西日本から関東にかけては既に梅雨入りしましたが、しっとりと雨に濡れながら色とりどりに咲く紫陽花が楽しめる季節となりました。
この美しい紫陽花を世界に紹介したのは、鎖国時代、医師として来日したドイツ人シーボルトです。
自然科学の研究にも情熱を注いだシーボルトは、日本滞在中、数多くの植物の採取と調査、分類を行っています。
その活動の中で、彼は、ある紫陽花に、愛する日本女性の名をつけました。
シーボルトが滞在した長崎では、紫陽花はもっとも市民に親しまれている花。そして今も、この花をシーボルトが愛した女性の名で呼んでいます。

眼鏡橋と紫陽花。 ザ・長崎の風景です
眼鏡橋と紫陽花。 ザ・長崎の風景です

たちまちにして燃え上がる恋!シーボルトが一目惚れした長崎の遊女、お滝

シーボルトは1823年8月、長崎出島へオランダ商館の医師として来日します。
西洋医術を施す彼に、長崎ではたちまち「名医現る」との評判がたちます。
そこへ患者としてやって来たのが、長崎の遊女「其扇(そのぎ)」。
どうやらひと目でこの日本女性に夢中になってしまったシーボルト。
早くも同年11月には、故郷の両親に宛てて、
「素晴らしく可愛い日本の女性と結婚しました」(中略)
「お滝さん以外の女性を妻に迎えることは絶対にありません」
という手紙を送っています。
「お滝さん」とは其扇の本名です。
花柳界の女性と日本に駐在する外国人男性の恋の物語といえば、「蝶々夫人」
しかしピンカートンが蝶々さんを「現地妻」と見なしていたのに対し、シーボルトはお滝さんを、生涯ただ一人の妻と考えていたようです。

若き日のシーボルト。 ロマンスの主人公だけあって、イケてます!
若き日のシーボルト。 ロマンスの主人公だけあって、イケてます!

しかし悲しい別れが…国外追放となってもお滝を愛し続けるシーボルト

やがて二人の間には「お稲」という女の子も生まれ、幸福な日々が過ぎて行きます。
が、それも束の間。一時帰国しようとしていたシーボルトの荷物から、当時国外への持ち出しが禁じられていた日本地図や葵の紋の羽織などが見つかります。
スパイの容疑をかけられ、1829年、シーボルトは妻子を残したまま、国外追放の身となるのでした。
「ソノキサマ マタオイネ カアイノコトモノ シボルト」
帰国したシーボルトが妻子に宛てて書いた、たどたどしい日本語の手紙が残されています。
「ニチニチ ワタクシカ ホマエ マタ ホイネノナヲ シバイシバイ イフ」
(日々、私は、お前、また、お稲の名をしばしば言う。)
「ナントキワ オマエヲ マタ オイネ モット アイスルモノヲミルカ」
(いつか、お前を、またお稲を、もっと愛する者を見るのだろうか。)
いいや、自分の他に二人をこんなにも愛する者はいない!とシーボルトは訴えます。
彼のお滝さんに対する愛情は、変わらぬどころかますます強くなっていたのでしょう。
ところが、程なくお滝さんから、
「余儀なく義理にて他へ嫁し申候」と、親戚の勧めに抗いきれず再婚したことを告げる手紙が届けられます。
自分の肖像を蓋に描かせた煙草入れとともに。
「他の人と結婚するけれど、私の事忘れないで」という残酷なまでに切ないお滝さんの思いが推し量られます。

面影を留めたい!空色の紫陽花に愛する人の名前をつけたシーボルト

激しく落胆したであろうシーボルト。しかし、たとえ他の男性のものとなっても、シーボルトもお滝さんのことを忘れようとはしませんでした。
帰国後の生涯を「日本学」の研究に捧げようとしていた彼は、その研究成果の中に、お滝さんの面影を留めようとしたのです。
1832年、彼が刊行した『日本』という本では、侍、町人、僧侶など、当時の様々な日本人の絵姿が紹介されていますが、その中には、お滝さんの肖像が特に大きく収められています。
お滝さんへの愛が真実であり、永遠であるというシーボルトの誓いのようにも思われます。
続いて、シーボルトは、日本の様々な植物を掲載した『日本植物誌』を刊行します。
そこで彼は、長崎の中国寺で採取したという空色の紫陽花を「Hydrangea otaksa」(ハイドランゼア オタクサ)と名づけて紹介したのです。
「オタクサ」とは、「お滝さん」のこと。ドイツ人シーボルトが、妻の名を呼ぶ時の発音そのままを花の名にしたのでした。

これが「Hydrangea otaksa」二人の思い出の紫陽花だったのでしょうか
これが「Hydrangea otaksa」二人の思い出の紫陽花だったのでしょうか

花に恋人の名は迷惑!?「オタクサ」は学者達から批判された

が、残念ながらこの「オタクサ」という名前は、別の学者により既に名がつけられていた品種だったことが判明し、無効とされてしまいました。
さらに後年、「日本の植物学の父」と言われた牧野富太郎は、シーボルトに対し、「神聖なる学名に自分の情婦の名前をつけるなどけしからん」と憤慨し、激しく非難しています。
続いて微生物学者である中村浩も、『植物名の由来』という著書の中で、「愛妻や恋人や情婦の名を後世に残しておきたいというのは人情であろうが、無縁の人の名を憶えさせられることは全く迷惑なこと」とバッサリ!
このように、シーボルトが名づけた「オタクサ」という名は、学者達には不評だったようです。