ラスボス?宇宙の創世神?妙見菩薩とは?

ところで、妙見菩薩や北辰妙見尊星王は、地蔵菩薩や観音菩薩、あるいは阿弥陀様、お不動様、薬師様などと比べて、一般的にはあまり聞きなれない名前ですよね。神仏混淆であった明治以前には、北辰権現または北辰明神といわれ(権現は神が仏身として顕現すること、明神は仏が神の姿を取ること)、明治以降は天之御中主大神(あめのみなかぬし)として、日本神話であらゆる神の筆頭に登場する宇宙始原の神とされました。なぜならこの神は北極星の化身であり、天の中心にあって宇宙の星々を統べ、宇宙の秩序をつかさどる中心にある、と考えられたからです。北辰の「辰」は、龍神の意味と同時に、時間や、宇宙の秩序そのものをあらわす言葉です。
北極星は長く遊牧民や海洋民に信仰されてきましたが、やがて中国で道教と習合し、陰陽道や易学・九星気学・風水学ではもっとも高位にある至高の支配者として尊崇されるようになりました。このため、日本でも主祭神の天之御中主大神と習合されるようになったわけです。また、陰陽道の鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)」や、海洋神である恵比寿神とも習合されています。
その絶大な霊力で、人が担う星(宿命)をもその手に握り人間界を支配している存在であると信じられるようになりました。
ではどうしてこの妙見菩薩=北辰妙見尊星王は、千葉氏の守護神とされ、厚く信仰を受けてきたのでしょうか。それは、千葉氏の祖である桓武天皇までさかのぼります。
桓武天皇御世(781~806年)、大陸からもたらされて浸透しつつあった妙見菩薩信仰を、桓武天皇は宮中行事としてはじめて取り入れました。「御燈(ごとう)」と呼ばれるこの行事では、3月と9月に灯火を北辰妙見に捧げました。しかし、これが庶民に「北辰祭」として広まると、一夜限りの男女が交わる乱交祭りへと発展してしまいます。いわゆる「歌垣(かがい)」と呼ばれる平安時代以来の乱交の風習は、北辰祭を端緒としています。
というのも、北辰妙見は北極星の神であると同時に宇宙創成をなした男女和合・生殖をつかさどるともされたからでした。これは妙見の乗り物である玄武神獣が亀と蛇という生殖と関係する生き物の合体した姿であることにも表れています。しかしあまりの流行振りに風紀の乱れを懸念した朝廷は、北辰祭を延暦15(796)年に禁止してしまいます。妙見信仰も一旦は廃れました。

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