12月7日から、二十四節気の「大雪(たいせつ)」。秋を彩っていた鮮やかな紅葉もほぼ終わって、平地にもときに積雪がある時期でもあります。太玄斎(たいげんさい)による「こよみ便覧」では、「大雪」の頃を「雪、いよいよ降り重ねる折からなれば也」と解説しています。冬至を直前に控え、一年でもっとも夜明けの遅い暗い季節。凍てついた夜空に月がさえる頃になると、思い出される物語があります。

日本児童文学の至宝、小川未明が著した北の海の物語

日本では、「大雪」と言っても、大都市圏ではもちろん、北国でもまだ本格的な「おおゆき」のシーズンにはまだ早い時期です。二十四節気が作られた当時の中国の都・長安はかなり寒く、現代でも12月の平均最低気温は氷点下になり、12月初旬には実際雪もかなり積もる気候のようです。
大雪の初候は中国宣明暦では「鶡旦不鳴(かつたん鳴かず)」。鶡=ヤマドリの一種が鳴かなくなる頃とされます。ここでいうヤマドリは、「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 一人かも寝む(柿本人麻呂)」と歌われた日本固有種のヤマドリではなく、長安付近の中原に生息するミミキジ(耳雉 Crossoptilon mantchuricum)といわれる美しいキジの一種で、ニワトリのように夜明けを告げて鳴く鳥といわれます。そのミミキジが鳴かなくなるほど、夜明けが来ないのではないかと思われる冬至直前の長い夜を「鶡旦不鳴」と表現したようです。
本朝七十二候では「閉塞成冬(へいそくしてふゆをなす/そらさむくふゆとなる)」で、「そのまんまかい!」とつっこみたくなる表現ですが、「ああ冬になってしまったのだなあ」という嘆息と、この時期独特の時雨れて暗い曇天をよくあらわしています。そんな時期になると思い出される一つの童話があります。
小川未明(1882~1961年)の「月と海豹(あざらし)」です。この作品は大正11(1922)年に童話集「山の上の木と雲の話」に所収された小川未明の代表作の一つです。「赤い蝋燭と人魚」に典型的な、童話としては悲劇的な作風の小川未明ですが、「月と海豹」はそうした作風が存分に出しながら、同時にかわいらしさも備えた物語で人気が高く、また雪国新潟の生まれらしく、凍てついた冬の海の描写が克明でいっそう主人公のあざらしの哀れを誘います。

子供を失くしたアザラシに月が贈ったものとは

物語はこのようにはじまります。
北方の海は銀色に凍っていました。長い冬の間、太陽はめったにそこへは顔を見せなかったのです。なぜなら、太陽は、陰気なところは、好かなかったからでありました。そして、海は、ちょうど死んだ魚の眼のようにどんよりと曇って、毎日雪が降っていました。
こんな淋しい風景の中に、主人公である一匹のアザラシが登場します。アザラシはその秋、自分の子供を海の上で見失い、ずっと探し続けて途方にくれているのでした。どんなにさがしても見つからない子供にアザラシは藁にもすがる思いで吹いてくる風に子供を捜してほしいと懇願します。風は、一応気をつけて見ておく、と約束はしましたが、それっきり帰ってきませんでした。
そんな哀れなアザラシに、月が話しかけます。「さびしいか」と。月は、夜の世界をめぐるので、あらゆる淋しいもの、悲しいものをたくさん見続けていましたが、それでもそのアザラシをあまりに哀れだと感じたのでした。そして、冷たい北の冬の海にはアザラシの悲しみを慰めてくれるものもなくあまりに殺風景だったので、気を紛らわせるものをもってきてやろうと思ったのです。やがて月は遠い南の国で、夜通し踊り続ける牧人たちが野原に放り出した太鼓をひとつ失敬して、かわいそうなアザラシへの贈り物に持ってゆきます。
北の方の海は、依然として銀色に凍って、寒い風が吹いていました。そして海豹は、氷山の上にうずくまっていました。
「さあ約束のものを持って来た。」といって、月は太鼓を海豹に渡してやりました。
海豹は、その太鼓が気に入ったと見えます。月が、しばらく日の経った後に、このあたりの海上を照らした時は、氷が解けはじめて、海豹の鳴らしている太鼓の音が、波の間からきこえました。

物語はここで終わります。北の寒い海で、もらった太鼓を叩いているアザラシのいじらしい姿と、トーン、トーンと響く音が思い浮かびます。もしかしたら現代の読者には、もっとアザラシのためになるものを持ってきてやれとか、子供と再会させてやれとか、そういうオチを期待する向きもあるかもしれません。でも、どうしようもない運命をそのままに描き、その悲しみに寄り添うことが児童文学の啓蒙的な意味の一つであるとするなら、これほど透明で美しく、それでいてかわいらしいラストは他にないように思います。

「未だ明けず」薄暮の作家・小川未明の描いた希望

小川未明の本名は健作。現在の新潟県上越市で生まれ、育ちました。「未明」(みめい、と読まれますが正しくはびめい)というペンネーム は坪内逍遙によって、美しい暁の空になぞらえて夜明け前を意味する「未明」の号をいただいた、と言うエピソードがあります。
大正15年、未明は「童話作家宣言」をして、小説家から童話作家一本での作家活動に専念し、およそ1000篇に及ぶ作品を書き上げました。
浜田広介、坪田譲治とともに「日本児童文学の神器」とたたえられ、「児童文学の父」とまで称されますが、特に戦後には同業者・評論家からの強い批判にもさらされました(童話伝統批判)。その作品が子供には難解で面白みがなく、児童文学から子供を追い出してしまっている、と言うものでした。またときに理不尽で残酷な描写や救いのない落ちは、子供に傷を与えるといった批判にもあいました。
批判はある程度当を得たものともいえます。が、子供の誰もが明るく元気で健全なものを求めているわけではなく、この世にあるどうしようもない悲しさや抗えない運命を、ユーモアをもって美しいものとして描こうとした未明の童話は、子供たちにとっては強い印象を与えるものでもありました。
ご紹介した「月と海豹」そして「金の輪」は、幼少の息子と娘を相次いで亡くした未明自身の悲しみと、それを乗り越えるための創作であったといわれます。「さびしい。さびしくて仕方がない。」というアザラシの台詞は、未明本人の心の声だったのでしょう。
けれども、アザラシがもらった太鼓を熱心に叩いている姿からは、安易で安直な救いではなく、自分自身の熱で自分自身を癒していこうという希望や意志を感じないでしょうか。一年を一日に例えるなら、冬至は日の出の直前にあたり、ならば大雪は未だ空が白んでもきていない「夜明けの晩」といえます。大雪の季節の読書にもふさわしい文学ではないでしょうか。
つい最近も、スーパーフルムーンが話題になった冬の月。今夜はどこかの北の海の氷上のアザラシを照らしているでしょうか。

こよみ便覧 太玄斎 (国立国会図書館蔵)
月と海豹 小川未明