二月十一日は建国記念の日。節分、立春ののちの、新たな区切りにもふさわしい祝日です。大寒波が猛威を振るう中、改めて自然の厳しさを目の当たりにする今年の如月。あたたかい春の到来を待ちながら、歴史とともに変化してきた建国の日を詠んだ俳句を、ご紹介します。

藻はふかく灘にをさまり建国日

建国記念の日。もとは『日本書紀』の伝える神武天皇即位の日の一月二十九日を、1873(明治6)年に太陽暦に換算して二月十一日を「紀元節」と名付け、国家の祝日とした日でした。紀元節は第二次世界大戦後の1948(昭和23)年、いったん廃止されましたが、1966(昭和41)年に「建国記念の日」として復活し、国民の祝日に定められました。
「建国記念の日」はまた春の季語として、そんな歴史への思いが込められた俳句が多く作られています。「建国の日」「建国祭」「紀元節」「梅花節」「梅佳節」も仲間の傍題になります。

式場の今歌となる紀元節
<中村汀女>
大和なる雪の山々紀元節
<富安風生>
いと長き神の御名や紀元節
<池上浩山人>
藻はふかく灘にをさまり建国日
<今田悟渓>
少年工建国祭の鐘打てり
<山口草堂>
建国祭軍歌雄々しくて悲し
<小澤満佐子>
勾玉は胎児のかたち建国日
<合屋多久美>

戦時中は、学校の式典では「雲に聳(そび)ゆる 高千穂の 高根おろしに草も木も」で始まる、「紀元節」を斉唱していました。中村 汀女〔1900(明治33)年- 1988年(昭和63)年)〕の句は、その記憶を表現したのでしょう。建国祭と軍歌が重なる悲痛な句も、まさに時代の証言。そんな中で「勾玉は胎児のかたち建国日」は、古事記も国の成立も人類史も包含して、五七五の世界に圧縮されています。

大阿蘇は永久に火を噴く紀元節

初春の空気の清々しさ、凛とした自然が建国記念の日とあわせて詠まれると、いっそう味わい深いものがあります。

建国祭白一色の富士仰ぐ
<遠藤壽々子>
ことごとく八ヶ岳(やつ)の峰見す建国日
<江 ほむら>
蔦の笛雲ふきちつて紀元節
<石橋秀野>
岬打つ風波白し紀元節
<永井東門居>
めざましき建国祭の牡丹雪
<石原舟月>
京晴れてよき日昔の紀元節
<増田手古奈>
大阿蘇は永久(とは)に火を噴く紀元節
<大橋越央子>

箸といふ文化が不思議建国日

一方、一気にズームを絞った、建国記念の日の作者や身の回りを表現した句にも、多様性があります。一方に国や歴史を据えながら、もう一方に日常の些細な視点を導入することで、不思議な距離感やユーモア、そして生活への喜びが生まれてくるのかもしれません。

後山の蘭にあそびて紀元節
<飯田蛇笏>
建国日雄鶏(おんどり)を追ひかけてゐる
<柿本多映>
庭の木の芯まで濡れて建国日
<片山由美子>
箸といふ文化が不思議建国日
<林翔>
眼鏡の度いづれも合はず建国日
<長澤寛一>
亡き父に建国の日の髭があり
<山口啓介>
建国の日やふっくらと枕干し
<加瀬美代子>

気候も社会も激動が続きますが、ずっと平穏な日常が続く平和な国でありますように。建国の日の句には、そんな祈りが込められているのだと思います。

【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 春』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 春』(講談社)
『読んでわかる俳句 日本の歳時記 春 』(小学館)
『第三版 俳句歳時記〈春の部〉』(角川書店)