8月2日から、七十二候の一つ『大雨時行(たいうときどきふる)』となります。二十四節気の大暑の末候にあたり、ときどき大雨が降る時季を表しています。集中豪雨や台風の被害が拡大している昨今、思い当たる節のある呼び方かもしれません。今後の雨による被害が拡がらないことを祈りつつ、歳時記の世界で、人々が夏の雨に込めた思いを探ります。

大夕立金輪際を響かする

猛暑が続く日々ですが、暦の上では晩夏。雨関連の季語といえば、梅雨がぶり返したように雨が降る意味の「返り梅雨」「戻り梅雨」。炎天や旱(ひでり)の解消を期待する、「雨乞い」「祈雨」「喜雨(きう)」。旱(ひでり)や干ばつの中で雨を乞い、雨を祈って待ちに待った恵みの雨は、「慈雨」「雨喜び」とも表現されます。
そして初夏・仲夏・晩夏と夏全体の雨の季語については、「夏の雨」をはじめ、お馴染みの「夕立」、夕立と同じく盛夏の俄か雨を意味する「驟雨(しゅうう)」、そして夕立とペアのイメージが定着している「雷」など、江戸から現代まで多様な句が並びます。

・大夕立金輪際を響かする
〈中島月笠〉
・大夕立来るらし由布のかきくもり
〈高浜虚子〉

まずは、大きな視界の句から眺めます。大夕立は「おおゆだち」と読みます。由布は、大分県の由布(ゆふ)岳。俄かに真っ黒な夕立雲に包まれて行く、進行形の俳句です。

地下鉄道驟雨に濡れしひと乗り来る

夕立の句が続きます。白雨(ゆふだち/はくう)、夜立(よだち)とも表されます。春にも驟雨がありますが、こちらは春驟雨として区別されています。「驟」は、(馬が)速く走る、にわか、突然の意味。木々の青葉を叩く急な驟雨は涼を呼び、いかにも夏の雨の風情です。

・法隆寺白雨やみたる雫かな
〈飴山實〉
・夕立や鵞の声白く池暗し
〈幸田露伴〉

鵞(が)とは、ガチョウのこと。幸田露伴が、不忍池あたりを散歩していたのでしょうか。「白」が続きますが、確かに夏の夕立では、辺りが無彩色に一変しますね。

・夕立に走り下るや竹の蟻
〈丈草〉
・夕立が洗っていった茄子をもぐ
〈種田山頭火〉
・地下鉄道驟雨に濡れしひと乗り来る
〈山口誓子〉
・高原驟雨真鯉のような青僧侶
〈穴井太〉

誰もが一度は急な雨に慌てて、走って雨宿りした経験があることでしょう。夕立の句では、ミクロな焦点の蟻や茄子や人にも、リアルな実感が伴います。

八雲立つ出雲は雷のおびただし

雷や稲妻は、発達した積乱雲の内部で引き起こされる放電現象。雷鳴を伴い、局地的に激しい雨や雹をもたらします。晩夏や初秋に多く、歳時記では雷は夏、稲妻は秋に分類されます。雷は夕立に伴うもので、轟き渡る音が涼味を想起させます。一方、稲妻は空を走る光で、文字通り稲に実りをもたらすもの。区別し易いです。

・雷に茄子も一つこけにけり
〈涼菟〉
・雷に小家は焼かれて瓜の花
〈蕪村〉

江戸の句は、視線がやさしい。作物に実りをもたらす雨や雷との関係も、現在とはいくぶん異なっている気がします。

・迅雷や草にひれふす草刈女
〈西山泊雲〉
・夜の雲みづ~しさや雷のあと
〈原石鼎〉
・八雲立つ出雲は雷のおびただし
〈角川源義〉

最後の句は、地理条件から、常に雲が湧き立っている出雲での雷。本歌取りのほか、雲や雷がリズミカルに並び、視覚にも訴えます。

夏ならではの花火と雷
夏ならではの花火と雷

さて、各地の公園で、蓮の見頃が続いています。泥の中から伸びて夜明けに咲き、昼前に萎む美しい蓮の花。仏教では極楽浄土や涅槃の境地を象徴する、神聖な存在です。地下茎の蓮根や種子は食用になるほか、蓮の葉に見られる優れた撥水性はロータス効果と呼ばれ、製品開発にも応用されています。
そんな神秘を秘めた蓮の葉から、水玉となって転がる水滴。やはり晩夏の季語でもある蓮の花は、夏の雨と相性が良いのです。

・草市ヤ雨ニ濡レタル蓮ノ花
〈正岡子規〉
・紅蓮白蓮咲き立つ雷雨の後の息
〈赤尾兜子〉
・蓮池に雨繁くなる慈雨愛雨
〈山口誓子〉

季重なりも味となり、雨の香りがまるで漂うかのように、蓮の花、転がる水滴、けぶる一帯の光景が浮かびます。まだまだ油断のならぬ、夏の雨。立秋に向かう今後の雨も、まさに蓮に降り注ぐ慈雨のように、やさしさに満ちていて欲しいものです。

【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 夏』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 夏』(講談社)
『第三版 俳句歳時記〈夏の部〉』(角川書店)
『角川俳句大歳時記「夏」』(角川学芸出版)
『読んでわかる俳句 日本の歳時記 夏』(小学館)