二十四節気では大寒、雑節では土用に入り一年で一番寒い季節になりました。春が待ち遠しい毎日ですね。この時期に作られるものには何かと体に良いものが多いですが、今では見かけなくなったものの一つに「寒紅(かんべに)」があります。今日1月21日は近代女性俳人の一人・杉田久女の忌日です。『寒紅』をはじめ女性らしい句を多く詠んだ杉田久女の生涯とは…。

始まりは「台所俳句」から

1890年5月、鹿児島県に世を受けた久女は1908年に東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)付属高等女学校を卒業し、1909年に画家・杉田宇内と結婚し福岡へ嫁ぎ2人の女の子に恵まれました。次女が生まれた頃から、高浜虚子が雑誌「ホトトギス」に作った台所雑詠欄に投句するようになりました。台所雑詠欄からは、すでに長谷川かな女・阿部みどり女・高橋淡路女が輩出されていて、久女は1917年1月号に掲載され女流俳人となりました。家内という言葉があるようにその頃の女性は家の中にいるものでしたが、久女は虚子に会うために上京するなど、とても行動的な女性でした。

情熱ゆえの苦悩と葛藤

『足袋つぐやノラともならず教師妻』 久女
ノラとはイプセンの『人形の家』の主人公の名前です。娘時代は父親に、嫁いでは夫に従ってきたノラが自我に目覚めて家を出るという小説ですが、久女にとっては夫が画家から教師になったことが「こんなはずじゃなかった」悩みの種であったようです。とはいえ自分はノラにはなれない…という葛藤を表わした一句です。この悩みは家庭不和につながりますが情熱の火は消すことが出来ません。
『花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ』 久女
※季語「花衣」 花見に着ていくきもの
こちらの句はお花見から帰って来てきものを脱いでほっと一息、の情景を俳句にしたものですが、『~まつわる紐いろいろ』の表現はたいへん奥深いと言えるでしょう。現代でも女性はいろいろな『紐』に縛られて生きていることは変わらないので、共感できる女性も多いのではないでしょうか。

女性ならではの季語『寒紅(かんべに)』

『笑み解けて寒紅つきし前歯かな』 久女
「寒紅」は他の寒造り同様品質がよく、縁起物とされていました。ことに、土用の丑の日に発売される紅は「うし紅」と呼ばれて行列ができるほどの人気だったそうです。現在は昔ながらの「紅(べに)」はほとんど作られていませんが、明治時代までは紅売りがいて、焼き芋のように「かんべに~…」と売り歩いていたと言います。冒頭の久女の句は受け手によって解釈が異なるものかもしれません。「笑み解けて」をどう受け取るかが分かれ目でしょう。解けた「笑み」は唇を閉じたのか、笑みに開いたのか?気になるところですね。

久女伝説は小説やドラマにも

久女はこの後、虚子からホトトギスを除籍され俳句以外に随筆も手掛けたかと思うと、腎臓病に苦しみ、戦後の食糧難により1946年に入院先で衰弱死してしまいます。享年56歳でした。生きている内に句集を出すことはかないませんでしたが、長女・石昌子により句集と随筆集が刊行されました。また、昌子は母と同じ俳人の道を歩みます。波乱万丈で太く短い一生を送った久女は、多くの誤解を生んで実際とは異なる久女伝説が残っていました。そのためか松本清張をはじめ小説の題材にされることも多かったのですが、1986年に田辺聖子が真実の姿を「花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女」を刊行し、汚名を返上することができました。
翌1987年にはドラマ「台所の聖女」(NHK)において、昨年亡くなった樹木希林さんが主演しました。その演技はたいへん好評でしたから、久女も草葉の陰で喜んでいたのではないでしょうか。
今年の冬土用の丑の日は来週の28日です。うし紅にちなみ、口紅を新調して久女の気持ちを想像してみるのも一興ですね。

出典・引用
『角川俳句歳時記 冬』 角川学芸出版編
『覚えておきたい極めつけの名句100』 角川学芸出版編
『俳人目安帖』 ジャパンナレッジweb
伊勢半 公式サイト