菊美しき季節となりました。
今月中旬頃から日本各地で「菊まつり」や「菊人形展」が開催され、家々の庭では、野路菊、浜菊、嵯峨菊、秋明菊といった種々の小菊が開花の時期を迎えています。
古来より日本人が、春の桜とともに秋の菊を愛してきたのはご存知の通り。しかし、平安時代には、霜枯れで色変わりした菊の花がもっと愛されていたことをご存知ですか?
平安貴族が愛した「移ろふ菊」についてご紹介します。

野に咲く白菊。誰もが心惹かれてしまいます
野に咲く白菊。誰もが心惹かれてしまいます

可憐なうえに霊力をも備えた、エキゾチックな花

菊は、奈良時代末から平安時代初めにかけて中国から伝えられました。この可憐な花は平安貴族を魅了し、以来盛んに栽培され、菊に寄せた数々の歌が詠まれるようになりました。
「植えし植えば秋無き時や咲かざらむ花こそ散らめねさえかれめや」在原業平
(真心込めて植えたならば、秋という季節がある限り咲いてくれるだろう。花が散っても根が枯れなければ)
「久方の雲のうへにてみる菊は天つ星とぞあやまたれける」藤原敏行
(宮中の殿上から見る庭の菊は星と見まがうほどに美しい)
また、渡来した折から、この花には邪気を払い長寿を授ける霊力を持つ、という伝説が伴っていました。この伝説をもとに、貴族達は九月九日の「重陽の節句」に、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わしたり、菊の夜露で身体を拭ってたりして長寿を祈ったのです。
「老いにけるよはひもしわものぶばかり菊の露にぞけさはそぼつる」曽根好忠
(老いてしまった年齢も皺ものびそうだ。今朝、菊の露でこの身を濡らしたから)

貴族達が愛した「移ろふ菊」とは?

ところで菊を詠んだ歌に、このようなものがあります。
「秋をおきて時こそ有けれ菊の花うつろふからに色のまされば」紀貫之
(秋を過ぎてこそ菊は盛りであり、打ち萎れていく程に色の美しさがまさる)
「紫にやしほ染めたる菊の花うつろふ花と誰かいひけん」藤原義忠
(紫に何度も染めたような美しい菊の花を、色褪せた花などと誰が言ったのだろう)
「移ろふ」とは色が変わる事。確かに菊には「アスター」等、色変わりする品種もありますが、この歌は、そうした品種の花について詠んだものではありません。
実は「移ろふ」とは、晩秋の頃白菊が霜枯れし、花弁の端から「紫」に褪色した様子。
通常、褪色した花は、みすぼらしいものとして倦厭されますが、平安貴族にとって、霜枯れした菊だけは別格でした。より高貴な色「紫」に変わる事により、盛りの頃の白菊よりも美しいとされたのは、前述した歌が示す通りです。
それにしても、霜枯れして優美な「紫」になった菊にはお目にかかった事がありません。実際はいかなるものなのか…?気にかかったので実験をば、と、可哀想でしたが白菊を水に濡らして冷蔵庫に入れてみました。その結果は…。
残念ながら花びらの先は「茶色」に褪色してしまいました…。が、その花を暗い所で見てみると、あら不思議!「茶色」が「紫」に見えるではありませんか!何もかもが電燈で明るく照らし出される現代と違い、晩秋のほの暗い平安期の風景の中では、「茶色」い霜枯れの菊が、何とも優美な「紫」に見えたのではないかと推察するのですが、いかがでしょうか?

こちらは色変わりする品種の菊
こちらは色変わりする品種の菊

使い方でちょっと怖い、恨みを込めた「移ろふ菊」

さて、「移ろふ菊」は、歌に詠まれただけでなく、冠や髷に挿したり、手紙に添えて送られたりしました。
源氏物語」にも、「移ろふ菊」を挿して美々しく舞う源氏の君の姿が描かれていますが、最後に「蜻蛉日記」に登場する「移ろふ菊」をご紹介します。
時は神無月のつごもり。他の女に心を移したと思われる夫へ、日記の作者である妻が手紙を送ります。
「なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」
(あなたのおいでがなくて嘆きながらひとり寝る夜はどんなに長いものか、あなたはご存知でしょうか)
「と、例よりはひきつくろひて書きて、移ろひたる菊にさしたり」
(と、いつもよりは改まって書いて、色褪せた菊に挿して送った)
この時に添えられた「移ろふ菊」には、こんな風にあなたの心も移ろってしまったのね、と言う皮肉と恨みが込められています。
いくら優美な色であったとしても、この菊、ちょっと怖くて手に取るのをためらってしまいそうですね。