暦の上では立春を迎えましたが、まだ寒さは続きそうです。
さて、先日2月3日には節分がありました。節分といえば豆まきと恵方巻ですが、この恵方巻に欠かせない海苔も、2月とは深い関係があります。
実は節分の後、2月6日は「海苔(のり)の日」なのです。かつては貴族が食べる高級品だった海苔も、江戸時代、養殖が始まると庶民にも手が届くようになりました。今では一年中、食べることができますが、江戸湾の海苔の旬は冬場。1月から2月の海苔が一番おいしいといわれていたそうです。

今日2月6日が「海苔の日」にちなみ、海苔のあれこれをご説明します
今日2月6日が「海苔の日」にちなみ、海苔のあれこれをご説明します

「海苔の日」ってどんな日?

「海苔の日」がはじまったのは1966年。全国海苔貝類漁業組合連合会(全海苔漁連)が消費拡大のために設定しました。
当初は業界団体として、この日に海苔の品評会などを開いていましたが、後には街頭で海苔と海苔の選び方や焼き方などを記したパンフレットを無料配布したりと、海苔を広く消費者にアピールする日になりました。
今では2月3日から6日前後の一週間を「海苔ウィーク」として、さまざまなイベントが開催されています。
「海苔の日」が2月6日となった理由については、701年に制定された法典、大宝律令で、朝廷に納める産地諸国の物産として海苔も指定されたことに由来します。
海苔の歴史をさかのぼると、神話にも海苔は登場するといわれていますが、少なくとも700年ころには海苔はすでに食べられていたということ、さらに朝廷に納めるほどの高級品だったことがわかります。そしてこの大宝律令の施行日を今の暦に換算した日が、2月6日というわけです。

「海苔の日」の由来は、昔の法律から?
「海苔の日」の由来は、昔の法律から?

海苔が一般に広まるのは江戸時代から

海苔が一般の人々の口に入るようになったのは、江戸時代に入ってからです。
疎朶(そだ)という木の枝を海の中に立てて、そこに海苔を付着させて育てる養殖が始まると、市場に出まわる量も増えました。
さらに、紙すきにヒントを得たともいわれる、四角い板海苔も登場。ごはんや具を巻いた海苔巻きが流行るなど、海苔は江戸の庶民たちにも親しまれる、人気の食材になりました。
ただ、このころはまだ、ノリの生態はよくわかっていませんでした。
ノリの生活サイクルが解明され、より安定的な養殖が可能になったのは昭和24(1949)年以降のことです。

江戸時代に始まった海苔の養殖
江戸時代に始まった海苔の養殖

浅草海苔は品川の海苔?

さて、海苔というのは、アマノリ、アオノリ、カワノリなどの藻類をすいて、食用としたものです。
漢語では、紫菜(しさい)、水苔(すいたい)、海菜(かいさい)、石衣(せきい)、苔哺(たいほ)、石髪(せきはつ)ともいうようです。
私たちにもなじみの深い浅草海苔は、アマノリの一種です。
浅草海苔という名前の由来には諸説あります。
「墨田川河口で海苔がとれたから」「品川や大森の辺りでとった海苔を浅草で加工したから」、または「品川、大森で加工した海苔を浅草で販売したから」というものもあります。

浅草海苔のいわれもいろいろ
浅草海苔のいわれもいろいろ

「海苔」と「糊」実は同じだった?

ところで、「海苔」と「糊」、どちらも「のり」と呼びますが、実はこの語源は同じと考えられています。
本来「のり」というのは「ねばったさま」を指す葉でした。藻のぬるぬるした状態から「のり」という名前になりました。
ただ、ほかにもいろいろあり、例えば「潮に乗ったものだから『のり』といった」「海の中では布のように見えるので『ぬのうみ』といっていたものが変化して『のり』になった」「煮ると糊のようになるから」といった説もあります。

*本記事では、食品は漢字表記で「海苔」、植物名はカタカナで「ノリ」、また読み方は平仮名で「のり」としています。
参考:たべもの語源辞典(東京堂出版)、近代日本食文化年表(雄山閣出版)、図説江戸料理事典(柏書房)、すしの事典(東京堂出版)
HP:全国海苔貝類漁業協同組合連合会、海苔産業情報センター、海苔JAPAN、山形屋海苔店

「海苔」と「糊」その違いは?
「海苔」と「糊」その違いは?