カエルといえば、冬の寒い時期は土の中にもぐって冬眠し、啓蟄も過ぎて暖かくなった頃にごそごそ這い出てくる習性はご存知の通り。ところがまだ厳冬期と言っていい2月の初め。突然田んぼのあぜからキロロ、キロロ、という少し細めのカエルの鳴き声が聞こえてくることがあります。それはアカガエルの声です。え,この時期にカエルが?と驚くかもしれません。実はアカガエルはある目的のために冬眠を中断してこの時期に起きだし、そして用を終えるとまた眠りにもどります。まるでトイレに起きて二度寝する人のような変り種のカエルなのです。何のためなのでしょうか。

ぐうたらだからにあらず!なぜ早春に卵を生むのか・生めるのか

ニホンアカガエル(日本赤蛙 Rana japonica/Japanese Brown Frog)は、カエル目・アカガエル科の日本固有種。類似種としてヤマアカガエル(山赤蛙 Rana ornativentris )があり、両種は北海道以外の日本全土に繁殖しています。北海道とサハリンには類似種エゾアカガエル(蝦夷赤蛙 Rana pirica )がいます。
その名の通り体色は背面や四足が赤みを帯びていて、朱色に近いものから黄土色、褐色に近いものまでバリエーションがあります。体長は4~8cmほど。背中はなめらかで、吻の先端が少しとがっています。水かきは後ろ足だけで、アマガエルのような吸盤はありません。
アカガエルたちは春まだ浅く凍える気候の1月~2月頃に冬眠から起きだして繁殖を行ないます。冷たい水の中でねぼけまなこで抱接(オスがメスを背後から抱きかかえて腹を強く押し、メスは卵塊を水中に放出、オスはその上から精子をかけて受精させる)を行い、メスは500個から、多いときには3000個ほどの卵塊を流れのない浅い止水域に産み落とします。
そして、卵を生むとまたカエルたちは、落ち葉や泥の中、水の底などにもぐりこみ、再び5月ごろまで眠りにつくのです。
産み落とされた卵はその後半月ほどで孵化しますが、気温が低すぎると孵化しないまま凍結して死んでしまったり、オタマジャクシのときに凍死してしまったりします。なぜアカガエルはそんな時期に卵を生むのでしょう。
アカガエルの仲間は先祖は北方系。両生類では少数派の寒冷地に適応して進化した種なのです。その性質が、冬の寒い時期の繁殖行動として残っているものと思われます。
その特性を利用して、アカガエルのオタマジャクシたちはスタートダッシュを狙うのです。この時期に産卵する両生類は、トウキョウサンショウウオ以外にはほとんどありません。他のカエル、両生類に先駆けて孵化することで、水草や藻類などの食べ物で競合することなく、基本食べ放題。また、後から産卵された両生類の卵を、成長したアカガエルのオタマジャクシたちが食べてしまうこともあります。
さらに、寒い時期には最大の天敵のヘビも冬眠中。ザリガニやヤゴなどの捕食者もいません。こうしたニッチな環境を狙って、早めに生まれてくるわけです。

産卵したら再び眠りへ…
産卵したら再び眠りへ…

稲作水耕とともに繁栄したアカガエル。でも今大ピンチ!

とすると、アカガエル最強!のように思われるかもしれませんがそうではありません。アカガエルは水の流れのない止水域に産卵する、と書きましたが、この止水が深いと産卵できないのです。底が深い泉や池、排水溝などでは産卵は出来ません。そして、アカガエルが産卵する時期には当然まだ田んぼには水が入っていない休耕期。アカガエルの親は、水が抜かれ、秋に土を返された田んぼのあぜの縁などに出来る深さ10センチほどの大き目の水溜りを探して、そこに産卵するのです。
日本の田はかつては湿田と呼ばれ、稲作の時期にはもちろん水を張り、水を落とした休耕期にも、じくじくとした水溜りが常時存在しました。が、近年の水田の圃場整備、用水くみ上げ方式からパイプライン方式への近代設備化により、不必要なときには水を完全に切り管理する乾田化が進行し、アカガエルの産卵にできる水溜りが激減してしまったのです。また成体のカエルは水田周辺の草原や林で生活します。かつては裏山と草場、小川や用水路、そして田畑が連続して里山を形成していましたがそれも道路などで分断されました。
アカガエルとは、稲作中心に人間が作り上げた里山の環境に適応し、依存して北方や山地から列島全土に生息域を広げ、日本全土にひろがった種なのです。アカガエルはけなげなことに自分が生まれ育った田んぼに産卵に来ます。でも、親が生まれ育ったときには湿田で成育できた環境も、乾田化でいくら出産してもみんな死んでしまいます。親が死んでしまうと、もうその田んぼに生みに来るアカガエルはいなくなります。こうして、日本全土のあちこちで、アカガエルの局所的絶滅が進行し、今、急激に数を減らしているのです。
日本に生息する在来のカエル38種の中でも最悪のペースです。
カエルたちは春季から夏季、食害をもたらす害虫をせっせと食べてくれる、稲にとっての守り神のような存在。乾田にカエルたちのために冬も水をためておく、排水路の一部を素掘りのままにして上り下りの場所を作る、などの対策をして、絶滅を防いでほしいものです。

アカガエルたちはどこへ
アカガエルたちはどこへ

縄文時代以来ずっと寄り添ってきた小さな生き物。どうしたら命を守りつなげるのでしょう?

縄文時代の海進期に日本列島はほとんど平地を失い、急峻な山岳地形に流れの速い川が海へと落ち、止水域に生息する淡水系の生物は生息しにくい環境でした。それが縄文期以降、人間が住み着き徐々に土地を開墾し、治水を行い、水田という穏やかな湿地・水域を作り、多くの淡水性の生き物が棲むことのできる環境を整えたのです。
筆者はかつて春を迎えて田んぼに水が張られる時期になると、近所の水田にポンプで水が勢いよくくみ上げられ、みちていく様子を眺めに行きました。待ちかねて鳴き交わす悦ばしげなカエルたちの鳴き声は、祝祭のようでした。
日本のカエルと水耕稲作は、共存共栄、共依存の関係だったのです。自然の生物と人の営み・産業が対立・相克関係にあるのではなく、互いに必要としあう調和関係。
もっとも、昔の人間は現実的でシビア。アカガエルも、あらゆる野生生物と同様人間の餌食となっていました。がまの油、ヒキガエルの干物は漢方薬として有名ですが、アカガエルは「赤蛙丸(あかひきがん)」という名で疳の虫の良薬として江戸時代には行商されていました。また、関西ではアカガエルを串にさして焼いたものが、今の焼き鳥のように気軽な軽食として売られていたのだとか。そんなことができたのは、アカガエルもまたそれだけうじゃうじゃいたからこそですね。
公園の茂みや池などでも見られるアマガエルやアオガエルなどと比べると、水田のある里山まで行かないと見られないアカガエルは現代人にはあまりなじみがないかもしれません。でも、これほど日本人の稲作耕作の歴史と密接に結びついてきたカエルは他にはありません。
食生活も米食から小麦粉や肉の食習慣に変わり、耕作放棄地や休耕田も増え、また農家の高齢化も進んでいます。稲作農業の衰退によるアカガエルのピンチは、そのまま私たち自身の生活・文化のピンチなのかもしれません。
列島の南から、アカガエルの産卵前線現在北上中です。ご近所に田んぼがあればあぜの縁をのぞいてみてください。そして水溜りにアカガエルの卵塊を見つけたら、まだ里山の自然環境が良好な証拠。どうか干上がって死んでしまったりしないよう、見守ってあげてください。

参考:早春に産卵するニホンアカガエルとトウキョウサンショウウオの生息数の変化
谷津環境におけるカエル類の個体数密度と環境要因との関係