レモン、といえば口の中にあの酸っぱさがよみがえります。爽やかだけれども何か感傷的な気分も秘めています。鮮やかなレモンイエローも明るい喜びとともに、眩しすぎる後ろめたさを感じることがあります。幼いころの淡い思い出や、過ぎた青春のもどかしさを表すのかもしれません。
現代の私たちの食卓にレモンは欠かせません。味を引き立てたり、さっぱりとさせたりとなんとも重宝な果物です。日本で栽培され始めたのは明治に入ってから。やがて広島県や愛媛県といった温暖な地で生産されるようになりました。
今日10月5日がなぜ「レモンの日」なのでしょうか。知りたいと思いませんか?

「そんなにもあなたはレモンを待っていた」

「レモン哀歌」の始まりです。レモンを持っていったのは詩人で彫刻家の高村光太郎。待っていたのは妻の智恵子。たったひとつのレモンが智恵子の最後の命を輝かせます。そのときのことを綴った「レモン哀歌」は『智恵子抄』におさめられ、翌年発表されると大きな反響をよびました。
高村光太郎は彫刻家高村光雲の長男。東京美術学校(現在の芸大)を卒業するとニューヨーク、ロンドン、パリで彫刻や絵画を学びます。それと同時に「個人というものが、ハッキリと確立されている」西洋の実体にふれ、人間が解放されて自由であることの意味を、生き生きと暮らしている庶民の暮らしぶりから感じ取り圧倒されます。父を家長とする日本の「家制度」の暗さ、偉大な父の跡継ぎにと期待される重圧への反抗となりました。
妻となった智恵子の実家は福島県の造り酒屋で素封家。地元の女学校を卒業後に上京し、日本女子大学校へ通うかたわら油絵の勉強を始めます。卒業後も東京に残り画家となることをめざす芯の強い女性でした。当時創刊された『青鞜』の表紙絵を描いたことでも知られています。
互いに人間としての自由を尊重し、家に縛られない独立した人生をともに歩もうと一緒になった二人でしたが、智恵子は精神を病んでから6年、光太郎の看病の末に亡くなります。最後の智恵子を綴ったのが「レモン哀歌」です。
今日10月5日は52歳で逝った智恵子の命日にあたります。「レモンの日」は智恵子の命日にちなんだものということです。
「写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置こう」
「レモン哀歌」はこんなふうに終わってます。
高太郎は智恵子を蝕ばんだ狂気の醜い部分をすべて切り落とし、魂の美しい部分だけを詩として結晶させました。高太郎がつらぬいた純愛が描かれているからこそ『智恵子抄』は時代をこえて読む人の心に響くのでしょう。秋の一日に詩集をひもといてみるのも、しみじみと感傷にひたるのもいいのではないでしょうか。

レモンだ!レモンを与えよ、船員にレモンを!

15世紀、ヨーロッパは大航海時代をむかえます。ヴァスコ・ダ・ガマはリスボンからアフリカ南端喜望峰を回りインドへ。16世紀にはいるとマゼラン率いる5隻の船は265名の乗組員を乗せてセビリヤから南アメリカ大陸を回り、グアム、フィリピンを経て世界一周を果たします。しかし帰り着いたのは半数にもみたなかったとか。多くの船員の命を奪った一番の原因が、ビタミンCの不足によって発症する「壊血病」でした。ビタミンCは人間の体内では合成することができず、毎日必要量を食べ物から取らなければならないということです。ところが長い航海ではビタミンCを含む新鮮な野菜や果物を食べることがかなわなかったのです。
この病気の原因は長く不明でしたが、航海中立ち寄った先で苦しむ船員達がレモンなどの柑橘類に本能的に吸い寄せられるなど、経験としてレモンがいいということは分かっていたようです。
18世紀にはいりイギリス海軍が壊血病の治療研究に乗り出します。その結果ビタミンCを損なうことなくレモン果汁を船員に供給することができるようになったということです。酸っぱい果汁をみんなが喜んで飲むためにラム酒と組み合わせた「グロッグ」の水割りは英国水兵の代名詞になっていたとか。19世紀にイギリス海軍がトラファルガーの戦いでナポレオンを破って勝利したり、その後に制海権を握ることができた要因の一つはレモンだった、ともいえるのかもしれません。

「あなたってレモンね!」ていわれたら喜んでいいの!?

レモンといえば南イタリアやシチリア、スペインといった地中海沿岸が思い浮かびます。このあたりがレモンの一大産地となったのは、イギリス海軍による大きな需要がもたらしたお陰ということのようです。やがてアメリカのカリフォルニアへとレモンの栽培は大きく広がっていきました。風邪の引き始めのホットレモン、スポーツの後のレモネード、レモンスカッシュなど疲労回復に必ず登場するレモンはいつもいつも正義の味方、私たちにとって大事なものという気がしますが、実は悪口に使われてもいるんですよ。
「あの車はレモンだよ」といったら「役に立たないポンコツ」
「あいつは全くレモンだね」といったら「なんて愚かなやつなんだ」
こんな意味になるそうです。これはレモンの酸っぱさからくるたとえなのでしょうか。 レモンにさわやかさや、溌剌としたイメージを持つ日本人には理解が難しいように思います。でも悪口に使うなんて、本当にレモンが生活にとけこんでいるのでしょうね。
世界中で愛されているレモン、今日はレモンをひとつ買って帰ってみませんか? 料理にひとしぼり、きっと豊かな香りに包まれて疲れも癒されることうけあいです。
参考:
『高村光太郎詩集』新潮文庫
『智恵子と生きた-高村光太郎の生涯-』茨木のり子 童話屋
『レモンの歴史』トビー・ゾンネマン著 高尾菜つこ訳 原書房