白地に青をあしらった食器がいい! 夏が来るとこんな食器を食卓に並べたくなりませんか。特に意識はしなくとも、何となく涼しさや心地良さを感じる「青」や「藍色」に目がいってしまうようです。 「青」と言えば海の青、空の青ですが特に深みを帯びた青は「紺碧の海」や「紺碧の空」と特別な意味をこめて呼んでいます。同じように太陽の光をうけて輝く異国ではどんな「青」があるのでしょうか。興味が湧きました。「青」をテーマに歴史を遡って地球を少し旅してみようと思います。ぜひ、おつき合いください。

「サマルカンドブルー」砂漠の中で明るく輝く「青」に憧れます!

中央アジアの国ウズベキスタンの古都サマルカンドは、14世紀終わりから15世紀にかけてティムール帝国の都として栄えました。砂漠の真ん中で星がきれいに見えたのでしょうか、天文台を作り天体観測が行われました。当時天文学においては世界の先端にあったと言われています。丸いドームを持つイスラム教の寺院、アーチの美しい神学校メドレセ、歴代支配者を弔う荘厳な廟等、多くの建造物が建てられました。表面は青の濃淡と白や金を多用したモザイクで作られた幾何学模様がぎっしりと敷き詰められており、隅々まで豊かな装飾が施されています。サマルカンドで作られた青には宇宙を思わせる奥の深い青、太陽の光を持った鮮やかな青、砂漠を感じさせるくすんだ青とさまざまな青の表情を見せてくれます。まさに「サマルカンドブルー」と呼ばれる青の美しさは大地の自然から生まれたように思われます。

サマルカンド「グリ・アミール廟」
サマルカンド「グリ・アミール廟」

「アズレージョ」はポルトガル国民の「青い芸術」

ポルトガルを訪れるとどこでも出会うタイル装飾「アズレージョ」。歴史や文化、伝説を「アズレージョ」に描くことで芸術を発展させ、現代まで伝え続けているのです。白地のタイルに青色の濃淡ですべてを表現し尽くします。日本人にとっては水墨画を思わせ親しみやすいもののように思われます。
「アズレージョ」は建物の表面全体を覆う形で使われましたが、次第に室内の壁にも使われるようになりました。イタリアからマヨルカ焼きがもたらされると大量生産が始まり色も加わるようになり、一般家庭でも使われるようになっていきます。ポルトガルの町はいまでも至るところで「アズレージョ」に出会います。

ポルトの町の「アズレージョ」
ポルトの町の「アズレージョ」

大航海時代「アズレージョ」は海を渡り東洋へ!

マカオへ旅したとき、現代のマカオとは違った顔を歴史地区に感じると思います。
15世紀に始まる大航海時代の口火を切ったのはポルトガルでした。これにより日本も世界の歴史の大きな波に出会います。1543年の種子島の鉄砲伝来、そして1549年フランシスコ・ザビエルによるキリスト教宣教です。その後1613年に徳川幕府がキリスト教禁止令を出すまで、マカオはポルトガルのキリスト教布教基地となったのです。ポルトガル人はマカオに住み続け居留地をつくり、19世紀には植民地として支配を続けていくのです。ですからマカオは東洋にあるといえどもポルトガルの文化が生きていたのです。
「アズレージョ」ももちろん伝えられました。今でもマカオの町にはちゃんとその名残が残されているのです。

マカオの「アズレージョ」
マカオの「アズレージョ」

「藍青」は日本を代表する「染付」に!

きっとどこの家にでも、なにか染付の食器があることでしょう。透明感のある白色の地に青一色で描かれた文様は美しく発色します。幾何学模様や景色、野菜、人物など器の中はさまざまな表情をみせ、どんな食材を合わせてもちゃんと様になるのが嬉しいところです。
白と青の2色はシンプルでいて爽やか、夏の暑さをしのいでいけそうな力を持っています。青といってももう少し濃い、藍が混ざったような「藍青」とでもいいたくなるような深さをもっている「染付」を日本の「青」の代表にしたいと思うのです。
大西洋に乗り出したポルトガル人の海の青「アズレージョ」、乾いた砂漠世界の色鮮やかな「サマルカンドブルー」、どの青も心に残る美しさを持つゆえに今も残っているのです。
今年の海や空の輝きも夏休みの思い出とともに脳裏に刻みこまれることでしょう。

鍋島藩窯橋
鍋島藩窯橋