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昭和20(1945)年8月9日午前11時2分。長崎市の市街地の北部、松山町付近上空で炸裂したとされるプルトニウム型原爆は「ファットマン」と呼ばれ、TNT火薬22キロトン分の威力(広島に投下されたウラン爆弾「リトルボーイ」の1.5倍)で、約7万4000人の命を奪い、12万人以上が罹災被害者となりました。日本がポツダム宣言を受け入れ降伏するわずか一週間前の悲劇でした。
それから72年。今年も平和公園で長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開催され、被爆者と遺族らが犠牲者を悼み、平和宣言と慰霊の式典が執り行われます。
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