9月8日より、二十四節気「白露(はくろ)」の節に入りました。暦上ではすでに仲秋。白露が終わると秋分(秋の彼岸)を迎えます。「こよみ便覧」(太玄斎)では、「陰気ようやくかさなりて露こごりて白色となればなり」と解説し、夜間の冷気が露を結び、白く見えるさまを表現しています。夜露を日中のからりとした空気と日差しが乾かすことを繰り返し、草木の実は滋味を増して成熟していきます。

生き物たちが入れ替わり、いよいよ本格的な秋の訪れです

二十四節気に色彩が織り込まれるのはこの節「白露」のみ。五行思想で白が秋を表す(白秋という言葉や、方角では秋は西に対応するため、守護神獣は白虎です)意味もこめられていますが、それならば他の季節の色も入ってもよさそうですよね。
本朝(和暦)七十二候は、初候が「草露白(そうろしろし/くさのつゆしろし)で、白露をそのまま反映させたもの。
次候は「鶺鴒鳴(せきれいなく)」末候は「玄鳥去(げんちょうさる)」。玄鳥=ツバメが越冬のために南に去っていくのはよくわかりますが、鶺鴒=セキレイが鳴き始める、と言う候は、もしかしたら現代の私たちにはピンとこないかもしれません。というのも、ハクセキレイ、セグロセキレイなどのよく見かけるセキレイは、ほぼ全国的に留鳥で、一年中見かける野鳥だからです。しかし実はそうなったのは20世紀後半、戦後になってからで、それ以前には夏季にはセキレイは東北以北に渡りをし、夏が終わると暖地に戻ってきていたのです。地球が温暖化しているので、暑さが苦手ならばこの変化は説明困難ですよね。かつては典型的な冬鳥であったジョウヒタキも、夏に暖地から北行せず留鳥になる傾向があり、人間の近くで暮らす鳥たちに都市化による適応変化がはじまっているのではないか、といわれています。
ときに二十四節気七十二候は、時代とともに自然風物すら変化し、一定ではないことも伝えてくれます。

セグロセキレイ
セグロセキレイ

日本の秋を演出するコスモス。どうして「秋の桜」?

さて、そんな秋の花と言うと、さまざま思い浮かびますが、なんと言ってもキクの仲間が目立つ季節ではないでしょうか。もちろん、春にはフキやタンポポ、夏にはヒマワリやアザミと、キク科はどの季節にも咲いていますが、9月9日の菊の節句(重陽の節句)や菊人形祭りなど、菊が主役となる行事が多いこともあり、短日性の性質が強いキク科にとっては日に日に夜が長くなっていく秋はまさに旬。山野では、初秋から可愛らしいヨメナやノコンギクなどの野菊が咲き乱れ始め、晩秋のツワブキ、アワコガネギクまで、さまざまなキクの仲間が次々に咲き継いで、長い秋を彩ります。
日本人が大好きな、あのコスモスもキクの仲間。9月中旬頃から、寒冷地から順に列島を南下しながら咲いていきます。樹上では柿や栗、ドングリがつややかに実り、ススキの穂波が輝く中、細い葉と茎をそよがせるコスモスの群生も、日本の秋の風景そのもの。
でもコスモス(Cosmos bipinnatus)は名前からもおわかりの通り、在来種ではなく外来の植物。メキシコの高地中心に、アメリカアリゾナ州からボリビア原産のキク科キク亜科に属する一年草。高さ1m~2.5mほどになり、茎はよく分岐して葉は羽状に細かく割けて糸状に近い形をしています。小さくまとまった筒状花は黄色からオレンジで、この花房の最外縁に位置した8つの花が、それぞれ花弁の内の1枚が大きく発達して舌状花弁となり、一重咲きの場合は通常8枚の発達した花弁をつけることになります。花色は発色のよいピンク、純白、赤が一般的で、オレンジや黄色などの品種もあります。
かわいらしい花をいっぱいにつけて秋風に揺れるさまは風情があり、全国各地で観光花畑が作られている一方、旺盛な生命力で明治期以来多くの開けた草原や河川敷などで完全に野生化。いまや日本人にとってなじみの深い野の花のひとつとなっています。
このコスモス、漢字で表記すると「秋桜」。何となく流されて受け入れられていますが、なぜコスモスが「秋の桜」なのでしょう?不思議には感じませんか?

桜に似ていますか?
桜に似ていますか?

「秋桜」の桜とはサクラの花ではなく、あの花のこと

コスモスと言う変わった名前は、属名のCosmosから直接取っています。英語でも同様で、語源であるギリシャ語のコスモス(κοσμος)には「秩序・調和・宇宙」、そこから派生して整った外形的な美を表すようになりました。これは、1791年「コスモス」と命名したスペインのマドリッド王立植物園園長・アントニオ・ホセ・カバニエス神父も、8枚の花弁が放射状に広がった万華鏡のような花の整然・端正な姿を神の秩序そのものと感じたためではないでしょうか。
日本には、幕末の文久年間(1861~1864年)にオランダから伝わったのが最初で、その後、明治12(1879)年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に招聘された彫刻家のラグーサが種子を持ち込んで植栽するなどして、次第にひろまっていったようです。当初はコスモスを大波斯菊(オオハルシャギク 大春車菊とも)と呼んでいました。波斯とはペルシャのことで、コスモスとペルシャ(イラン)とはまったく関係ないのですが、当時、舶来のものには波斯と名づけることがはやっていたようです。他にも「蛇の目草」などの名がつけられますが、さほど定着せず、やがて明治後期になると、「秋桜」という名で呼ばれるようになります。誰が呼び始めたのかはわかりませんが、この「秋桜」のほうは、今でもコスモスの当て字、漢字名として通用していますよね。歳時記や辞書ではこれを「花びらまたは花の形が桜に似ているから」という説明をしています。けれども、本当に似ていますか?
コスモスの舌状花弁は、ふくらみ、丸みが少なく同じキク科のヒマワリや野菊に近い剣状で、先端はぎざぎざにいくつも切れ込んでいます。桜の花びらはふっくらと丸みを帯びた紡錘形で、先端部は一箇所のみ切れ込んでいます。花の中心部は、コスモスは小さな花の集合体ですが、桜はおしべとめしべです。花色も、コスモスはくっきりとしたピンク、白、赤、オレンジなどの明瞭な色で、かたや桜はうっすらと色づいた微妙な淡い色あい。そして花弁の数は、コスモスが8で桜が5。どうでしょうか。似ているところがどこかあるでしょうか。
では、秋桜の名前の由来は何なのでしょうか。筆者はサクラソウではないかと考えています。
サクラソウ(桜草 Primula sieboldii)はサクラソウ科サクラソウ属の多年草で、春早いころに咲き出す五弁のかわいらしい花です。園芸品種のプリムラは同じ仲間ですから、それを思い浮かべていただくと大体わかります。現在は開発で数を減らしていますが、江戸時代、武士階級の人々が荒川土手近辺に自生するサクラソウを掘り取って盛んに育ててブームにもなりました。現在では埼玉県の県花で、同県のさいたま市桜区の田島ヶ原は、貴重なサクラソウ群生地として、保護されています。
このサクラソウ、桜の花に似た五弁花で、先端部には切れ込みが一つ、花びらの形も作りもよく似ています。このため桜草と名づけられたわけですが、ただ花色はくっきりとしたピンク色。そう、コスモスのピンク色とよく似た色味なのです。秋桜の桜は、サクラソウと似たピンク色の花で、秋に咲く草であることからつけられたもの、ではないかと筆者は考えます。
秋の彼岸ももうすぐ。青く澄んだ昼間の秋空にも、夕焼けの逆光にも美しく映えるコスモスの花を、堪能できる季節がやってきました。

サクラソウ
サクラソウ