深川や低き家並のさつき空―永井荷風、孤高のひとり暮らし

2018/04/28 11:00

4月30日は荷風忌。小説家・随筆家の永井荷風(1879-1959)は、山の手のエリート一族の生まれながら、米仏外遊から帰国後は、耽美派の旗手として活躍しました。日本の近代化に反発し、江戸の昔を憧憬した荷風。彼が愛したのは、「ひとり歩き」と「ひとり暮らし」。都市生活者のライフスタイルを先取りしていた荷風の、味わい深い俳句を探ります。

荷風の散歩道:吾妻橋
荷風の散歩道:吾妻橋
『断腸亭日乗』、今なら人気ブログ? 永井荷風は、明治から昭和期まで活躍した人気作家。『あめりか物語』『ふらんす物語』『すみだ川』などの作品が森鴎外にも認められ、慶応大学教授として迎え入れられて『三田文学』を創刊しています。また、洋行帰りのダンディな姿で銀座に出没し、文化人や演劇関係者とも大いに交流するなど、活躍が続きます。 一方で、二度の結婚と離婚を経た荷風は、大学の職も辞して、麻布の「偏奇館」と名付けた洋館に移り住みます。独居、隠棲、散策の日々は、日記『断腸亭日乗』や、小説『濹東綺譚 (ぼくとうきたん) 』などの傑作に結集。大逆事件への衝撃もあり、荷風は自らを「戯作者」と自虐的に称する一方で、江戸文化への憧憬を深めて行きます。 銀座、深川、浅草、向島など夜の町や下町をひとり歩きしつつ、余情溢れる文体で色街の女性を描写し、近代日本への鋭い批判精神を記した荷風。「偏奇」の美学を、生涯貫き通しました。『断腸亭日乗』は、現代風に言えば、人気ブログの先駆け。荷風の人生は、現代の都市生活スタイルの先取りだったという見方もできますね。
荷風の散歩道:向島 三囲(みめぐり)神社
荷風の散歩道:向島 三囲(みめぐり)神社
永き日やつばたれ下る古帽子 俳名「荷風」を筆名にしたほど、荷風の俳句へのこだわりは高かったようです。反自然主義文学の中心的存在だった荷風は、俳句でも、街や人の描写が光ります。自然の風景そのものを詠むのではなく、街や人を通じて季節感を表現する技法は、今風に言うと「クール」。そんな荷風の、四季の俳句を紹介します。 【春之部】 ・羽子板や裏絵さびしき夜の梅 ・初東風や富士見る町の茶屋つゞき ・まだ咲かぬ梅をながめて一人かな ・永き日やつばたれ下る古帽子 ・色町や真昼しづかに猫の恋 ・春の船名所ゆびさすきせる哉 最後の句には、「市川左團次丈煙草入れの筒に」と添えられています。荷風は、清元や尺八、落語を稽古し、歌舞伎作者の修業も行い、二世市川左團次とは、濃密な親交がありました。歌舞伎の見得も彷彿とさせる一句です。 「永き日やつばたれ下る古帽子」には、「自画像」とあります。毎日の散歩姿でしょうか。 【夏之部】 ・深川や低き家並のさつき空 ・住みあきし我家ながらも青簾 ・薮越しに動く白帆や雲の峯 ・葉桜や人に知られぬ昼あそび ・紫陽花や身を持ちくづす庵の主 ・物干に富士や拝まむ北斎忌 艶かしい句が続きます。荷風は北斎の一生に憧れたかもしれませんね。
三囲神社の老翁・老嫗の石像
三囲神社の老翁・老嫗の石像
半襟も蔦のもみぢや窓の秋 【秋之部】 ・人のもの質に置きけり暮の秋 ・庭下駄の重きあゆみや露の萩 ・秋雨や夕餉の箸の手くらがり ・昼月や木ずゑに残る柿一ツ ・半襟も蔦のもみぢや窓の秋 ・柚子の香や秋もふけ行く夜の膳 ・春信の紅絵ふりたり窓の秋 庭下駄、半襟、箸、夜の膳。荷風にかかると、小物の陰翳が色づきます。そして荷風は、鈴木春信の浮世絵を特に好んだようです。まだ本格的な錦絵研究が成されていなかった明治末期に、荷風は春信の芸術的価値を唱えていました。 【冬之部】 ・箱庭も浮世におなじ木の葉かな ・襟まきやしのぶ浮世の裏通 ・下駄買うて箪笥の上や年の暮 孤高の荷風も、年末に新しい下駄を用意して新年を待つ高揚感は、市井の人々と同じだったと見えますね。
荷風の散歩道:深川
荷風の散歩道:深川
荷風忌や蕎麦食ひ老のひとり酒 最後に、荷風忌を季語として詠んだ句をご紹介します。 独り身の自由が淋し荷風の忌 <山田具代> 聖女とて魔女とて女人荷風の忌 <篠原 彬子> 荷風忌や蕎麦食ひ老のひとり酒 <富岡掬池路> 荷風忌の雲の移り気見てゐたり <吉岡高詩> 荷風のひとり暮らしとひとり歩きに、多少の淋しさと共に共感を抱く現代人の姿が見えます。変化の著しい東京で、荷風の歩いた光景は、もう微かにしか見つからないかもしれません。それでも、街を歩き、その光景をカメラに写してブログで発信することで、私たちも荷風と同じ空や川を眺め、荷風と同じ精神を重ねているのかもしれません。 【句の引用と参考文献】 永井荷風 (著) 『荷風全集〈第11巻〉』(岩波書店) 永井荷風 (著) 『荷風全集〈第29巻〉』(岩波書店) 近藤富枝 (著、監修、監修)『荷風流 東京ひとり歩き』(JTBパブリッシング) 川本 三郎 (著) 湯川 説子 (著)『図説 永井荷風 』(河出書房新社) 『新日本大歳時記 カラー版 春』(講談社) 『カラー図説 日本大歳時記 春』(講談社)
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