二十四節気「処暑」の次候は、「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。七十二候の一つで、8月28日~9月1日頃に当たります。夏の気が落ち着き暑さもようやく鎮まってくる頃、という意味になります。確かに早朝や日没後に心地よい風を感じることが多くなりましたが、まだまだ各地で、日中は残暑が厳しい昨今です。時代を超えて夏の終わりと初秋を詠んだ俳句を眺めながら、涼しい秋の気配を待つことといたしましょう。

牛部屋に蚊の声闇き残暑哉

このところ毎年のように、記録的な暑さや長引く残暑が報道されています。さぞ江戸時代の頃は凌ぎやすい気候であったろう、と現代人は羨んでしまいますが実際には、エアコンも扇風機も無い時代。立秋を過ぎてもまだ暑さが厳しいことを指す「残暑」を季語とした俳句も、多様に詠まれていました。「残る暑さ」「秋暑し」「秋の暑さ」「秋暑」も関連季語として、同様に使われます。

・牛部屋に蚊の声闇(くら)き残暑哉
〈芭蕉〉

松尾芭蕉(1644〜1694)の晩年に近い作品ですが、この句の初案は「牛部屋に蚊の声よはし秋の風」。「秋の風」を「残暑」としたことで、むっとするような重い暑さが現れました。暗い空間の、蚊の羽音が耳に浮かんでくるようですね。

・草の萩置くや残暑の土ほこり
〈北枝〉
・さし鯖の油に残る暑さかな
〈帯路〉
・行雲のうつり替れる残暑かな
〈魚素〉
こういった一連の句にも、現代の私たちにも共感できる、気怠く続く暑さが表現されています。

・残暑をも推(おし)だす風のちから哉
〈貞徳〉

松永貞徳(ていとく)(1571〜1653)は、江戸時代初期に活躍した俳人、国学者。若い頃には豊臣秀吉の右筆、いわば書記係でしたが、関ケ原の戦い後は、私塾で和歌や俳諧を指導しました。江戸初期に、俳句を全国津々浦々にまで普及させた功績の人なのです。そんな貞徳も、鬱陶しい残暑を追いやってくれる風を、素直に詠んでいます。

吊革に手首まで入れ秋暑し

次には、近代以降の残暑の句をご紹介します。「暑さ寒さも彼岸まで」とはいうものの、立秋以降にぶり返す暑さは、かえってきついものですね。昔の人も同じ気分だったのかと思うことにいたしましょう。

・朝夕がどかとよろしき残暑かな
〈阿波野青畝〉

「どかと」という形容が面白いですね。野太い残暑と、朝夕のしのぎやすさの対比が強調されて、実感が湧く句です。

・水を飲むの小舌や秋暑し
〈徳田秋聲〉
・吊革に手首まで入れ秋暑し
〈神蔵 器〉
・秋暑く雲の奔騰なほ続く
〈中村与謝男〉
・夕風に暑さ残りし石畳
〈小川濤美子〉

新涼や白きてのひらあしのうら

最後に、「天地はじめてさむし」にふさわしい、同じく初秋の季語「新涼」の句を眺めて、風を呼びましょう。停滞した空気感をあらわす「残暑」と打って変わって、新しい季節が到来する爽やかさに満ちています。

・新涼の牛がつれ泣く塩くれ場
〈松本進〉
・新涼の浅間晴れんとして蒼し
〈長谷川かな女〉
・新涼や白きてのひらあしのうら
〈川端茅舎〉
・益軒の養生訓や涼新た
〈星野麥岳人〉
・新涼や戛戛(かつかつ)と消ゆ木曾殿は
〈小池文子〉

先にご紹介した芭蕉の句と同じ「牛」を扱っても、「新涼」の中で詠まれるのは、生命の躍動感。古典の温故知新の発見も、新鮮に描かれています。実りの秋も間も無くと思えば、残る暑さも楽しく過ごしたいものですね。

【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 秋』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社)
『第三版 俳句歳時記〈秋の部〉』(角川書店)

秋の浅間山も楽しみに
秋の浅間山も楽しみに