沖縄・奄美ではすでに梅雨入りしましたが、例年通りでいくと、6月上旬から順を追って西から次第に梅雨入りとなりそうです。
6月前半の気温も平年並みか、平年より高い予想となっていて、これから湿気がグッと高くなることで、長雨、高気温、高湿度のトリプルで、体調を崩す人も多くなりそうです。
でも、この季節の詩歌は、ちょっとした言葉で風景がはっとするほど美しく見えることがあります。
そんな6月の詩歌をご紹介します。

梅雨といえば、あじさいですね
梅雨といえば、あじさいですね

「梅雨」「梅の雨」「五月雨」

この季節はしだいに夏の気配が濃厚になっていきます。「めく」は「…のようになる」という意味。
〈夏めくや素足の裏に庭の土〉渋沢渋亭
シンプルな句ですが、夏の湿気がほのかに感じられます。
ちなみにこの句の作者は田園調布の開発で有名な渋沢秀雄氏です。
梅雨にはいろいろな異名がありますが、「梅雨」は主として明治以降に使われるようになった言葉で、それまでは「梅の雨」などということはありましたが、旧暦5月に降る長雨のことは「五月雨(さみだれ、さつきあめ)」といいました。
〈空も地もひとつになりぬ五月雨(さつきあめ)〉杉山杉風
〈おほかたにさみだるるとや思ふらむ君恋ひわたる今日のながめを〉和泉式部

田植のすんだ雨模様の水田
田植のすんだ雨模様の水田

今も昔も長雨はものおもいを呼んだようです。
近代以降の俳句で使われる「梅雨」という言葉は、すこし味わいが違います。
〈身のまはり梅雨ただ梅雨のあるばかり〉相馬遷子
〈狂言の世に梅雨の幕垂れたるよ〉平井照敏
〈雨ふるふるさとははだしであるく〉種田山頭火
照敏句はまるでお芝居のような虚実こもごもの世間に梅雨の帳(とばり)が静かに下りてくる、といっているのでしょうか。どことなくユーモアも感じます。
山頭火は出家して各地をさまよい歩いたことで知られます。
五七五によらない自由な音数の俳句「自由律俳句」の代表的な俳人。独特の解放感がある句です。
〈万華鏡めきて尾灯や梅雨の街〉阿波野青畝
尾灯は車のテールランプのことでしょう。雨の中に霞んだ都市が幻のように浮かんでいます。
禅問答のような、なんとも不思議な味わいの句を一句。
〈梅雨に入りて細かに笑ふ鯰かな〉永田耕衣

晴れ渡る初夏の水田
晴れ渡る初夏の水田

美しい緑の季節

このころの昼もうす暗いような天候や、月が出ない夜のことは「五月闇」といいます。
〈さつきやみ短き夜(や)はのうたたねに花たちばなの袖に涼しき〉慈円
周りの空気がじっとりと重苦しいせいか、緑の美しさが際立つような気がします。
水辺の菖蒲や水田の苗、そして紫陽花が美しい時期でもあります。
昔は菖蒲のことを「あやめ」と呼びました。早苗とは、水田に植えるころの稲の苗です。
〈時鳥鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな〉古今集
〈湖のごとし田植のはじまりし〉高野素十
〈日暮れまで水さわさわと早苗とる〉百合山羽公
〈紫陽花や世間話も少しして〉稲畑汀子

あやめ
あやめ

── 走り梅雨、迎え梅雨、梅雨の走り……といった具合に、梅雨時の雨には情緒豊かな様々な名称がありますが、うっとうしい雨の風景も、言葉によってイメージがまったく変わるかもしれません。
皆さんはどう感じるでしょうか。