この時季、晴れている日中は実にさわやかですが、そのさわやかさもつかの間、もうすぐ雨の季節が始まります。
入梅前後に蛍が飛び始めますが、都市部では蛍の姿をなかなか見ることができなくなりました。でも、都市部に住む人も郊外の水辺に足をのばせば、闇を彩る幻想的な蛍火が見ることができます。
日本の詩歌、特に和歌の特徴は、ものに寄せて人の心を表現するところですが、恋に重ね合わせられる蛍……。今回は、王朝語の世界を少しのぞいてみましょう。

ゲンジボタル。夏の季語の蛍火は、「ほたるび」または「けいか」とも
ゲンジボタル。夏の季語の蛍火は、「ほたるび」または「けいか」とも

蛍のようにさまよいでる魂

平安時代の物語や詩歌で使われた、いわゆる「王朝語」は、単にものの名前というばかりではなく、何かの象徴であることが多く、「蛍」という言葉はその放つ光の様子が、胸の中で燃える“思い”を連想させ、恋愛と重ねて使われることが多いのです。
もっとも有名なのは、次の歌でしょう。
〈物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る〉和泉式部
これは詞書に「男に忘れられて侍りけるころ」とあるので、恋の情念のためにさまよいでる魂が蛍と重ね合わされています。
〈音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ〉源重之
こんな歌もあります。「思ひ」はもちろん恋のことです。一方、現代の俳句には次のような句もあります。
〈ゆるやかに着て人と逢ふ蛍の夜〉桂信子

恋の情念と重ね合わされる蛍火
恋の情念と重ね合わされる蛍火

王朝の恋歌はどんなふうに表現されたか

王朝語で恋愛がどのように扱われていたのか、少し見てみましょう。
勅撰集(天皇の命によって選ばれる和歌集)で「恋」部が立てられるのは「古今和歌集」からですが、「古今集」では恋愛の経過の様子にそって歌が順に並べられています。
恋愛の初期は「見ぬ人を恋ふる(まだ会わない人に恋する)」「はつか(僅か)に見る恋(ちらと見た人に恋する)」「忍ぶる恋(恋心を相手に伝えていない)」などの言葉が使われます。
恋愛が進展していくと「浮名立つ」「人目を忍ぶ」というふうになってきます。
また「後朝(きぬぎぬ デートの翌朝のこと。別れの朝の情感を指す)」という言葉は、朝に男女が互いの衣を交換して身にまとう、という古代の習俗に由来しているとされます。
源氏物語」浮舟では「後朝」の味気なさを「おのがきぬぎぬも冷ややかになりたる心地して…」と表現しています。

京都・貴船神社の和泉式部の歌碑
京都・貴船神社の和泉式部の歌碑

恋も終りを迎えます。このような局面では、「夜を隔(へだ)つ」「多情を恨む」「飽(あ)く」といった言葉が使われます。恋人が訪れてくれなくなった心変わりを恨んだ歌も多くあります。それでも望みをかける「待つ恋」は代表的なテーマです。
〈来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩(もしお)の身もこがれつつ〉藤原定家
ここでは、女性がひたすら男性を待つ思いが主題になっているのですが、ここでも言葉が重ね合わされています。松帆の浦(兵庫県松帆崎)の地名が「待つ」とかけられます。そして「藻塩を焼く」は、海藻(潮が付着した海藻)を焼くことで塩を取った古代の製塩法を指しているのですが、その際に火に焼かれる海藻がよじれるさまが女性の心情と重ねられているのです。立ち上って消えていく煙も「思い」の象徴です。
── 和歌のテーマは、四季そして「恋」がもっとも重要なテーマです。和歌を通じて王朝語の豊かな表現に触れてみてはいかがでしょうか。

海底から眺める「海藻」
海底から眺める「海藻」