोम、soma)の雨を灌(そそ)いで祝福したという伝説をもとに、釈迦の降誕の日に釈迦の童形像を飾り、楽を奏し、香華を焚き、香水で沐浴灌水するという「灌仏の式」が行われるようになりました。それが、後に中国や日本にも伝わったものです。日本では宮中行事として、インドや中国に倣い、灌仏には五種の香水(五香水または五色水)を用いました。承和七(840)年には、清涼殿で仏像に香水を灌ぐ儀式が行われています。

この灌仏会が「花祭り」となったのは比較的最近の明治34(1901)年と、近代に入ってからのこと。浄土真宗の僧侶・安藤嶺丸が新暦四月八日を「花祭り」と称して、現代の花祭りと同じようなコンセプトの子供たちのお祭りとし、これが次第に普及していったものです。


アジア全域に灌仏会はあれど…日本では貴重な甘茶をかけた

花祭りで、五香水の代わりに甘茶が用いられるようになったのは、江戸時代ごろから。落葉低木アマチャ(Hydrangea macrophylla var.thunbergii)はアジサイ科アジサイ属で、変わった名前がついているものの、学名からお分かりになるかもしれませんが、分類学上はヤマアジサイの変種(亜種)になります。

花はヤマアジサイとそっくりの散房花序で、全体の姿もほぼヤマアジサイと変わりません。中世ごろにその甘味変種が発見され、栽培されるようになったようで、生薬としても使われました。

別種のアマチャヅルが元祖甘茶として『多識編』(1612年)に登場するのに遅れること約半世紀、『花壇地錦抄』(伊藤伊兵衛 1695年)に、「甘茶、花形あぢさいのちさき物なり。葉をあまちやにするに、むして細末して用う」とあるのがほぼ文献初出で、『本草綱目啓蒙』(1803年)では、山城国(京都)宇治で栽培され、四月灌仏会に供するとあり、現代の花祭りの風習がこの頃には確立したことが分かっています。

甘茶はアマチャの夏葉を取って作りますが、そのままでは甘くはなく苦味しかありません。葉を水洗いして数日間日干しにします。さらにこの葉に霧をふきかけて湿らせ、むしろで覆って蒸して発酵させ、これを手で揉んでから再度乾燥させます。

この過程で苦味成分のグルコフィロウルシンがフィロズルシンへと変化し、甘くなるのです。フィロズルシンは砂糖の約1000倍の甘さを持つため、砂糖が貴重だった時代には、甘茶は甘味成分として使われていました。現代では、人体に吸収されないため、糖尿病の食事療法にも用いられます。

伊豆天城地方付近には、ヤマアジサイのアマギアマチャがわずかに自生しています。調製発酵しても栽培種のアマチャほどは甘くはないのですが、やはり甘くなります。このため「甘木」とも呼ばれています。天城→甘木、と名称的には、どことなく後づけに思えなくもありませんが、このように野生種の中にたまたま葉が甘くなるアジサイの変種株が見出され、それがアマチャの原種となった、という過程を示唆してもいます。

全国のアマチャは、遺伝子的に一つの親株から生まれたものだ、という研究結果も出ています。日本特産の生薬の由来が、今後判明するときが来るかもしれません。


今や知る人も少ない卯月八日の神事。花祭りと深いかかわりがありました

仏教が次第に庶民の生活・習俗に浸透していくと、初夏の時期に行われる稲田に山の神を導く民間信仰行事、「お山始め」「神の日」「春山入り」と花祭りが時期的に近かったため、やがて「卯月八日」へと変化習合されていきました。

花祭りには今でも甘茶で墨を磨って「ちはやぶる卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」と書写して、門口や柱に貼り付け、虫除け・虫封じの護符とするという農事的な風習も知られています。

早春のころから、田打ち・代かき・畝作り・種付け…と田植えへの準備を入念に行ってきた農村では、いよいよ丹精込めた苗を田に植えつけるのに先立ち、山の神を田へと導くための特別な祭礼を設けました。

春山に登り、野の花を摘み、これを「天道花」と称して高い竿の先に飾り、神の依り代とし豊作を祈念しました。山の神は古い信仰で共同体の祖霊ともされましたので、祖霊を迎えるために、古くは共同体の中の女性たちが山で禊斎し、花を摘んで山から下りてきて、その山の霊力を担って田植えするという役割を託されました。

時代が下って聖山に女性が入ることを忌む風習が生まれても、この卯月八日だけは特別でした。たとえば比叡山も明治初期まで女人禁制でしたが、その時代であっても、卯月八日には入山して花摘社に参拝することを許されていました。卯月八日には農事は一切禁止で、ひたすら祖霊である山の神に「田の神」として働いてもらうために歓待する日としたのです。

卯月八日は、彼岸や盂蘭盆と並んで、日本古来の習俗信仰(太陽信仰)がその古いかたちを残しながら仏教行事と融合していった、興味深い事例といえるでしょう。



東北の山岳信仰 岩崎敏夫 岩崎美術社

薬草カラー図鑑 講談社

花壇地錦抄


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