3月25日より、春分の次候「桜始開(さくらはじめてひらく)」。桜といっても数あれど、現代では桜前線の指標であり、日本の桜の八割を占めるといわれるソメイヨシノが断トツの人気。明治期に爆発的に全国に普及し、日本人にこよなく愛されている名花です。けれども、どうも花そのものをめでるというよりは、年越しのカウントダウンなどのように、「みんなで開花で盛り上がる」というイベントとしての愛され方のようにも見えます。その美しい「桜色」を愛でたいのであれば、「咲き頃」に気をつけなればなりません。

世界に冠たる園芸大国江戸・染井村で作出されたクローン桜

桜が大好きな日本人。公園にも学校の校庭にも川の土手にも並木道にもお城にも、桜は当たり前のように植えられていて、桜前線とともに日本列島を「桜色」に染め上げるかのよう。
でも、私たちが今眺めている桜、その大半を占めるソメイヨシノの咲き乱れる風景は、桜、花見の歴史から見ればつい近年になって作られたものでした。山岳信仰・山伏の祖といわれる役小角(えんのおづぬ/役行者)が開山したといわれる金峯山寺が鎮座する奈良県吉野山の桜は上代から中世、近世を通じて貴族や武士たちに愛されてきましたし、江戸時代の中期、享保年間に上野寛永寺以外に庶民に桜の名所を、と八代将軍徳川吉宗が江戸城から大量の桜を飛鳥山(現・東京都北区)、御殿山(品川区)、向島(墨田区)に移植し、江戸庶民は大いに花見を楽しんだといいます。
でも、吉野山の桜は、その大半はシロヤマザクラで、ソメイヨシノではありません。
吉宗が移植した桜もやはりほとんどはヤマザクラでした。その当時まで、「桜」といえばヤマザクラだったのです。
江戸時代の日本は世界的に見て、園芸、特に花の作出技術が突出して進んだ園芸先進国でした。ヨーロッパの園芸が造園技術を背景に発達したのに比べて、日本の場合は個人として植物と向き合う姿勢が重んじられ、花を育てることが武士の修養・鍛錬の意味合いすらあったのです。植物好きだった徳川家康を引き継いで、江戸幕府は植物の育成、花の作出にも力を入れ、各藩も幕府への献上品として美しい花の作出に力を注ぎました(お留め花)。こうして花ショウブや牡丹、菊、躑躅などの美しい園芸品種が作出されました。また、巨大都市でひしめきあう江戸の生活は釣りしのぶなどに加工したり、朝顔市やほおずき市など現代にもつながる楽しみや社交の場をもたらし、オモト、マツバランなどのマニアも登場しました。
こうした中、江戸時代の染井村(東京都豊島区駒込)の植木職人・伊藤伊兵衛政武が、1720~1735年頃に、エドヒガン系の桜とオオシマザクラを交配し、作出したのがソメイヨシノでした。

吉野の山桜
吉野の山桜

あの有名スイーツとソメイヨシノ誕生の意外な関係

ソメイヨシノの母種であるエドヒガンは、桜の中では長寿であることで知られていて、時に樹齢2000年を超えることもあるといわれます。全国各地にある桜の古木(神代桜、淡墨桜、樽見の大桜など)は、ほとんどこの種で、春のお彼岸ごろにたくさんの花をつけるので「彼岸桜」と呼ばれます。
一方、享保二(1717)年に長命寺で生まれ、爆発的に江戸で大ヒットしたお菓子、桜(長命寺桜もち)。
この桜餅をつつむ葉を取るために、江戸ではソメイヨシノのもうひとつの原種で父種にあたるオオシマザクラが植樹されるようになりました。オオシマザクラの苗木を販売して江戸中に広めたのも、染井村の伊藤伊兵衛一族だと考えられています。
このオオシマザクラとエドヒガンを掛け合わせ、ソメイヨシノが誕生しました。ちなみに「大島」桜という名から伊豆大島の桜が持ち込まれたと思われがちですが、近年のDNA研究で、ソメイヨシノに使われたオオシマザクラは房総半島由来と判明しています。
エドヒガンからは葉に先駆けて花を咲かせる性質を、オオシマザクラからは端正な花の形を受け継いでいます。現在日本に何千万本とあるソメイヨシノは染井村のたった一本の苗木から切った枝を挿し木したクローン。それゆえに一斉にその地域で手品のように咲き出すわけです。
明治期、クローンであるソメイヨシノが、戦勝祈念や天皇即位などの国家行事、また、幕藩体制の名残である城跡に積極的に植樹することで天皇国家ニッポンを表出するためにソメイヨシノが選ばれたのが、現在ソメイヨシノが沖縄と北海道の北部以外の日本で大量に普及している理由です。

ところで「ソメイヨシノは子どもを作れない」つまり不稔性である、という説はよく聞かれます。でも、ソメイヨシノのサクランボ(実)を見たことってないですか? ソメイヨシノも結実します。ただし、桜の自家不和合性(自家受粉しないこと)の性質から、自分自身であるソメイヨシノ同士ではほとんど結実しません。また結実しても発芽能力がありません。他の桜の種が近くにあれば、花粉が運ばれて受粉し、結実します。ただ、そうして出来た実が発芽しても、ソメイヨシノにはなりません。ソメイヨシノと別の種との交配種はすでに100種以上が作られていて、ソトオリヒメ、ショウワザクラなどの名前も付けられているのです。
実は桜というのは原種とされる自生種は11種ですが、これらが盛んに交配して交雑し、日々年々あちこちでいわば「新種」が生まれています。細かい差異がほとんどで、たいていはいずれ混ざり合って埋もれて消えてゆく種も多いのですが、山に入って桜をよくよく観察すると、はてな?これは何ていう桜だろう、と思う不思議ちゃんがけっこうあるものです。今の日本のソメイヨシノ一色の景観も、もしかしたら数十年後には変わっているかもしれません。
そもそもソメイヨシノ自体も、短命で60年くらいすると樹勢が衰えて枯れてしまうといわれていましたが、母種であるエドヒガンが長命種であることから、本当は短命ではないのではないか、とも言われてきています。要は公園や街路樹などあまり生育には不利な場所に植えられ、しかも常に根を張った樹下の地面をアスファルトなどで覆われ、人に踏みしめられ、花見の時には油まみれのバーベキューの煙やライトアップなどで痛めつけられるために弱っていってしまうのではないか、ということです。適切に根を刷新管理すれば、ソメイヨシノは実は長寿でした、なんてわかるときがくるかもしれません。

「桜舞い散りすぎ」のわりには…散り際の桜こそ楽しみどころです!

最近毎年思うことは、花見の季節になるとまだ二部咲き三部咲きのちらほら咲いている頃の寒い時期に、勇んで花見に繰り出している人たちの多いことです。なぜそんなに急いで花見をしようとするのでしょう。
「この雨(風)が、花散らしの雨(風)になってしまうかもしれません」というコメントが毎年聞かれ、「今年の桜は終わり」とでも言いたげな宣言が出されます。でも、どんなに雨が降ったり風が吹いても、それで一日で丸坊主にはなりませんよね。
ソメイヨシノは花色が変化する花。花弁のピンク色を作り出しているのはアントシアニン。つぼみの時には大量にある花のアントシアニンは開花後に減少し、全開になったときに最小になります。咲きたてのソメイヨシノを手にとってよく見ていただければ、花弁の付け根がほんのり赤いだけで、全体が真っ白に近いことがわかります。真っ白なリンゴや梨の花と見まごうばかりです。ところが開花して数日たつと、再びアントシアニンの量が増えだします。花の真ん中の花糸(おしべの軸)も白っぽかったのが真っ赤に変わり、花弁も全体がピンク色、つまりあの誰もが思い浮かべる「桜の色」にこのときはじめて変わるのです。ですから散り際こそ、ソメイヨシノの真骨頂でありもっとも美しい姿なのです。
なのに、満開を過ぎた頃から、あれほど桜桜とさわいでいたのに、誰も桜に見向きもしなくなるように感じませんか?クローンのように似たフレーズの多いJポップを皮肉って「桜舞い散りすぎ」という言葉も出るほど、日本人は「舞い散る桜」が好きなはずなのに、桜吹雪の時期の桜の名所は、どこも閑散として、そんな時期に花見をしている人があれば、冷淡な目を注がれかねません。せいぜい子どもたちが、吹き溜まった桜の花びらを手一杯に抱えあげて放り上げて遊んでいる程度。以前はこれほど極端に花見が前倒しになることはなく、舞い散る桜吹雪を楽しむ花見の宴会を見かけた気がします。
さらには、「最近桜の色が白っぽい気がする。環境悪化のせい?」なんていう懸念もちらほら聞かれます。でもそれは映画やドラマ、CMや雑誌などで見る色補正がかけられて実際よりも鮮やかで濃い色の桜を見すぎているためにそう感じることと、そして何より花見の時期が早すぎる、ということが一番の理由です。
基本的には咲き始めから満開の頃は白っぽく、散り際にピンクに染まるものだということに留意して、今年は桜の開花から散るときまで、美しい桜の移ろい行く様子をゆっくり、じっくりと楽しみたいものです。
参照
ソメイヨシノとその近縁種の野生状態とソメイヨシノの発生地
吉野山の桜・吉野観光協会