日本に根づいた? 日本で生まれた? ロシアの食べ物

2016/06/12 16:30

6月12日は「ロシアの日」。1990年のこの日に、ロシア共和国が主権宣言を採択したことから定められました。 ロシアは日本の隣国のひとつ。両国のさまざまな交流、互いに影響を与えあってきた歴史を、シリーズでご紹介しています。 今回、取り上げるのはロシアの「食べ物」です。 ロシアにとくに関心がない方でも、「ボルシチ」「ピロシキ」「ビーフストロガノフ」……など、聞いたことがある料理が多いのではないでしょうか。 いつ頃から日本に伝わり、これほど親しまれるようになったのでしょうか?

具がたっぷり入ったボルシチ。ビーツによる鮮やかな色あいも魅力
具がたっぷり入ったボルシチ。ビーツによる鮮やかな色あいも魅力
ロシア料理を日本に伝えたのは、あの有名な教会? ロシア料理が日本に伝わった時期は、よくわかっていません。以下にご紹介するのは有力な一説です。 1858年、函館にロシア領事館が設置されます。 その数年後、領事館の敷地内に、有名な「ハリストス正教会」が建てられました。 ちなみに、この教会に迎えられたのが、東京・神田の「ニコライ堂」にその名を残すニコライ神父です。 このハリストス正教会で、ロシア料理を学んだ日本人がいました。 それが、函館の老舗レストラン「五島軒」の初代コック長である五島英吉です。 戊辰戦争で、旧幕府軍の一員だった英吉は、ニコライ神父に匿われ、やがて教会の従者として働くようになります。その中で、ロシア料理の作り方、パンの焼き方などを習い覚えたのだそうです。 もちろん、日本にロシア料理が伝わった時期は、これだけではありません。 20世紀初頭のロシア革命では、多くのロシア人が国外に脱出しました。 大多数のロシア人は欧米への移住を希望しましたが、一部の人びとは日本に住み続け、ロシア料理店を開業したり、日本人にロシア料理を教えたのです。 また、いったんは中国やアメリカに亡命したロシア人が、近代化が進む日本にビジネスチャンスがある、と来日したケースも多かったようです。 第二次世界大戦後には、日本人によるロシア料理店も増加しました。その担い手となったのは、戦前に中国東北部に移民していた人びと。現地で習い覚えたロシア料理を、帰国後に日本で再現したのです。
歴史の転換期に、ロシア料理が日本に伝わった
歴史の転換期に、ロシア料理が日本に伝わった
ボルシチは、盲目のロシア人作家が伝えた? もともとウクライナの郷土料理だった「ボルシチ」。 地域によって、牛肉や豚肉、鶏肉、羊肉、野菜や豆などさまざまな具材が使われます。どこか素朴な味わいが、ほっとさせてくれる料理ですよね。 寒い時期に食べたくなるボルシチですが、夏向きのボルシチもあります。 それは、リトアニアで「ハラドニーク」と呼ばれる、冷たいボルシチ。ビーツやきゅうり、タマネギなどの具がたっぷり入った、夏によく作られる料理です。 このボルシチを日本に伝えたのは、ロシア人の作家だという話があります。 それは、1914年に来日したワシーリー・エロシェンコ氏。盲目だった彼が来日した理由は、「日本では(マッサージなどの仕事で)目の不自由な人が自活している」という噂を聞いたからでした。 エロシェンコ氏が身を寄せたのは、「新宿中村屋」。 創業者である相馬夫妻を中心に、国内外の作家やジャーナリスト、画家などが交流する、国際文化サロンのような場になっていました。 その交流の中で、インド独立の闘士ボース氏がカレーを、エロシェンコ氏がボルシチを伝えたのだそうです。 あの寿司ネタも、おつまみも、ロシア語由来の名前 寿司ネタでもおなじみ「イクラ」が、ロシア語で「魚の卵」を意味する、というのはご存じの方が多いかもしれませんね。 ロシア語では、鮭の卵に限らず、魚の卵ならすべて「イクラ」。 日本で言うイクラは「赤いイクラ」、チョウザメの卵(キャヴィア)は「黒いイクラ」と呼ばれます。 ちなみに、日本で現在のようにイクラが食べられるようになったのは、大正時代以降のこと。 それ以前の、保存技術が発達していなかった時代には、スジコをばらして乾燥させた加工食品などが出まわっていたようです。 コンビニでもおなじみのセミドライソーセージ「カルパス」。 このカルパスも、ロシア語でソーセージを意味する「カルバーサ」に由来しているそうですよ。
日本でイクラを食べるようになったのは、意外と最近!?
日本でイクラを食べるようになったのは、意外と最近!?
日本生まれの「ロシア料理」がある!? 最後にご紹介するのは、日本でしか知られていない(?)ロシア料理です。 それは「シャリアピン・ステーキ」。ロシア人の声楽家フョードル・シャリアピン氏のリクエストで生まれた料理です。 ロシア革命後の、日本に滞在するロシア人が増えていた時代のこと。 来日したシャリアピン氏は、宿泊先の帝国ホテルで、「私は歯が悪いので、何かやわらかい料理を」と注文しました。 その求めに応じて、帝国ホテル「ニューグリル」の料理長・高山(筒井)福夫氏が考案したのがシャリアピン・ステーキ。命名にあたっては、シャリアピン氏の了承も得たのだとか。 日本の「西洋風ホテル」とロシア人については、興味深い歴史があります。そのお話は、またあらためてご紹介します! 次回は、ロシアの「お菓子」についてのお話をお届けしたいと思います。 参考:長塚英雄責任編集「ドラマチック・ロシアin Japan 文化と歴史の探訪」(生活ジャーナル) 荻野恭子・沼野恭子著「家庭で作れるロシア料理 ダーチャの菜園の恵みがいっぱい!」(河出書房新社) 荻野恭子著「ロシアの郷土料理 大地が育むユーラシアの味」

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