春もクライマックスを過ぎ…暖かい日が続いたかと思ったら、花冷えが舞い戻っているこの頃…気が付けば、春はそろそろ後半となります。春を惜しむころ、秋とは違う柔らかな憂いが漂います。この季節、読みたくなる一冊はありますか?今日はシェイクスピアのソネット98『From you」を題材に、ミステリーの女王、アガサ・クリスティーが紡いだ心理ミステリー『春にして君を離れ」の魅力をご紹介します。

アガサ・クリスティーの小説『春にして君を離れ』

一見、何不自由なく人生を上手にこなしてきた(と、本人は思っている)初老のイギリス婦人が、娘を見舞った帰りのバグダッドで足止めになる数日間の、心の葛藤を描いている小説です。バグダッドという場所。旅の帰り道…そんな非日常の中で、今まで見ないようにしていた自分の心の声に気づいてしまう主人公・ジョーン。人を愛するということの意味、本当の自分を見つめることの難しさ、心の声を受けとめようとするジョーン。果たしてその決意の結末は…? 栗本薫さんの解説も読みごたえがあります。ハヤカワ文庫で「愛の小説シリーズ」として発売されました。
クリスティーと言えば、ポワロやミセス・マープルなどの名探偵が活躍する推理小説の旗手として知られていますが、「愛の小説シリーズ」は全6作。どれも女性は一度手に取ってほしい、「女性が女性のために」書いた作品ばかりです。原書では当初、メアリ・ウェストマコットの名で発表されましたが、日本では最初からアガサ・クリスティーの名前で出版されています。
【愛の小説シリーズ】
1930年 愛の旋律 - Tree Giant's Bread
1934年 未完の肖像 - Unfinished Portrait
1944年 春にして君を離れ - Absent in the Spring
1947年 暗い抱擁 - The Rose and the Yew
1952年 娘は娘 - A Daughter's a Daughter
1956年 愛の重さ - The Burden

シェイクスピアのソネット98『From you』

シェイクスピアは多くのソネットを残していることでも知られています。クリスティーもシェイクスピアもイギリス人。私たち日本人が和歌や俳句に触れるように、クリスティーはソネットに親しんでいたのでしょう。本文の中にもいくつかのソネットが効果的に取り入れられています。和名タイトル『春にして君を離れ』は原書では『Absent in the spring』、シェイクスピアのソネット#98『From you』にちなんでいます。
春を一緒に過ごせなかったね…と男性から女性へ贈られた一節から、クリスティーが作り上げた女性の心理。『From you』は、内なる心が自分の外側の心へ贈る言葉という意味なのかもしれない。小説の主人公・ジョーンと自分を比較したり、重ねて見たり、生温かい春の風に吹かれながら内なる心に想いを馳せるのも、春惜しむころの醍醐味かもしれません。万物の生命力があなたを後押ししてくれるかもしれません。
《参考》
『 春にして君を離れ』早川書房
Hayakawa Online