今日6月29日はビートルズ記念日。1966年、今からちょうど50年前の今日彼らが初来日を果たした日です。
この初来日を記念し日本では今日が「ビートルズ記念日」。筆者が生まれたのは、この初来日の◯年後なので、ビートルズ世代ではありませんが、常にビートルズの曲は耳にし、彼らの様々な伝説も見聞きしてきました。来日は当初6月28日の予定でしたが台風の影響で飛行機が遅れ6月29日未明に。まさにビートルズ旋風一過を巻き起こして、彼らは5日後、次の公演先フィリピンへと旅立っていきました。彼らの初来日の軌跡を辿りながら、この50年を振り返ります。

かの有名なアビィロード。ファンの方なら一度は訪れてみたい聖地ですね。
かの有名なアビィロード。ファンの方なら一度は訪れてみたい聖地ですね。

法被を着たビートルズ

ビートルズ初来日の映像…といえば日航機から満面の笑みで手を振りながら法被を着てタラップを降りてくる有名な場面。襟元の左右それぞれに日航・JALとプリントされた法被は当時日航機のファーストクラスに搭乗した乗客に配られていた、言わば「ノベルティグッズ」。機内で手渡された時、最初に気に入ったのはジョン・レノンだったそう。ポール・マッカートニーはそれほど気に入ってはいたとかいなかったとか…⁉︎ 最終的には全員で法被を着てタラップを降りる事になりました。今にして思えば、その後オノヨーコさんと結婚することになるジョン・レノン、当時から親日家だったのでしょうか。またこの時リンゴ・スターの法被だけが襟にプリントされた文字が左右反転になっていました。このことで4人の中で少し小柄だった彼にだけ女性用が渡されたのでは?と噂になりましたが、結局、女性用を着るほど彼は小柄ではなく、当時この法被は手作業で生産されていた為単なるプリントミスだったそう。
言うまでもなくこの光景はその後現在に至るまで数え切れないほど流されJALにとっては大変な宣伝効果となりましたね。当時機内でビートルズを担当した客室乗務員には彼らに法被を着てタラップを降りてもらう、という大事なミッションが課せられていたそう。ビートルズが快く引き受けてくれて良かったですね。

あの人もこの人も、海外アーティスト御用達ホテル・キャピトル東急ホテル

ビートルズが滞在したのは永田町のキャピトル東急ホテル(ビートルズ滞在時は東京ヒルトンホテル)。来日記者会見もここで行われました。混乱をさけるため彼らは殆どホテルに軟禁状態で帰国までを過ごしました。外出するのはコンサート会場となった武道館との往復の時のみ。日本観光を楽しめない彼らのためホテル内に特別な「土産物店」が作られ連日、彼らのリクエストなどによりテーラー・骨董品店などがホテルの部屋へ出張しました。
ビートルズ滞在で一躍有名となったキャピトル東急ホテル。隣接する小高い森の木々や日枝神社との雰囲気とも相まって日本情緒が漂うホテルだった為その後も数多くの海外有名スターに愛されました。ショーン・コネリー、ダイアナ・ロス、デビッド・ボウイ、エリック・クラプトン…書ききれないほどです。現在のキャピトル東急ホテルは全面改装され2010年から近代的なタワーホテルとして再オープン、名称もザ・キャピトルホテル東急となりました。もうビートルズが顔をのぞかせたあの窓は存在しません。余談ですがホテル内のコーヒーハウス「オリガミ」も有名ですね。松任谷由実さん、故ジャイアント馬場さんなど多くの著名人がお気に入りだったそう。リニューアル後の現在もパーコー麺などの名物メニューを供し営業中だそうです。
実は当初、ビートルズの滞在先は別のホテルが予定されていたのはご存知ですか?当時はまだロックバンド=不良⁉︎のイメージがあり、なんとそのホテルは宿泊予約を拒否したそう。今思えばビートルズ(4人揃って)の来日はこの一度きり。その一回の滞在先となれるチャンスをみすみす逃してしまったのですね。
また彼らが来日公演を行った日本武道館も当初は難色を示していましたが、彼らが武道館初のロックコンサートを開催したことで、一躍注目され今ではロックの殿堂に。現在に至るまでビートルズの影響力は計り知れません。

現在のザ・キャピトルホテル東急
現在のザ・キャピトルホテル東急

ビートルズとマイケル・ジャクソン

前出のキャピトル東急ホテルを常宿にしていた著名人の中に故マイケル・ジャクソンがいます。
このマイケル・ジャクソンとビートルズが因縁の関係なのはご存知ですか。
ビートルズがデビューした当時はまだ版権ビジネスが今ほど普及しておらず、版権に関しては世界的にまだまだ法整備が整ってない時代でした。彼らが版権会社と結んだ契約は今では考えられない不利なものでした。その後彼ら(ビートルズの主な楽曲を手掛けたジョン・レノンとポール・マッカートニー)が自分達の元に版権を取り戻すには現在まで至っていません。では現在の所有者は誰? ご存知の方も多いと思いますが、今は亡きマイケル・ジャクソンなのです。(彼の亡き後は遺族が所有していると思われます)
ポール・マッカートニーは楽曲を提供するなどマイケル・ジャクソンと友好な関係を築いていました。1982年マイケルがポールの自宅を訪れた際、版権問題で苦労したポールはマイケルに「版権は大事だぞ」とアドバイスしたそうです。そのアドバイスを受けてか(⁉︎)2年後にマイケルはビートルズの版権を落札。その後二人は険悪な仲になってしまいました。
ジョン・レノン亡き後、ポール1人がビートルズの楽曲の作曲者に。現在も取り戻すべく奔走しているそうです。アメリカの法律で楽曲(1978年以前に作曲されたもの)を作曲してから56年経たら著作権は作曲者の元に戻ると定められていることから2026年にはポールの元に戻る見通しだそう。その時84歳になるポール…元気でいて欲しいですね。
いつまでも色褪せないビートルズの数々の名曲たち。ビートルズ記念日の今日は改めてお気に入りの曲を聞いて過ごしてみませんか。