今日で10月も終わり。10月後半としては異例の夏日を記録した地域もありましたが、とはいえ、朝晩は寒さを感じることも多くなってきました。富士山の初冠雪をはじめ、雪の便りもちらほら聞こえてきます。
秋たけなわのいま、そんな季節の詩歌を紹介します。

材木座海岸(神奈川県鎌倉市)の夕暮れ
材木座海岸(神奈川県鎌倉市)の夕暮れ

冷やか、身にしむ、秋深き

俳句の季語は、季節の変化に伴う人間の皮膚感覚に敏感です。
この季節の季語の筆頭は「冷ややか」です。漱石や安住敦の句は自分が寒いと言っているわけではありませんが、あたりの空気がやや冷たく感じられる瞬間をとらえています。
〈冷ややかや人寐(ね)静まり水の音〉夏目漱石
〈冷ややかに壺をおきたり何も挿さず〉安住 敦
「やや寒」「朝寒」「身に入(し)む」といった言葉もあります。虚子の句は「漸寒」の文字を使って古びた城下町の雰囲気を描写しています。寒く感じられるようになった秋の朝はまるで旅の宿で目覚めた気がする、という島田青峰の句も実感がありますね。
〈野ざらしを心に風のしむ身かな〉松尾芭蕉
〈漸寒や一万石の城下町〉高浜虚子
〈朝寒や旅ごころめく目ざめかな〉島田青峰
朝晩の気温が低くなってきて、秋が深まると何か聞こえてくる物音も違って感じられるようになります。「秋の声」という言葉もあります。
〈秋深き隣は何をする人ぞ〉松尾芭蕉
〈秋深きひとごゑあたたかし〉加藤楸邨
〈秋声を聴けり古曲に似たりけり〉相生垣瓜人
〈水道栓漏るを漏らしめ秋深し〉石塚友二
石塚友二は、水道からポツンポツンと水が漏れている音が聞こえてくるけれど、そのままにしてその音を聞いているのだ、という句です。
俳句の音数の少なさが、秋の冷えた空気によくあっています。

冷え込んだ早朝にのぞむ霊峰・富士
冷え込んだ早朝にのぞむ霊峰・富士

秋の夕暮れと野分

和歌では、春の曙と対比して秋の夕暮れが特に情緒をかき立てるものでした。
〈見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮〉藤原定家
〈さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ〉寂蓮
〈心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ〉西行
これは、いずれも「新古今和歌集」に収録されている歌ですが、秋の夕暮れを詠んだ歌「三夕の歌」として有名です。
特に定家の歌はわび茶の精神を体現する歌として、茶道の世界でも有名で、定家の書も掛け物として珍重されます。
秋のテーマとして詩歌でよく取り上げられるのは、月、夕暮れ、そして「野分」でしょうか。
「野分」は、野の草を分けるほど強く吹く風のことですが、台風のことも言い、秋から冬にかけての強い風を広く指します。
風が強く吹いて、庭が荒れ、ものが飛ばされたりするなど、必ずしもいいこととは思えません。
ところが、「枕草子」は「野分のまたの日にこそ、いみじうあはれに、をかしけれ」と記してこんなところにも情緒を見出しています。次の句も野を海に見立てています。
〈山川に高波も見し野分かな〉原石鼎
人間の心や皮膚感覚に季節の移り変わりを重ねて観察するのが、詩歌のもっとも大きな働きのひとつです。
秋の夕暮れ、詩歌を連れて散歩してみては?

野分になびくすすき
野分になびくすすき