春の爽やかな陽気にぴったりの果物、オレンジ。そして、今日(4月14日)は「オレンジデー」なんです。愛媛県の柑橘類生産農家が制定したもので、恋人たちの絆を深める記念日なのだそうです。
オレンジをはじめとする柑橘類は、香料として、また観賞用としても、古くから人類に利用されてきました。今回は、オレンジにまつわる歴史をひも解きます。

太陽や豊かさの象徴として、人びとの夢を駆り立てた「オレンジ」
太陽や豊かさの象徴として、人びとの夢を駆り立てた「オレンジ」

イスラム教徒が、そしてキリスト教徒が……スペインのオレンジの歴史

人類と柑橘類の歴史は古く、古代メソポタミアの遺跡から柑橘類の種子が見つかっているほどです。
そんな柑橘類のうち、オレンジの原産地はインドのアッサム地方。「熱帯産の珍しい植物」として西方に持ち帰られ、少しずつ広まっていきました。
現在のオレンジの産地は、ブラジル、アメリカ、スペイン、イタリア、メキシコなど。このうちスペインにオレンジが伝わったのは11~12世紀、当時イベリア半島を支配していたイスラム教徒によるものでした。
聖典であるコーランに描かれた「楽園」を象徴する果物として、オレンジはイスラムの人びとに愛されます。有名なコルドバの「オレンジの庭」も、彼らが残したものです。
その後、「レコンキスタ」によりイベリア半島がキリスト教化されると、オレンジはクリスマスと結びついて人びとの生活に溶け込んでいきます。もともとクリスマスとは、太陽の復活を祝う古いヨーロッパの宗教観にも通じるもの。太陽の恵みを一身に集めたようなオレンジは、そのお祝いにふさわしいものでした。クリスマスの贅沢なごちそうとして、はたまた新年の贈り物として、オレンジは新たな役割を担うことになったのです。

コルドバのメスキータ(大モスク)に残る「オレンジの庭」
コルドバのメスキータ(大モスク)に残る「オレンジの庭」

贅沢の象徴として愛された(?)オレンジ

オレンジはもともと熱帯のインドが原産地であることは、すでにお話ししましたね。
17~19世紀にかけて、ヨーロッパは「小氷期」に入り、凶作や飢饉に見舞われることが多くなりました。人びとは炉を備えた「オレンジ温室」を作り、寒さに弱い柑橘類を守ったのです。イタリア語で「リモナイア」、フランス語で「オランジュリー」と呼ばれるこれらの温室は、やがて貴族の庭園に欠かせないものになっていきます。
それまでも柑橘類は「豊かさの象徴」として、リンゴなどのありふれた果物とは違う扱いを受けていました。それを物語るのが、劇場につきものだった「オレンジ売り」。現代でいえばポップコーンやホットドッグのように、「非日常」を演出してくれるのが、普段はめったに口にできないオレンジだったというわけです。
とくに、柑橘類の栽培が難しいヨーロッパ北部では、オレンジへの憧れが強かったようです。静物画などにオレンジが描かれるのも、それが「異国情緒」「裕福なライフスタイル」を象徴するものだったからだといわれます。事実、20世紀半ばになっても、ヨーロッパにおける柑橘類は「クリスマスの時期にだけ出まわる贅沢品」だったのだそうですよ。

朝食にオレンジジュースを飲む習慣は、ここから生まれた?

有名なオレンジの産地のひとつ「アメリカ」。アメリカにおけるオレンジ栽培の成功は、「シトラスベルト」と呼ばれる、柑橘類の栽培に適した気候の土地があることが最大の理由だと言われています。
20世紀はじめ、栽培が順調に拡大し、オレンジが供給過多になったことがありました。この時に仕掛けられたのが、その名も「オレンジを飲もう」キャンペーン。朝食にフレッシュなオレンジのジュースを飲みましょう、と人びとに呼びかけたのです。「スペインかぜ」(インフルエンザ)の大流行で人びとの健康志向が高まっていたこともあり、このキャンペーンは大ヒット。それまでは上流階級のものだった「朝食にフレッシュジュースを飲む」習慣が、一気に庶民にも広がったと伝えられています。
ちなみに、各地の「オレンジ温室」はその後、公共性の高い施設に転用された事例が多いようです。パリのオランジュリー美術館や、ロンドンのキュー・ガーデンのレストランなど、訪ねたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この他にも、オレンジや柑橘類には興味深いお話がいっぱい。それはまた、次の機会にお届けしたいと思います!
参考:ピエール・ラスロー(寺町朋子訳)「柑橘類(シトラス)の歴史 歴史と人との関わり」(一灯舎)
農山漁村文化協会編「地域食材大百科」(農山漁村文化協会)

パリ・テュイルリー公園内に佇む「オランジュリー美術館」
パリ・テュイルリー公園内に佇む「オランジュリー美術館」