1月25日は「中華まんじゅうの日」なのだそうです。寒い日に、ほっかほかの中華まんをパフッ!…あぁ幸せ〜。コンビニでも大人気の中華まんじゅうは、いつ頃から日本で食べられるようになったのでしょうか? そもそも「饅頭」って、なぜこんな字を書くの? 調べてみたら、その由来には恐ろしい風習が隠されていたのです。肉とあんこが入っている意味も、ちゃんとあるようですよ。

肉まんorあんまん☆どちらが先?
肉まんorあんまん☆どちらが先?

考案者は「三国志」で知られるあの人! 何のアタマかというと…

「中華まんじゅう」の始まりは、やっぱり中国。最初にできたのは、肉まんでした! 『事物紀原』『三国志演義』など中国の文献で伝えられている由来は、こんな内容です。
三国時代の蜀(しょく)が南蛮を平定した帰り道のこと。瀘水(ろすい)という川が荒れ狂っていて渡ることができず、軍隊は足止めされて困っていました。すると、地元の人が言います。「この川には荒神がいて、49個の人間の首をささげれば、氾濫は鎮まります。これから集めてきましょう」。それを聞いた蜀の宰相、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)は、「そんな悪習がまだ残っているのか。合戦でこんなにも多くの人命が失われたというのに、これ以上殺すなどできない」と、これを拒否。そのかわりに、自国の料理人をよんで「小麦粉をこねて、中に肉をつめ、人の頭の形に丸めたもの」をつくらせます。孔明がこれを川に投げ入れて祈祷すると、氾濫は鎮まり、蜀軍は無事に川を渡ることができたのです。
…なんと肉まん、殺されちゃう予定だった49人分のアタマのかわりだったのですね! 命が無事でよかったですね。こうして、小麦粉をこねて中に羊や豚の肉を入れて蒸し上げたものを「蛮頭(ばんとう。蛮族の頭を意味する)」と呼ぶようになりました。最初は水に投げ込んでいましたが、もったいないからか供えたあとで食べる方式になり、食物を意味する「饅」の字を用いて「饅頭(まんとう)」と変化したそうです。日本に伝わると、「頭」を訓読みして「まんず」、それが転じて「まんじゅう」になったといわれています。大きさも、人頭のリアルサイズから、だんだん食べやすく小型化していったようです。

美味しいだけのお肉じゃなかったようです
美味しいだけのお肉じゃなかったようです

有名な「赤壁の戦い」では霧や風まであやつっていたってホント!?

『三国志』のエピソードには創作も含まれているといわれていますが、 諸葛亮孔明がすごい軍師であったことは確かなようです。有名な「赤壁の戦い」では、なんと「10万本の矢を3日で」調達すると宣言。すると3日めに、なぜか濃い霧が発生!! そのため敵は、船に並べたワラの束に向かっておびただしい矢を発射してしまうのです。こうして、敵からタダで矢をゲットできました。さらに、かたまって停泊中の敵の船を火攻めにする日を提案。すると当日、にわかに烈しく吹きつけ火をあおる、東南の風が!? その季節には吹かないとされているのに… 「天候を自在に操る男」として畏れられていた孔明さん。でも、もし本当に天気を思いのままにできるのなら、人に仕えなくてもよさそうな?
じつは、天気を操作していたわけではなく、「動き」を読む能力に長けていた、ということのようです。だから川の氾濫も、もうすぐおさまるとわかっていたのですね。首なんて関係ナシ!! えっ、それなら肉まんとも関係ないんじゃ!?…そこをあえて「肉まん」で解決したことこそ、孔明さんが天気以上に人の心の動きが読めた証しと思われるのです。
堤防・橋の造成や河川には、「人柱(ひとばしら)」や「人身御供(ひとみごくう)」にかかわる伝承が多いそうです。そこには、昔から水害で農業や交通などに苦しんできた人々の、水神への畏怖の心が働いていると考えられています。
仮に孔明さんが「私は天気が読めるのだが、この氾濫は人柱などささげなくてもおさまるであろう」などと予報すれば、一件落着はしますが、もしつぎの氾濫がおきれば「孔明さんはいないし、荒神を鎮めるにはやっぱり首を…」となりそうですよね。この先ずっと、人々が誰かを殺さなくても安心して待てるように、肉まんという「解決策」を伝授したのではないでしょうか。
とはいえ、形状を真似するなら小麦粉を丸めただけでいいはずなのに。なぜ肉まん?
ささげものの肉には、神とつながる力があるとも信じられています。たとえば旧約聖書には、「全焼のいけにえ」として神様に獣の肉がささげられるシーンがたびたび登場(キリストが生まれた以降の新約聖書には出てきません)。それと、ひょっとして、小麦粉だけだと作業の負担も軽くなるうえ中身が空っぽなので「人間の頭としては、いろいろ重みが足りない」という意味も? 皆さまは、どう思われますか。

三国赤壁古戦場
三国赤壁古戦場

神聖な食べ物として日本上陸! 「肉まん・あんまん」はいつから?

「神様にささげる神聖な食べ物」として、まんじゅうは鎌倉初期頃に日本に伝わったともいわれています。儀式用だけでなく、胃腸などの薬として、さらに皮を粉状にして油と混ぜたものは、ヤケドなどに貼る外用薬としても用いられていたそうです。
14世紀の日本で定着したのは、野菜入りの「菜まんじゅう」。のちに、日本人の好みに合う豆のあん入りに変化します。とくに、あずきの赤色には魔除けの力があると信じられ、現在もお供えや行事に欠かせませんね。全国の城下町には名物まんじゅうが続々と誕生。室町時代の『七十一番職人歌合』には、まんじゅう売りが「砂糖饅頭と菜饅頭」を売る姿が描かれています。この頃からすでに甘・辛など味のバラエティを楽しんだりしていたのでしょうか。
肉入りの中華まんじゅうが普及するのは、肉食が解禁になる明治以降のこと。昭和2年には、中村屋が「肉入り・餡入り」の中華まんじゅうを販売しています。こうして、肉まん・あんまんは一般の人たちにも親しまれるようになったのですね。
「膨れるは発につながり、金を儲ける商売繁盛の縁起担ぎにつながる」といわれるまんじゅうは、遠い昔から、パワーフードであり縁起のよい食べ物だったようです。寒い冬には、あったか〜い中華まんでエネルギーチャージはいかがでしょうか? 人命の重さをパフッ!と噛みしめながら。

おめでたい門出にあずきパワーを!
おめでたい門出にあずきパワーを!

<参考文献>
『日本生活史辞典』木村茂光 他・編(吉川弘文館)
『知れば恐ろしい日本人の風習』千葉公慈(河出書房新社)
『原典を味わう三国志物語』今西凱夫(日本放送出版協会)

カレーまんにピザまん…孔明さんありがとう〜♪
カレーまんにピザまん…孔明さんありがとう〜♪