すっかりお正月気分も抜け切った感のあるこの頃ですが、1月20日は「正月の祝い納め」の日にあたります。古来の習わしでは、今日をもって正月行事がすべて終了するとされていました。お正月はこんな長く続いていたのですね!「二十日正月」と呼ばれるこの伝統は今も日本各地で息づいており、かつては地方によってさまざまな行事が行われていたそうです。今回は、その由来と現代に受け継がれる興味深い風習をご紹介します。

準備にもお祝いにもたっぷり時間をかけた、日本古来のお正月

正月祝い納めの日の今日、まずは正月に関する一連の行事を振り返ってみましょう。昨年12月13日が正月事始めといわれ、すす払いをして一年の汚れを落とし、年神さまを迎える準備をはじめる日とされていました。
年が明けて、正月を迎えてから7日までが松の内と呼ばれ、新年を祝うさまざまな風習が凝縮されています。7日の七草、11日頃に行われる鏡開きといった行事を経て、15日には小正月を迎えます。この日は旧暦で新年最初の満月を祝った日。女正月ともいわれ、正月を忙しく過ごした女性たちがやっとひと息つける日ともされています。
それからさらに5日を経て、ようやく最終日の「二十日正月」がやってきます。お正月に関する行事は、年をまたいで1か月以上も続くのです。日本では、昔からいかに新年を祝う行事が大切にされていたかが伺えますね。

かつては仕事も休む節目の日。女性はほっとひと息、里帰り

今ではあまり聞かれることのなくなった二十日正月。かつては正月の終わりとなる大切な節目として、仕事を休む習わしがあったそうです。また、新年から働き通しだった女性たちが体を休めるために里帰りをしたり、小正月からの里帰りを終えて帰宅する日でもありました。
かつては鏡開きも1月20日に行われていましたが、江戸時代に徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 であったため、月命日にあたる20日を忌日として避けて松の内後の1月11日 とされました。松の内が1月15日までの地方では、今でも1月20日に鏡開きが行われているそうです。
二十日正月には他にもさまざまな行事が行われていましたが、現代にも受け継がれているのが「正月の料理を食べつくす」という一風変わった風習です。地方によって呼び名が異なるこの行事には、人びとのどんな思いが込められているのでしょうか。

正月の祝い納めとは、正月の料理をすべて食べつくすこと?

二十日正月の別名は「骨正月」。やや不穏な気配が漂うこの言葉は、正月に準備した一尾丸ごとの魚の頭や骨を、根菜などと一緒に煮て残らず食べたことに由来します。魚は神事や祭事の供物として欠かせない縁起物で、年越しのために用意するものを「年取魚(としとりざかな)」と呼びます。西日本では鰤、東日本では鮭が代表的な年取魚。出世魚の鰤と「栄える」に通じる鮭は、縁起物として正月には欠かせない魚でした。
二十日正月に食べるものによって地方ごとに名称が異なり、「麦正月」「とろろ正月」「団子正月」などとも呼ばれています。そこには、正月のごちそうやお供えものを残さずいただくことで、正月のものは食べ残すまいという実りへの感謝の思いと、今年の豊作への願いが込められているのです。
正月にごちそうを食べて祝うのは、新年が良い年になることをあらかじめ祝う「予祝(よしゅく)」の意味合いがあるそうです。期待する結果を先取りして表現することで、そのとおりの結果を得ることを願う気持ちからうまれた風習なのですね。「正月の食べ納め」ともいえる二十日正月。もし、お正月の食材やがまだ残っていたら、感謝と祈りの気持ちを込めて、今日きれいさっぱり平らげてしまいましょう!

参考文献
岡田芳朗 、松井吉昭 『年中行事読本 日本の四季を愉しむ歳時ごよみ』創元社 2013
白井 明大 『日本の七十二候を楽しむ 旧暦のある暮らし』 東邦出版 2012
平井 照敏 『新歳時記 新年』河出書房新社 2015