「夏の月」という季語があります。暑い夏の夜空に光る白さに涼しさを感じる…という表現です。今日7月11日に記念日を迎えた「真珠」は、別名「月のしずく」とも呼ばれています。明日12日の夜に上弦となる月は、夏の星座で賑やかな夜空の中で、星々に照らされ、そのきらめきとともに丸みを帯びていきます。
1893年7月11日に、御木本幸吉(みきもとこうきち)・うめ夫妻が初めて真珠(半円真珠)の養殖に成功してから123年目を迎えた今宵、きらめく月に真珠を重ねて…。

月のしずく…?いいえ、人の涙の結晶 by御木本幸吉
月のしずく…?いいえ、人の涙の結晶 by御木本幸吉

天然真珠から養殖真珠へ…

天然の真珠は、万に一つの確率で生まれるため「海の宝石」と呼ばれていました。それゆえ「クレオパトラは酢に溶かした真珠を飲んで美を保っていた」etc…など、真珠はさまざまな逸話を残してきました。それは天然の真珠が希少価値を放っていた証であり、高貴なあるいは、地位のある人にしか手に入れられない貴重品であったことを物語ります。
もし、真珠が偶然の産物に頼ることなく、生産することができたら…今では当たり前の養殖産業は、「世界中の女性の首を真珠で飾って見せる」…と豪語した御木本幸吉により発展しました。

形の不ぞろいな天然真珠は万に一つの奇跡
形の不ぞろいな天然真珠は万に一つの奇跡

真珠に生涯を捧げた、幸吉とうめ

養殖場を始めてから3年目に、半円形ながら5粒の養殖真珠を収穫しました。この時、妻・うめは5人目の子供をみごもっていました。5粒の養殖真珠成功と5人の子供たち…どこか因縁めいたものを感じませんか?
その後、1905年に真円形の真珠の養殖に成功しました。が、うめはその成功を見ることなく5人の子供を残してこの世を去りました。そのことで幸吉の真珠への想いはさらに強くなったのかもしれません。これまでにも増して、真珠の普及に飛び回り「真珠王」と呼ばれるまでになりました。

明治・大正・昭和、そして今

今年のG7伊勢志摩サミットで、参加国首脳の胸元に真珠のブローチがきらめいていたのは記憶に新しいところですね。養殖の成功により、真珠は「ジャパンブランド」になりました。海外の反応も大きく、幸吉の公言通り、日本の真珠は世界中へ輸出され「世界中の女性の首を飾った」のです!
とはいえ、天然真珠より多く安く売ることができる養殖真珠は「ニセモノ」である、と海外でバッシングを受けたり、戦時中は生産や輸出が禁じられたりしました。そんなときも幸吉はくじけることなく、バッシングの誤解を丁寧に解き、装身具を生産できない時は真珠をカルシウム剤にするなど、工夫を凝らして時代を生き抜いてきたのです。

豊受姫大神が祀られている「珠の宮」
豊受姫大神が祀られている「珠の宮」

うどんに真珠…神の地ならでは?浄化の白

真珠記念日となった最初の養殖成功は、現在のミキモト真珠島、かつて相島(おじま)を呼ばれた浜でした。この島の中心には「球の宮」という神社があり、豊受姫大神(とようけひめのみこと)が祭られています。縁結び・長寿・繁栄のご利益をうけられるとか…。
現在、御木本幸吉記念館、パールプラザ、真珠博物館が「珠の宮」を囲むように建設されています。パールプラザでは、幸吉の生家の商いであったうどん屋「阿波幸」が再現されています。神の地・伊勢ならではの伊勢うどんです。
白は浄化の色…うどんと真珠がこの地の名産になったことにも何か意味がありそうですね。

参考
書籍 『真珠王ものがたり 世界の女性の首を真珠で締めた男。御木本幸吉』 伊勢志摩編集室
サイト 『ミキモト真珠島』