3月31日より、春分の末候「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす/らいだいはっせい)」となります。「乃」は「ようやく」の意味で、「雷鳴がよくやく聞こえだす時期」ということになります。大雪初候「閉塞成冬(へいそくしてふゆとなる)」で天地の気の疎通が途絶えて以来、一歩一歩と陽気が復活し、ついにこの時期に至って天地の気は再び触れ合い相呼応し、半ば寝ぼけまなこの生き物たちを揺り起こす号令のように雷鳴がとどろき始めます。生命が躍動する春、そしてその先に近づく夏への予兆でもあります。

雷は下からのぼる?ってほんとなの?

「雷乃発声」は、宝暦暦以来春分末候ですが、中国の宣明暦と、江戸前期の和暦・貞享暦では春分次候となっています。そして、宣明暦では、春分末候は「始電(はじめていなびかりす)」とされます。「電」または「電気」と言えば、現代の私たちは発電所で人為的に作り出すエネルギーのことになりますが、かつては「電」とは稲妻、雷光のことを意味しました。つまり「雷電」ワンセットで今私たちが言う雷という気象現象をあらわしました。
雷は、冬の不順な気候条件でも発生しますが、大半は気温の上昇で発生する積乱雲とともに出現します。三月末から四月初め頃から発生数が上昇し始め、八月の盛夏頃がピークなのはご存知のとおり。
雷は、上空の冷たい空気層に存在する氷の結晶やチリなどがこすれあい、分子間で大量の電荷分離が置きることで発生する、自然の放電現象です。地上の湿った空気が太陽により温められて上昇気流が生まれると、上空に大量の水分が供給され、雲の中で大量の氷粒か滞留してこすれあい、原子の周りを回る電子がはじき出され、マイナス電荷をもつ電子と、プラス電荷を持つ正イオンに分離(電離)します。正イオンは雲のより上層にたまり、電子は雲の下のほうに移動し、雲の中に電界が発生し、プラズマ気体状態を形成します。すると、雲の中で放電現象=稲光が発生し始めます。積乱雲の中で雲を透かしてピカピカと稲光が籠って光るのをごらんになったことがあるかと思います。この雲内放電は、雲の下部から上部へと上るかたち。しかし、積乱雲がより発達し、雲が低くたれこめはじめると、雲の下部の電子は、上部の正電荷に向かってではなく、地面の正電荷に向かって放電を始めるのです。これこそが私たちが見る、雲から枝状、あるいは血管のようにぎざぎざに光って落ちてくる稲妻です。
この稲妻が地上の建物や木などの物体にふれると「落雷」といわれるわけですが、「実は落雷は落ちるのではなく地上から昇っているのだ」という専門家の説明を聞いたことがないでしょうか。雷が上から下ではなく下から上?実際雷の光脈を見ていると、どう見ても雲から下に向かって放電の光が走っているようにしかみえません。どういうことでしょうか。目の錯覚?

稲妻は上から下。でも落雷は昇雷なのです

稲妻が上(雲)から下(地表)に降りるのは錯覚でもなんでもありません。
発達して垂れ込めた雷雲の下部分にたまった電子(マイナス電荷)は、プラス電荷をもつ地面へと、槍のようにプラズマ放電の枝を盛んに突き出します。これが暗い雲からギザギザの光脈で降りてくる稲妻、稲光です。この稲妻の先端が中空にとどまるうちは美しい光の枝のように見えます。ところが、先端がさらに伸びて地面近くまで来たとき、劇的現象が起こります。地表の正電荷がこのプラズマの枝を捉えてつかむのです。その瞬間、大量の正電荷が光脈に流れ込みます。つまり電流が一気に流れるわけです。すると、光脈は目もくらむような激しい光と轟音を放つ光の柱に変貌します。これが落雷です。
電子によるプラズマ放電、私たちが目視している(目視できる)稲妻は上から下へと伸びていますが、落雷現象は下から上へと昇っている、ということになります。地表近くまで降りてきた電子が作ったプラズマ放電の「道脈」を、電流がかけ上るわけですね。落雷は大変な光量が一気に解き放たれる爆発的な現象で、衝撃もすさまじいので、生身の人間がまともに見ることはできないため、感覚的に「落ちてきた」と感じてしまうのです。
まさに天の気と地の気の織り成す、地球上でももっとも劇的なセッション「雷」=神鳴り。古代人がそこに神の存在を感じたのもよくわかりますよね。

雷は実りに欠かせないものをもたらしていた!

古くより「雷が多い年は豊作」とも言われ、雷の別名「稲妻」は、雷が稲の穂を実らせる「つま=夫」であると考えられたことから来ています。これは、稲が穂をつける夏から秋口にかけて盛んに落雷が発生することから生まれた信仰でもあり、また、熱帯がふるさとの稲には夏の高温と豊富な水が必要です。雷雲は気温が高いときによく発達し、田畑に雨をもたらすことから、稲穂の生育に雷は欠かせないものだ、と考えられていたことは分かります。
しかし、雷の作物への恵みはこれだけにとどまりません。園芸をやっている方ならば常識ですが、植物である農作物が育つために必要なのは水と光の他に、根を張った土壌から吸収される養分。中でも、窒素・リン酸・カリ(カリウム)は三大肥料と呼ばれて不可欠なものとされています。ところが窒素は、大気中の80%を占める主要要素であることからもわかるとおり、通常は気化している元素です。植物がこれを吸収するためには地中に固定化されなければならないのですが、この窒素固定をできる植物は、ランソウ類の他、根に根粒菌を共生させているマメ科植物などにかぎられています。このため、化学肥料がない時代には、マメ科であるレンゲやクローバーを休耕中に育て、すきこんで窒素を補給するしかありませんでした。現代でも有機農法で行われる施肥の方法です。
ところが、雷も実は窒素固定を担っていることがわかってきました。空気中で強い放電を行うと、空気中の窒素(N2)と酸素(O2)が結合し、窒素酸化物となるのです。これに雷雲がもたらす雨水(H2O)が溶けて硝酸(HNO3)となって地中に溶け込み、土中でさらに化合物となって根に吸収されます。マメ科植物や微生物、動物など、生物による地中への窒素固定は地球全体で、年間約1.8億トンといわれますが、なんと雷による自然放電によっても年間 0.4億トンもの窒素が地中固定されているといわれています。
都市にとっては厄介扱いしかされない雷ですが、米どころといわれる場所の多くは雷の多発地帯。雷もまた、私たちにとっては本来はありがたいものだったのです。