日本に恋したラフカディオ・ハーンー9月26日は八雲忌 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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日本に恋したラフカディオ・ハーンー9月26日は八雲忌

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松江 カラコロ広場の小泉八雲像

松江 カラコロ広場の小泉八雲像

松江 小泉八雲旧居

松江 小泉八雲旧居

小泉八雲旧居の南の庭

小泉八雲旧居の南の庭

小泉八雲旧居の北の庭

小泉八雲旧居の北の庭

9月26日は小泉八雲(1850-1904)の忌日。小泉八雲、旧名ラフカディオ・ハーンはギリシャに生まれ、アイルランド、イギリスなどに移り住んだのちアメリカで新聞記者となり、1890年(明治23年)に来日。島根県松江中学の英語教師、熊本の第五高等学校講師、東京大学文学部講師、早稲田大学講師などを務めました。「耳なし芳一」をはじめとする『怪談』で有名ですが、国内の各地を見聞した記録は、まるで日本に恋したかのような、微笑ましい情感に満ちています。今読んでもますます新鮮な、小泉八雲の日本見聞の入口をご紹介します。

日本全部が欲しいのだ

ラフカディオ・ハーンは、幼い頃のアイルランド人の父とギリシャ人の母の離婚ののち、資産家の大叔母にダブリンで育てられました。しかし、16歳の時に事故で左眼を失明し、大叔母も破産するなど極貧と失意の中、19歳で渡米します。働きながら図書館で勉学に励んで新聞記者となり、文芸批評の寄稿や著書出版にも着手。孤独と流転の半生ながらも、新天地アメリカでの努力が実っていきます。
1884年、博覧会で見た日本の展示物に興味を持ったハーンは、2年後にニューヨークへ移り、西インド諸島、フランス領マルティニーク島でのルポタージュを執筆。次に命じられた取材地である日本に渡航したのは1890(明治23)年、39歳の時でした。当時の欧米では、東洋へのエキゾチシズムが高まっていたのです。到着早々、横浜での一日目を描いた作品「東洋の土を踏んだ日」からは、ハーンの浮き立つ様子が直接伝わってきます。
「小さな妖精の国――人も物も、みな、小さく風変わりで神秘をたたえている。青い屋根の下の家も小さく、青いのれんを下げた店も小さく、青い着物を着て笑っている人も小さいのだった。」こぢんまりと優雅で、ゆったりと穏やかな世界は、イギリスの昔話で育まれた想像力の持ち主、すなわちハーンにとっては、「夢見た妖精の国の夢が、とうとう現実になった」と語るのです。
街を行き来して、見たものをすべて買いたくなる、とハーンは悶々。けれども「内心、真に買いたい」のは「店であり、店主であり」「いや町全体、その町を取り巻く入江と山々」「不思議な魅力を持つ樹木、光みなぎる大気、神社や寺院、くわえて全世界でもっとも愛すべき四千万の国民をひっくるめた、日本全部が欲しいのだ」。手放しの惚れ込みようです。

神々の国の首都

やがて移った松江で、ハーンは松江藩士の娘、小泉節子と結婚。放浪の半生の末に幸せな家庭を得てその後、熊本、神戸、東京と移り住みます。しかし2年足らずの居住だった松江が、ハーンにとっては、魂の原郷のようにも思えたのでしょう。「神々の国の首都」と称した松江について、たくさんの紀行文や滞在記を描きました。古い多神教の世界に、生き別れた母の故郷ギリシャを投影して、大いなる興味と深い共感を抱いたといわれています。節子夫人が語り部となり、各地の民話や伝説を聞き書きした『怪談』は、代表作となりました。

日清戦争集結翌年の1896年、家族の今後への配慮もあり、45歳のハーンは日本に帰化。小泉八雲と名乗るようになります。「八雲」は、古事記の古歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」からのものでした。
「日本に、こんなに美しい心あります、なぜ、西洋の真似をしますか」と常に節子夫人に語り、万事西洋風よりも日本風を好んだ八雲。彼が大切にしたのは、蛙や、蝶や、蟻、蜘蛛、蝉、夕焼け、夏、芭蕉、淋しい墓地、蓬莱など、小さいもの、はかないもの、夢の中のようなものだったといいます。
日本の風土や精神性を広く海外に紹介する一方、八雲は英語や英文学の講義も人気で、最後の勤務地・早稲田大学には、小川未明、野尻抱影、坪内逍遥らが誘致運動を起こしました。しかし残念ながら、勤めが始まってから半年の1904(明治37)年9月、八雲は狭心症のため54歳で急逝。日本がロシアに宣戦布告、日露戦争が始まった年でした。

雲に入りなほしづむ日やヘルンの忌

日本の急速な近代化に警鐘を鳴らし、失われていく日本の面影を追い求めた八雲でしたが、一方で彼はまた、五感をフルに活用した観察眼で、唯一無二の日本分析を発表したジャーナリストでもありました。例えば、下駄の音について、こんな表現があります。
「はいて歩くと、いずれもみな右左わずかに違った音がするーー片方がクリンといえば、もう一方がクランと鳴る。だからその足音は、微妙に異なる二拍子のこだまとなって響く。」
常に、人々の生活の音、鳥の囀り、子供たちの笑い声などに耳を澄ませた八雲。松江では、立ち上る雲の様子や、宍道湖の日没などを彩り豊かに描きました。改めて八雲の著作を読めば、その鮮やかで生き生きとした描写力に驚きます。小泉八雲を舟先案内人にして、あらためて妖精たちの国、神々の国を冒険する楽しみも増えそうですね。
では最後に、八雲忌の句をご紹介します。さまざまな物語の余韻が残ります。

・八雲忌の蜻蛉木槿に戻しやる
〈萩原麦草〉
・八雲忌や飽かず眺める海の色
〈中道千代江〉
・金のペン先を買ひ替へ八雲の忌
〈村上 清〉
・笹掻きの牛蒡匂へり八雲の忌
〈松井禮子〉
・雲に入りなほしづむ日やヘルンの忌
〈高橋博夫〉

【句の引用と参考文献】
『ザ・俳句十万人歳時記 秋』(第三書館)
小泉 八雲(著)平川 祐弘(編)『神々の国の首都』(講談社)
ラフカディオ・ハーン(著) 和田 久実(監訳)『小泉八雲 日本の心』(彩図社)


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