梅雨の間は外遊びがままならないこともあり、湿気で体調を崩しやすい季節ですね。そんな中で、室内空間でも気軽に自分のカラダと向き合い、五感を鍛える方法はたくさんあります。その一つが「朗読」。本日6月19日 は「朗読の日」。芸術文化としての朗読の普及を目指し、NPO日本朗読文化協会によって、2002年に定められました。まずは元気良く声を出すことから始めて、奥深い朗読の世界を探りましょう。

昔の人は文字を耳で読んでいた

朗読とは、作品の意図に即して、正しい発音・発声で、正確にわかりやすく読むことを指します。黙読に対して、文章を声に出して読むのが、音読。朗読はただ音声化するだけではなく、文章の内容を、印象的に聞き手に伝えるように読むことが求められます。
現代は書物のみならず、パソコン、携帯電話など複数メディア上に文字が溢れ、誰でも瞬時に目視、黙読ができます。しかし古代・中世は、音読社会でした。印刷技術が生まれるまでは書物は貴重で、手書きの写本によって、経典や文学が伝えられました。写す際には、一字一字読み上げながら作業したでしょうし、写した内容を、家族や仲間に読んでやる使命感にも満ちていたことでしょう。
言葉を表し、伝えるまでに、今よりもずっと、時間も熱意も注がれていた時代。西洋の教会で、神父が文字を読めない人々に、聖書を高らかに朗読する。日本の貴族たちが歌会で、和歌を詠み聴かせ合い、批評し合う。そんな光景が浮かびますね。昔の人は、「耳で読む」読書を楽しんでいたのでしょう。

江戸時代は子供から大人まで素読三昧

中国でも日本でも、経典を学ぶには、声に出して読むことが不可欠でした。江戸時代の寺子屋や私塾、そして藩校で、伝統的な学習法として実践されたのが、漢籍の素読。素読とは、意味の解釈を加えず、文字を声に出して徹底して読むこと。日本では近代まで、学ぶ者は皆ひたすらに、『論語』や『大学』などを素読していたのです。素読に慣れた年かさの者たちは、講釈や会読に進み、文章の相互理解に取りかかります。
子供の頃から素読を繰り返すと、国語力、記憶力、リスニング力、そして感性の活性化など、複数の効果があると言われています。外国語など他の科目でも、繰り返しの音読が役立つことは、学生時代を思い出せば納得ですね。
しかし近代を経て、いつの間にか、私たちは黙読社会へと移行してしまいました。それどころか、コミュニケーションツールも電脳化されて、言葉を声に出すことも減っているようです。そんな中で現在、アートとしてもフィジカル面からも、改めて、朗読への関心が高まっています。

朗読で文豪の心模様にアクセスする

朗読を行う時には、適当に読み飛ばすこともありがちな黙読と違って、内容をきちんと把握する必要があります。読み方や意味を確認しながら読み進めるので、作品への理解や愛着が深まります。特に人前での朗読の場合、いっそう人物関係や場面構成を再構築し、パフォーマンス効果を意識して読み上げてゆきます。その熱意が、聴く人との感動の共有に繋がります。
また前述のように、音読を前提として書かれた古典や近代の作品では、黙読では気付かなかった文章の美しさや登場人物の感情を、朗読で発見できます。例えば樋口一葉の文章は句読点が少ないこともあり、黙読だけでは原文が理解しづらく、これまで敬遠していた人もあるかもしれません。けれども、一葉をゆっくり朗読すると、急に明治期の下町の様子が鮮やかに浮かんだり、人物の心模様に共感して、切なくなったりします。
樋口一葉にとどまらず、幸田露伴、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎など明治〜昭和の文豪作品を朗読すると、改めて彼らの日本語の美しさに感銘を受けます。日本の陰影表現に優れた作家ならではの名文にアクセスでき、フィジカルに体感できる方法が、朗読なのです。

朗読で心・脳・体を鍛えよう

朗読には、腹式呼吸を使った発声法が不可欠。もう一つの呼吸法の胸式呼吸では、肺の中をすべて入れ替えることができません。腹筋を使う腹式呼吸は、身体のガス交換ができる、素晴らしい呼吸法なのです。日常生活の中で大きな声を出すことはますます減っていますが、たまには腹の底から大きな声を出し、文体にリズムのある名文を読み上げると、全身がスッキリします。朗読で新鮮な酸素を供給して、心・脳・体を活性化していきたいですね。

<参考文献>
長谷 由子 (著)『朗読日和―すぐに役立つ「実践的朗読」のススメ』(彩流社)
川島 隆太、 安達 忠夫(著)『脳と音読』 (講談社)