今年は気温が平年よりも高い地域が多く、各地で茶摘み真っ盛りのニュースが続きました。八十八夜(今年は5月1日)の頃に摘まれたお茶は新茶と呼ばれ、飲めば一年間無病息災で過ごせると、昔から珍重されています。お茶に関わる光景も、日本人に欠かせぬ風物詩として、俳句でもさまざまに詠まれていますね。けれども「茶摘み」と「新茶」は意外なことに、別の季節の季語なのです。その背景を探ってみましょう。

「新茶」が夏の季語なのは何故?そして「古茶」は?

歳時記では、「茶摘み」は「八十八夜」とともに春の季語、「新茶」は夏の季語と、はっきりと分けられています。新茶は、茶摘みの後の茶揉みなど、一連の製茶作業を経て出来上がります。ですから同じ春の季語ではないかと思えてしまいますが、夏の季語になるとは不思議ですね。
これにはいくつか理由があるようです。まず、昔は暦の関係から春夏秋冬の区分が今日とは異なること、新茶は夏になってから飲むものとされたこと、そして、お茶とは抹茶(碾茶)が基準となっていたことなどが挙げられます。碾茶とは、抹茶の原料となる、蒸して乾燥させた茶葉のこと。碾茶を石臼で粉にひいて作られたものが抹茶ですので、茶摘みからは工程の時間経過が加わっていることは事実です。
ここでもうひとつ豆知識をご紹介すると、「古茶」も夏の季語なのです。古茶は俳諧上では、去年のお茶という意味に限定されます。

茶摘みの光景を俳句で体感してみると

さてそれでは、俳句に詠まれた茶摘みの世界を追体験してみましょう。
(引用元は文末に掲載)

木(こ)がくれて茶摘も聞くやほととぎす    芭蕉   ※1
鶯のだまって聞くや茶つみ唄        一茶   ※1
折々は腰たたきつつ摘む茶かな       一茶   ※1
一とせの茶も摘みにけり父と母        蕪村   ※1
太き掌の玉露揉み出す荒筵(むしろ)     上原白水 ※2

若い葉を指で丁寧に摘むのに適している女性が茶摘みを担い、男性は重労働の茶揉みに従事しました。短い時間で一斉に作業しなければならない茶作りは、一家総出の仕事だったのです。人びとはきつい労働の中、茶摘み唄を口ずさみつつ掌や指先の感覚を研ぎ澄ませ、鳥の気配や山々の営みを見聞きしていたのでしょう。一年分の茶を摘む父母への蕪村の思いや、茶作りの人びとに向けた一茶の眼差しには、ほっこりします。

新茶が出回ると、去年のお茶は古茶。季節は移り過ぎて行く

一番茶とも呼ばれる「新茶」と、去年の茶を意味する「古茶」が、同じ夏の季語であることも面白い発見ですね。詠まれた句を挙げてみます。

新茶古茶夢一とせをかたる日ぞ       暁臺  ※1
泡と消(きえ)し昔を思ふ新茶哉       由歌  ※1
いざ古茶の名残惜まん五月雨        露川  ※1
水のごとき交りもよし古茶新茶       大橋櫻坡子 ※3
古茶新茶これより先も二人の居        村越化石 ※3

季重なりとなる「新茶」「古茶」をともに入れた句には、どの時代のものにも余韻を感じます。新茶が出来たからこそ、それまでの茶は、一年(とせ)が刻まれた古茶となる。茶摘みで自然や人間を詠んだのちには、新古茶を時計の軸に見立てて、人生を刻むのでしょうか。わたしたちもそろそろ出回る香り高い新茶とともに、奥深い五七五の世界を、いっそう楽しんでみたいものですね。

参考文献及び引用※1:   山田新一 著『江戸のお茶 ―俳諧 茶の歳時記』(八坂書房)
引用※2:        角川書店 編『第三版 俳句歳時記 春の部』(角川書店)
引用※3:        角川書店 編『第三版 俳句歳時記 夏の部』(角川書店)